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12/06/2010

à Niort

le jeudi 10 juin 2010

P6100196気づけばフランスに到着して早1ヶ月。長い旅も後半に突入していた。今日は日付も時間も間違いなくモンパルナス駅からTGVに列車に乗る。昨年に引き続き大好きな人達の住む街、ニオール(Niort)へ。予定時間から10分ほど遅れて13h過ぎに列車は到着。ホームの遠く向こうで手を振るAの姿がすぐにわかった。

A&Pとはホームで感激の再会。変わらない2人。でもこの1年、A(奥さん)は母親を亡くし(でも大往生)、P(旦那さん)はのこぎりで手の神経を痛め手術⇒リハビリを終えたばかり。それに害虫にやられて庭の一番大きな大切な木を失った。あまり良いニュースはないけれど、とりあえず目の前にいる2人は元気そう…。

駐車場までは階段を下りて上って…、毎度の事ながらバリアフリーにはまだまだ程遠い地方都市の駅。なのに2人は私の荷物を持つと言ってきかない。私の両親とほぼ同年代の2人にそんな事はさせられない。でも2人はまるで、久しぶりに帰省した娘のように私に接してくれる。いくつになっても親は親、子供を心配し、世話を焼きたがる。まるでうちの母のよう…。本当にありがたい事。

P6100187a駐車場では腰が痛くで階段の上り下りのできないF(通称ブロッコリーちゃん)が、待っていてくれた。彼女もこの1年、すでに別れてはいたけれど元旦那さんを病気で亡くし、息子夫婦は離婚、今は父親の介護、そして可愛がっている愛犬も高齢のためかなり手がかかる…と、こちらもあまり良いニュースがない。それでも彼女もいつも通りの笑顔と、力強いハグ、濃厚なビズで迎えてくれた。懐かしいメンバー4人が揃ったところで、さっそく腹ごしらえ。食べることに貪欲なみんなとはその事でも気が合うのかも…。また今回の滞在中も食い倒れの3日間になりそうな予感…。

P6100190皆のお気に入りのレストラン Mélane(1, place de Temple, Niort)で昼からがっつり3品。アミューズに豚肉のリエット、前菜に田舎風パテ、牛肉の赤ワイン煮込み…みたいなやつ(肉の下にはジャガイモのピューレがど~ん)、デザートはタルトタタン。ふ~、おなかいっぱい、きれいに完食。私が美味しそうに食べると、皆も喜んでくれるので、ついつい食べ過ぎてしまう。

Fはデザートの後、急いで父親の病院に向かう。重要なRDVがあるらしい。また夕食の時間にA&Pんちで合流する事になった。のんびりの私たち3人が店を出た頃、ぽつっと降ってきた雨が次第に本降りになってきて、Pが車に積んでいた傘を取りに行ってくれている間に、どしゃ降りに…。Aと私は近くのパッサージュで雨宿り。おしゃべりをしながらウィンドーショッピングしている間に小降りになってきて、傘もそんなに必要なさそう。気の毒なP。

さあ、去年ゆっくり見られなかったニオールの街を少し散策してからおうちに帰るょ!

P6100191まず最初にル・ピロリ(le Pilori)と呼ばれる建物へ。16世紀に建設された貴重なルネッサンス建築は昔の市庁舎、最近は展覧会会場として使用されているらしい。ちょうど最近ニオールに越してきたきた女流画家 ミレイユ・ランデルさん(Mireille LANDELLE)の個展が行われていたので、しばし鑑賞。画家自身が会場にいたので、ついでにおしゃべりも。旦那様が映画関係のお仕事をされているので映画に絵を提供したりする事もあるそうだ。でも今回展示されているのは女性の肖像画が多い。私の好みの作風ではないけれどパステル画は素敵。A&Pも地元の画家の作品をコレクションしているので、パステル画に興味を持っていた。

P6100193次に訪れたのは街の中心で圧倒的な存在感を放っているル・ドンジョン(le Donjon)。12世紀の終わり、英国王アンリ2世がアリエノール・ダキテーヌの結婚したのをきっかけに、この地を重要視して城を建設した時のものだ。古い歴史がある。まだこのあたりがイギリスだった頃のお話。さっきの雨が嘘みたいに青空が出ているすきに、てっぺんまで階段でのぼり、市内を見渡す事にした。ここニオールの名前は日本ではぜんぜん知られていないし、観光名所も市内にはあまりないけど、ここに豊かな自然があるのは一目瞭然。この街を横切り大西洋にそそぐセーヴル・ニオルテーズ川(Sèvre Niortaise)の周辺には美しい公園があり、市民の憩いの場になっている。

