Facebookの功罪
先日、フランスのニュース番組で知った事。Facebook の登録者が、世界第3位の人口数に達したらしい。世界の人口の15人に1人が登録しているとの事。中国、インドに次いで、世界第3位。でもこれは架空の国。
去年の春フランスに滞在していた時、ちょうどフランスにも Facebook ブームが到来していたようで、人が集まるとそんな話を良くしていたっけ…。一時期の日本の mixi ーブームみたいに、それからもしばしば社会現象としてニュースでも取り上げられていた。
こういうSNSがどうも苦手で、mixi 国からも逃げ出した私。それでも時々外国に住む友人から届く Facebook への招待状…、最近では開封することもあまりなかったのだけど、数週間前、意外な人から届いた招待状が気になり、ポチっとクリックしてみた。するとそのメールの中には、今回招待してくれた人はもちろん、それ以外にも今までに私に招待状を送ってくれた人や、共通の知人では???みたいな懐かしい名前がちらほら。その中には、もう20年以上会っていない旧友の顔写真もあった。
彼女はアメリカ人と結婚してもう20年近くNYに住んでいるんだけど、そんな彼女から突然電話がかかってきたのが、もう10数年前。私がまだパリにいた頃、彼女が同じくパリに住む共通の友人に数年ぶりに連絡を取った時、私もパリにいることを彼から聞き、電話をして来てくれたのだ。
その後はNYでテロがあった時、私から彼女に連絡を取った。この22年の間に連絡を取り合ったのはこの2回だけ…。でも縁は切れることがなかったのだな~と今回しみじみ思った。
彼女の近況を知りたいとFacebook に一時的に登録をして、メッセージを送ってみた。すると返事はすぐに届いて、それも翌週、日本にちょうど里帰りするという。何という偶然!
こうして、私たちは22年ぶりに再会を果たした。私の知らないアメリカと言う国、NYで生きる彼女との再会は、やっぱり嬉しいものだったし、こうした再会をもたらしてくれるFacebookも悪くないのかな…と少し思ったりもした。
でもやっぱり居心地が悪くて Facebookはすぐに退会した。私は友達の友達はみな友達的な考えは苦手。友達なんてそう簡単に手に入らないもの。知り合い=友達という考えもない。”友達”という言葉は、もっと大切な人だけに使いたい…かな。
mixi が流行りだした時、日本でもよく言われていたけど、フランスのニュースでも Facebook 中毒の現象を伝えていた。ここでの友達が増えれば増えるほど、友人から届く更新情報は増えるし、ここでの存在を意味あるものにするためには、自らの情報発信や書き込みも必要になる。こうしてPCや端末から目を離せなくなる人が出てくるらしい。現実の世界での日常生活にも支障が出るなら、それは本末転倒と言うしかない。職場でも常にmixi の画面を見ているって人、いたもんな~。
確かにこういうツールに救われている人がいるって事はあるだろうし、こういう世界でも器用に生きられる人やビジネスに活用できる人を羨ましく思う気持ちがないわけではない。でも現実の世界に生きている、本当に大切な私の友人のほとんどはアナログ人間ばかり。だから mixi も Facebook もまだまだ私には必要のないものみたいだ。
Commentaires
mikaりん
こんにちは。
そうやねぇ、mixiとかFacebookとか(今はツイッターも)一見多くの人と繋がっているような気がするのだけど、その反面特に日本では孤独感が増してるよね。
結局、どのような媒体であっても、人の気持ちを満たしてくれるのは、“その人が自分のことを思ってくれている”という実感じゃないかなぁ。
だからたとえ、距離的に離れていてたり、長い期間会ってなくて連絡してないときがあっても、ほんとの友達となら、再会したとき、気持ちの隔たりもなく、日頃から常に“失うのではないか”という不安もないと思う。
少なくとも私はmikaりんにはいつもそんな感覚を持ってるよ~。これからもヨロシク~。
Rédigé par: hageo | 04/11/2010 10:08
hageo
いつもありがとう。
私の数少ない友人の1人
もう30年近い付き合いになるね。
すごく密な時間を過ごしてなくても
ずっとお互いを見失わないって
やっぱりすごい事だよね。
最近、特にそう思う。
Rédigé par: mika | 05/11/2010 00:52