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30/09/2002

パリ滞在記 – 2002年9月号

■le 23-30 septembre 2002 
ジェットコースターな1週間

あっという間に、9月も最終日を向かえた。本日、本来なら論文の最終提出期限であった。が~、もともと決まりや期限なんてあってないようなフランス。私の教授は「忙しい、忙しい」が口癖で、私の前回提出した未完成品すら、読んでいないという始末。私はそれでも与えられた期日にむけて、黙々と作業を続けていて、今日、完成品を提出できる用意をしていた。が~、今日は結局、教授が一部を読んだ感想をもとに、内容訂正をしなければいけない部分を指摘され、1週間後の面談までに、まったく別の章(のようなもの)を付け加えてくるという大仕事を与えたれただけだった。ふ~、息をつく暇はまだまだ当分なさそう。ってことで、なんとなく慌しい1週間だった。
23日(月)たまりにたまっていた洗濯をしに、コインランドリーへ。月曜の昼間になんで、こんなに人がおんねん!ってくらい込んでいて、憂鬱な気持ちになる。それもサンタさんがクリスマスプレゼントを入れるようなでっかい袋を満タンにしていたので、けっこう遠いランドリーまで、けっこう恥ずかしかった。アホみたいに長い時間のかかるフランスの洗濯機だし、乾燥機もふくめて2時間は余裕にかかる大仕事であった。
24日(火)、25火(水)家で黙々と作業。
26日(木)キャロとマガリと3人で大蔵省の食堂でお昼休みを利用して昼食会。その後カフェでおしゃべり。マガリとは今回初めて、ようやく会えた。キャロは昼食後仕事に戻り、マガリは早番だったため、私がフナックにプリンターインクを買いに行くと言うとついてきてくれた。彼女はキャリアのキャロとは違い秘書室で働いているので、最近シフトが色々あるそうだ。毎日シフトが変わるのは大変じゃないかと思うけど、本人はけっこうそれを楽しんでいるらしい。平日の午前中や午後に自分の時間が持てるのは確かに働いている人には貴重なことかも・・・。本当は食後にプリュメが手がけた地下鉄の入り口の写真を撮りに行こうと思っていたけど、あいにくこの日は大粒の雨が降ってきたので、買い物の後マガリとカフェで雨宿り。いろんな話をしまくっているうちに、夕方になり雨があがってお天気になっていた。まだこちらは7時半ごろまでは明るいので、まだ余裕で写真を撮れる。 って、訳で5時ごろからパリの果てポルト・デ・リラ(porte des Lilas)まで向かう。ここから地下鉄3bis線の3つの駅舎はギマールではなく、1920年代に私の論文のテーマであるプリュメが手がけたものだ。手元にいい写真がなかったので、今回取り直すことにした。この駅からずっとガンベッタ大通り(l'avenue Gambetta)をガンベッタ駅まで写真を撮りながらマガリとお散歩。彼女とはますます仲良くなってきている。キャロとは全く違うキャラクターの彼女だけど、彼女もまた本当に優しい人で、今ではすっかり大切にしたい友人の一人である。
この日はまだ終わらなくて、夜はクリスティーズのカクテルに顔を出してみた。せっかくパリにいるのだから今年登録をしたCちゃん、私が勉強した頃に講義を担当してたB氏、そして元秘書のA=S達に挨拶をしようと思ったが、やっぱり私にはなじめない雰囲気。やっぱりここは私がいる場所ではないな・・・と思いつつ場所を後にする。遅くなったのでCちゃんと安い中華を食べて解散。長い一日であった。
27日(金)家で黙々と作業。フミコが昼食時にクスクスをもって応援に来てくれた。今日は楽しいおしゃべりはあまり出来なくて、私の作業の確認を手伝ってもらった。夕方、買い物に出ると、近所にある名高いパン屋プジョラン ( Poujauran : 20, rue Jean-Nicot ) が開いていたのでいくつか試してみた。ナチュラルな感じがして、悪くない。素朴な手作り感が受けているのかな・・・。まだバゲットは試してないので、なんとも言えないけど、行列のできる店であることは、確か。ただ、なんだかとても度派手なペーパーバッグに商品を入れてくれるので、ちょっと恥ずかしいかな・・・。
28日(土)はマガリが論文の推敲を手伝ってくれるということで、彼女の家に1時ごろに到着。コンピューターと資料で重たいリュックをしょっていたのだけれど、夜はマルコとジュリーの家にディナーに招待されていたので、どうしてもお土産はもって行きたかった。昨日開拓したばかりのプジョランでマガリにはマカロンをマルコ&ジュリーにはガトー・バスクとどちらも私の大好きなお菓子を選んだ。マガリにはなぜマカロンかというと、先日話をしてると彼女は生まれてこのかた一度もマカロンを食べたことがない・・・というので、これは食べささなあかん!と思ったわけです。マガリはサラダとお得意のキッシュを作って待っていてくれた。なんか久しぶりにちゃんとしたご飯!と感動。おいしく楽しくお話をしながらお食事をして、作業にとりかかる。やっぱりすごく時間がかかる作業であっという間にマルコ&ジュリー家に向かう7時になっていた。でも大切なところは全部できたので、本当にマガリには感謝!あ、マカロンはマガリも絶賛、すっかりお気に入りのようだった。ガトー・バスクも食べたことがないそうなので、次回はこれを食べさせてみよう。
さて、夜はマルコ&ジュリー家へ。こちらに到着してすぐに連絡をもらっていたが、まだ学生を続けているマルコ(将来の弁護士)も最近まで試験があったりして、大変だったらしい。私の方は連絡をもらった頃は、もう片付いているころだろう!なんて思っていたけどなんのなんの、まだ作業中であった(笑)ところで彼らは最近アパルトマンを購入したらしく、私が最後のこの家のお客ということだった。引越しは2週間後。今の部屋を見に来る人も絶えないらしく、相変わらず忙しそうであった。ジュリーの方は小さい体つきと可愛らしい顔でずいぶん若く若く見えるのだが、彼女はれっきとした美術史の博士号を持つ博士なのだ。専門はインド美術。現在は某美術館で働いている。二人とも勉強の上では私の先輩になるわけで、色々と論文や教授の話に始まり、建築の話や、文化の話に花が咲いた!お土産に友人が作っているというとびきりの手作りBIO白ワインまでもらって、楽しい夜は終わり。家までのドライブを3人で楽しんで、今夜は解散。
昨日29日(日)は黙々と家で作業。窓から見える真っ青な空がもったいない。こんな空を 見上げながら、お散歩に連れて行ってもらえないワンコのような気持ちで安物のプリンターの不愉快な音を1日中聞きながら作業をしていた。
で、今日、教授は約束の時間に1時間半も遅れてきて、相変わらず「ごめん」も言わない。ま、いつものことである。私はちょうど忍耐が切れて、メモを残して帰ろうとしていたところだった。むかつきまくっていた私だけれど、今日の話はそれでも有益だった。次のステップが見えてきたし、彼が単に意地悪な人ではないと思えてきた。今日、彼は初めて口にしてくれたことがある。「口答試験は二人の試験官で行われる。私だけなら何とかしてあげることは出来ても、このままではもう一人の試験官は満足しないだろう。今のままではこの論文は(合格成績の優・優良・良・可の)良か可しか取れないだろう」そこで私「先生、正直言って私は可で大満足です」「何を言ってるんだ。ここまで頑張ってきたんだから、さらにいいものに仕上げてその努力に見合う成績を取りなさい」と。この時だけは普段の腹立ちも消えて、嬉しく思えた。やっぱり言葉は大切。口にして初めて相手に伝わることがあるもの・・・。
と、いうことで、まだまだプリュメの悪夢にうなされる日々が続きそうです・・・。
n.b. 明日から10月なのでページが変わります。
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■le 21-22 septembre 2002 
遺産建築公開の日