P6100198このル・ドンジョン、今は美術館として使われていて、ちょうど地元の愛好家達によるカリグラフィーの展覧会が行われていた。ここにもいくつも素敵な作品があり、またまたA&Pが購入意欲を示していたぞ。

夕方おうちに戻り、荷をほどき、居間に寛ぐ。寝室は去年と同じだけど、この家にはキッチンと居間が2つずつあり、去年使ってたのは冬用の上の階、そして夏場(6月~)は下の階…と季節によって使い分けているそうだ。下の階は直接庭に通じていて、庭と家の間には屋根のかかった広いテラス(我が家のリビングより広い)。ほとんど夏の間はここで食事をとり、リビングとして寛ぐのだそう。気候が穏やかなこの地方は早い季節からお庭が楽しめるから、この屋根付きテラスは半インドア、半アウトドアとして最大限に活用されるわけね。本当いいアイデアだと思う。これだけ屋根が大きいと雨がたくさん降っても、構わずのんびりできる。でも今夜はちょっと寒いので、完全インドアで頂きます。

P6100221Fも到着して、お料理上手のAが台所で支度を始めた。結婚して50年、この家も50歳、台所には色々な家電があって、今では少々時代錯誤な大きさだったりするけれど、どれも大切に使われている。

きれいに茹であがった立派なホワイトアスパラにかけるのはオランダ風ソース。う~ん、作るのを見てると食べるのが怖いくらいカロリー高そうです。メインは上等のお肉をPが外で炭火焼。家の中のオーブンでは野菜のグラタンを準備し、私も少しだけ猫の手でお手伝い。そしてフロマージュ、やっぱりこの地方は完全にシェーヴル(ヤギ乳)です。

P6100225どれもこれも私にとってはレストラン級に美味しかったのだけど、今夜私が一番萌えたのは、このデザート。苺のスープに浮かぶ、苺のアイスクリーム。もちろんこれもすべて手作り。私はあまりの美味しさに、はちきれそうなお腹をかかえながら、3回もおかわりしてしまいました。ちょっと写真の色が悪くて美味しそうじゃなさそうだけど…、これを食べた時はもう、バケツで飲み干したいくらいだった(笑)

P6110226夜、寝ようと部屋に戻ると、Aがやってきた。「これ、プレゼントよ」と小さな包み。夕方立ち寄った市内の有名なショコラティエのアソルティモン。それに私が店でカワイ~と見とれていたカエルのチョコも添えられていた。本当、甘やかされっぱなしです。でも嬉しい贈り物…。このカエルちゃんは絶対に食べられない!大切においておきます。どうもありがとう、A。

*このあたりは湿地帯として知られていて、カエル釣りが有名。だからカエル型チョコがあるんです。

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le vendredi 11 juin 2010

昨夜はまたメモを取りながら、気絶してしまったみたい。カメラは壁とベッドの間に挟まってかろうじて落下を免れていた。チョコレートはもちろん無事!眠りながらも一番大切なチョコレートの事は気にしていたので、私はチョコレートを避けるように大きなベッドの隅っこで丸くなって眠っていた。目が覚めたのは4時過ぎ。その後シャワーを済ませて、2度寝…。正式な睡眠は気持ち良すぎて、朝は寝坊をしてしまった。幸いA&Pもゆっくりだったみたいで、朝ごはんにかけつけた時は、Aはまだパジャマだった。Pが買いに行ってくれた山ほどの出来たてパンをテラスで食べながら、A&Pはあいにくの空模様を心配する。「私は2人とFに会いに来たんだから、どこに行けなくてもいいのよ!」と言っても2人の顔は冴えない。去年も2人が思っているような天候で迎えられなかった事が頭にあるようで、今年もこんな天気なのが残念で仕方ないらしい。今日も雷雨の予報。

Rochefort私たちの寝坊のせいで予定よりゆっくり目に出発。FとFの愛犬をピックアップして、今日の遠足、ロッシュフォール(Rochefort)へ。ロッシュフォールと言えば、1967年のジャック・ドゥミ監督の『ロシュフォールの恋人たち(Les Demoiselles de Rochefort)』のロケ地として有名。去年、日本ではデジタルリマスター版として上映されたので、観た人も多いのではないかな?

