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25/04/2010

追悼 尾崎豊

今夜、BS2で尾崎豊の追悼番組があった。なんで今頃、尾崎豊なんだろう…なんて思ったけど、よく考えてみれば、4月25日は彼の命日なんだね。もう18年が経ってたんだ…。

彼が亡くなった当時、私は神戸の大学で働いていて、余暇に小さな手作り冊子を細々とつくっていた。そこに書いた追悼文を、今日改めてここに記しておきたいと思います。

.......................................

1992年4月30日発行 comme ci, comme ça vol.6 より

今日、大学の事務室で、FMから流れる音楽に何気なく耳を傾けていた。懐かしいな…と思うメロディーにかぶさるDJの言葉に、私は一瞬耳を疑ってしまった。

キョウゴゴ…
ロックカシュノオザキユタカサンガ…
ナクナリマシタ…

え? 

私はまずそう思った。そして真白になった頭が冷静さを取り戻したとき考えたのは、やっぱり…。そんなことだった。

私は今、尾崎豊の熱狂的なファンではない。しかしかつては彼に共感し、胸をはってファンだと言っていた頃があった。

15歳の頃の私がいる。

関西のイベント会社サウンドクリエーターの社長、鈴置雄三氏が、当時パーソナリティーをつとめていたラジオ番組で、おもしろい新人を見つけた、と言って流した曲があった。それが尾崎の「17歳の地図」。特に屈折していたとは思わないが、人並みの苦痛を、そして不安を感じていた私の心に、激しい口調で挑発してくる彼のその音楽は、すんなりと入りこんできた。どんよりとした思春期の心は受けとめてしまったのだ、彼のメッセージを…。

デビューアルバムのプレスは1000枚に満たず、私はレコード屋を何軒も探し歩き、ようやくそれを手に入れることができた。レコードはたくさん持っていたけれど、歌詞カードがぼろぼろになっているのはあれ一枚だけかもしれない。

太っ腹な社長の尽力で、全く無名の尾崎のコンサートが関西で催されたりもした。ラジオというメディアを通じて尾崎は関西にも静かに浸透していった。

私は、その頃の無名であった尾崎が、最も生々しくて好きだ。2枚目のアルバムが発売される頃、彼はもうすでに無名ではなかった。店頭の今月の新譜を飾るほど、デビュー当時とは扱いがまるで違っていた。ただ、まだ若いそして始まったばかりの彼自身を神話にしようとする資本者側と、彼のやり方は、この頃からすでに狂い始めていたような気がする。マスメディアによってつくられていく彼のイメージは、ますます彼を追い詰めていき、傷ついたヒーローは活動休止、麻薬、離婚騒動、不倫…と、音楽以外の場で名前が聞かれるようになる。

活動を休止して、ニューヨークへ行ってしまうまでの彼の音楽を、私は今でも大切に思っている。その3枚のレコードは、今は手元にプレーヤーがないので、聴くことはできないが、私の最も苦しい部分の記憶と結びつきながら、私の心の中で鳴り続けている。コンサートでの姿と共に。

今夜は一人で彼の追悼をしよう。久しぶりに彼の声を聴く。事件後の復帰作で、私とは少し遠いけれど、彼を思い出すには十分だ。

1992年4月25日 午後0時6分 尾崎 豊  26歳。

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Commentaires

mikaりん

中学生の頃思い出すなぁ。ただ繊細なmikaリンとは違い、当時私はもっぱら体育会系でノーテンキな人間でした。

ある才能を持つ人は、あらゆる可能性がある一方で、それを伸ばす人と、当人を理解し守る人も同時に揃わなければ、結局「幸せ」には繋がらない気がします。

Rédigé par: hageo | 26/04/2010 11:25

hageo
あの頃は本当、日本の音楽を
ジャンルを問わず真剣に聴いてたわぁ。
だからどれもこれも懐メロで…(笑)
聴きだすと、きりがない。
今日も台所で懐メロ聴きながら
歌いながら夕飯のしたくをしますね。

Rédigé par: mika | 27/04/2010 19:49

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