この週末、フランスでは年に一度、普段一般に公開されていない建築などがその門戸を開くJournées du patrimoineであった。パリで一般の人の関心を一番集めるのはやはりエリゼ宮やブルボン宮などをはじめとする行政機関の豪華建築。敷地を取り囲むように長い行列が出来て、見学までに何時間も待たなければならないので、相当の覚悟が必要。私はやっぱり興味のある近代とアトリエ建築を中心に見学することにした。大勢の人が集まる大建築は個人で見学するタイプが多いが、あまり人が集まらない小ぶりなところでは1日に何度かプロのガイドさんの説明付見学が企画されているので、21日(土)私はま ず13区にあるル・コルビュジエ作のCité du refuse - Armée du Salut (12, rue Cantagrel) (救世軍宿泊施設、いわば難民などの救援住居)の説明付見学へ向かう。だいぶ前に旅行で来たとき、ファサードの写真は撮りに来たことがある。しかし残念なことに前夜遅く30家族ほどの難民が到着したごたごたから、ガイド付見学会は急遽中止されていた。施設の性格上仕方がない。それでも集まった人たちのために扉は開かれ、見学はさせてもらえた。そのあとバスで移動。激しい渋滞に巻き 込まれ、いらいらしながら10区にあるアール・ヌーヴォーのインテリアで有名なレストランJulien (16, rue du Fbg Saint –Denis)と、アルザス料理で有名な Brasserie Flo (7, cour  des Petites-Ecuries) の2つを続けて見学。どちらのガイドさんもベル・エポック風に着飾り、雰囲気作りに一役買っている。お話も面白く分かりやすく、今まで知らなかったエピソードなどをたくさん仕入れることができた。おかげでさっきのイライラもどこかに飛んでいってしまった。比較的お手ごろなお値段で(安くはない)、何よりもこの素晴らしいインテリアが楽しめるので、おすすめのレストランでもあります。私はJulienの方を強くおすすめします!(夜は予約が望ましい)。
22日(日)はキャロと18区にあるアンリ・ソヴァージュ作の集合住宅(現在は市民プール と公衆浴場を含む) Piscine des Amiraux (6, rue Hermann-Lachapelle) 、モンマルトルの芸術家のアトリエ Cité  d’Artistes (24, rue  Norvins)、1区にあるHôtel de Toulouse (1, rue de la Vrillière) (トゥールーズ邸、現フランス銀行、日本で言う日銀)、11区のボロボロのアトリエ群 Cours de l’Industrie (37bis, rue de Montreuil) などを見学。この日はノーマイカーデーで街も静かで歩きやすく、昨日の渋滞がうそのようであった。とにかく2日間とも天気に恵まれ、フランス全土でたくさんの人がこのイベントを楽しんだ様子がテレビでも報道されていた。
さて、夕方カフェに落ち着いた私たち。私はけっこうヨレヨレで疲れきっていたが、元気なキャロはそれからまたまた友達と映画に行くと言っていた。す・すごすぎ~!私より5つも年上なのに、私も頑張らねば・・・。久しぶりによく歩いた週末でした。
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■le 20 septembre 2002 
偏頭痛