時々、ゲリラ豪雨に見舞われながら、これでは観光はとても無理なので、目の前にあったレストランLe Galion (38, rue Toufaire, Rochefort)で雨宿りランチ。さっきたらふくパンを食べたところなんだけど、他にすることもないし、リヨン風サラダにデザートまで食べてしまった。雨は確かにうっとうしいけど、こうして4人でテーブルを囲んで、おしゃべりをする時間、私はとっても楽しい。

P6110234_2お昼過ぎ、ようやく雨も小降りになって来て、近くの王立綱(縄)製造所(la Corderie Royale)に行く。船に使う綱と縄だけど王立!気合が入ってます。歴史は古くてルイ14世の時代、海軍力アップのためにコルベール(財務総監)が、この辺りに大きな海軍造船所つくる事を決定、主要都市のナント(Nantes)とボルドー(Bordeaux)の間に位置し、大西洋からも遠くない(23キロ内陸)この土地が選ばれたという経緯らしい。巨大な長い綱を作るためにエッフェル塔よりの高さよりも長い370mの長さのこの建物が建設された。今は博物館になっていて、中ではどのように綱が製作されていたかを見せるデモンストレーションなども行われる。もうすぐヴァカンスの小学生たちがいっぱい見学にやってきていた。

P6110245今、そのルイ14世の造船所では昔ながらの手法で、帆船が作られている。18世紀の名帆船 Hermione号(3本マストの軍艦)の復元という壮大な計画は、1997年にスタート、最近ようやく船らしくなってきたらしい。完成した暁には募金に協力してくれた人の中から抽選をして、実際に人を乗せてボストンまでの航海に出るとの事。2012年の予定らしいけど、本当にそれまでに出来上がるのかな…。まだ今こんな状態なんだけど…。処女航海抽選に興味のある方は、こちらで募金をどうぞ。

それにしてもこのHermione号に乗ってアメリカに渡ったラファイエット公爵は当時若干23歳だったって。まったく昔の人はすごい…。

229c0b1この後、観光局で予約をしたvisite guidée に参加。「きっとmikaは気に入ると思うわ」って言われてついて来ると、外観は何のことはない普通の家。でもこの家『マダム・クリゾンテル(邦題:お菊さん)』を書いたピエール・ロティ(Pierre Loti)の生家。軍人として様々な国を訪れた経験をもとに多くの著書を残し、日本にも2度ほど来日したらしい。そんな彼が少しずつ手を加えながら作り上げた家は、外観からは想像も出来ない複雑な内部空間を持っていた。

最初のサロンはフランス風古典主義でいたって普通。次にあるのがルネッサンス風サロン、こちらもまあ許容範囲。次はネオ・ゴシック。個人的には好きなスタイルだけど、かなり重苦しい装飾、そして狭い!なのにここに大勢の人を集めて頻繁に奇妙なフェットを楽しんでいたらしい。その階上には完全にオリエント趣味の部屋。モスクあり、トルコ風サロンあり。もう何でもあり!昔は中国趣味のサロンもあったとの事。最後に超シンプルな彼の寝室。まさに彼のファンタスムをすべて盛り込んだ夢の館と言ったところか?でも当時はバリアフリーの時代じゃないし、晩年の彼は階段が上がれず、せっかくのこの家も上のほうには行けなくなってしまったそうだ。

彼が著書の中で、日本人を酷評している事を考えると、ちょっとむかつくんだけど、面白いものを見せてもらった。当時はまだまだ変な事をすると世の中から変な目で見られる時代。彼も相当ロッシュフォールの人々に変人扱いをされていたらしくて、結局死後もこの街に埋葬される事は許されなかったみたい。世間は厳しい…。

P6110263ところで家の写真、なぜだか撮影禁止と思いこみ、結局1枚も撮ってないので、ちょいとこちらでお楽しみ下さい。

カトリーヌ・ドヌーブも歌った広場のカフェで帰宅前にちょっと一杯。今日はワールドカップ初日。広場に大型ヴィジョンも設置され、なんとなくお祭り気分、盛り上がってきたかな?

P6120269今夜はFのおうちでお夕飯。Fのお孫さん、可愛らしいLちゃんとも嬉しい再会。彼女、私のあげた折り紙の本で折り紙を練習してくれてたらしく、こんな可愛らしいプレゼントをもらいました。今年は”ひらがな”の本を持ってきた。お夕飯の準備が出来るまで2人で”ひらがな”のお勉強。なんにでも興味を持つお年頃だからね。今度会う日まで覚えてくれてると良いんだけど(笑)

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le samedi 12 juin 2010

P6120279今日はA&Pから朝寝坊の号令がかかっていたので、私も安心して朝寝坊。11h頃、おでかけ準備完了状態で下におりて行くと、2人ともまだリラックスした格好で朝食中だった。今朝もPが美味しそうなパンをたくさん買ってきてくれたみたいで、朝ごはん、どうしよう…と思ったんだけど、13hにはレストランでのランチが控えてたので、控えめにカフェオレとクロワッサン、それと桃だけにしておく。それでも一応食べたんだけど(笑)

今日は皆で過ごす最後の日、遠くへは行かずゆっくりする事にした。お昼は3人のお気に入りのレストラン、LE SALON de la Tartine (2, rue de la Boule d'Or, Niort)で。おしゃれな店内、このソファーに体を沈めて食べるのが、なんとも新しく、気持ちが良いとの事。サービスも若いスタッフが多くて、スマートな感じ。

P6120280_2私はAと同じ、メインにアボリジニーのスパイスを使った子羊のミニョン。そしてデザートに選んだチーズケーキは想像とは違ったあっさり味。お料理もちょっと新しめ???

今年皆で揃ってのお食事もこれで終わり。お別れの時が見えて来るとやっぱりしんみりしてしまうわ。

A&Pの家からレストランまで、今日は往復歩いてみる。片道30分ほどの散歩だけれど、市内のちょっとさびれた様子が残念。2人が結婚して、ここに居を構えた頃、高級住宅地として活気のあったエリアも、今は商店も店を閉じ、裏道ではドラッグの取引などが行われているらしい。こんなニオールの街でもドラッグの問題があるのね…。どの街も同じような問題を抱えているんだろう。何もここに限った事ではない。再開発の難しさ、地方都市の抱える問題も山積みだ。

P6120271Fのお孫さん、Lちゃんが、どうしてももう一度私に会いたいと言ってくれてるらしい。もちろん喜んで!と言うと、Fが車で迎えに行った。今日の午後はおうちのお庭でみんなでゴロっと長椅子に寝っ転がる計画。ようやくお天気になったしね!

私はテラスでLちゃんと”ひらがな”の復習をしながら、おしゃべり。子供のフランス語は容赦がなくて本当に難しい。でも私達は年齢の壁をこえた仲良しcopinesになれたみたい。今度、彼女に会えるのはたぶん2年後。今は日本に連れて帰りたいくらい可愛い彼女だけど、2年後はどんなおしゃまさんになってるのかな…。もう2年後は、きっと今みたいに会いたいなんて言ってくれないかもしれないし、そう思うと余計に今の時間が愛おしく思える。いつまでも今のまま良い子でいてね…なんてちょっと親心を体験させてもらったり、Lちゃんもどうもありがとね。

A&Pはこの家のテラス部分と、私のまだ知らない田舎の家の整備を考えているらしい。Fはずっと建築関係の仕事をしてきた人なので、一緒にあれこれそんな相談。Pが「2年後にmikaが来たときは、田舎の家もきれいになってるはずだから、今度はぜひ一緒に行こう!」って言ってくれた。今度はもっとゆっくり会い来たいな、この大好きな人たちに。

P6120275A&Pって私の両親と同世代だから、こんな事を言うのは少し変なんだけど、この人たちといると、私がすごく小さな子供に戻れる気がするのだ。なんだか無条件に甘やかしてくれる祖父母とでもいるような感じになって、とても癒される。父の両親は早くに亡くなったので会ったこともないし、母の両親も1人は早くに亡くなったし、もう1人は長生きしてくれたけど近くに住んでいたわけではないので、私はそれほど祖父母の愛情を知らずにきた。きっとこんなものなんじゃないのかな…って思うわけだ。とにかく無力である事が許されるって、なんて楽で、幸せなこと。やっぱり人生には逃げ場は必要で、この遠くに住む友人たちとの時間は、きっと神様がくれた贈り物なんだろうな…。1年に少しだけ私が子供に戻れる日…。

à suivre ...

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