早いもので到着してから2週間たった。私の滞在も約4分の1が過ぎてしまった。早すぎ~。気づけば9月はもうすぐ終わり。私の魔法の!学生証が有効な月末までにルーブル美術館、オルセー美術館、ヴェルサイユ宮殿だけはもう一度行っておきたいんだけどな・・・。行けるでしょうか・・・。
昨日は1日家に閉じこもって最後の結論にとりかかった。結論自体は4~5ページでいいのだが、今ある箇条書きの文章をどう並べ、どうまとめあげるか、けっこう頭が痛い。そのせいか知らないが、本当に頭が痛くなった。偏頭痛ってやつ。アスピリンを2回飲んで昼寝をしたら、昨日のは1日で終わってくれた。出国前は3日ほど続いて、本当にきつかったのだ。偏頭痛って色々な要因で起きるのはもちろんなんだけど、ストレス、ホルモンバランス、嗜好品などなど。昨日インターネットで調べて分かったのは食料品の具体例。チョコレートなどの甘いもの!チーズ !! カフェイン!!! フランスに来てからよりたくさん摂取してしまうものばかり。ふえ~ん。でもフランスにいる限り、やっぱりこれらは3つとも我慢できないわね。
今朝は朝一シネマに出かけて「l'auberge espagnole」を見る。やっぱり朝一シネマは早起きをするいいモチベーションになる。今日の映画はおととい見た「Photo Obsession / One Hour Photo(原題)」と違っておもしろくて、くすくす笑ってしまった。会ってすぐにキャロが「ミカが絶対に気に入るわよ・・・」って教えてくれていた映画だった。私も大好きなバルセロナに1年間留学するDEAの学生のお話。やっぱり笑わないとストレスはなくならないのだ。
その後Cちゃんと合流、ひと時のおしゃべりの時。HPを通じてお友達になった24才の若い女の子。彼女はもうすぐ私も学んだクリスティーズに入学する。来週、彼女の入学日のカクテル・パーティーに侵入予定。なつかしのA=SやMr.Bにも会えるので楽しみ!
さあ、今からまた結論に取り掛かりましょう。
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■le 18 septembre 2002 
パティシエAOKIさんのお店

昨夜はベアトリスと夕食。オペラ座でクラッシックな待ち合わせの後、近くのカフェでまず アペリティフ(と、言っても私はノン・アルコール飲料だけど・・・)を飲みながら、久しぶりの再会に話がはずんだ。この間の春からフランスにやってきた日本人のだんな様は、今ボルドーのあたりで葡萄摘みを手伝っているらしい。そう、今まさにフランスは葡萄摘みのシーズンなのだ。お給料は現金か現物。彼女たちはもちろん現物を選んだそうだ。いいなあ、ワインがたくさん飲めるって。きっとおいしいに違いない。先日レストランでクレッグが頼んだ上質のボルドーを少し味見させてもらったが、やはりかなりおいしかった。でも私はあれ以上赤ワインを飲んだら、頭がすごく痛くなるのだ。まあ、仕方ないわね、こればかりは・・・。私は4%のシードルでも飲んで我慢するとしよう!ベアは今週末から1週間日本へ出張。次に会えるのはその後。今回の滞在では是非、パリ近郊に住む彼女達のおうちを訪問してみるつもり。
今日も例にもれずいいお天気。午後はフミコと合流して、少々6区をうろうろ。ようやくAOKI氏のお店pâtisserie Sadaharu AOKI (35, rue de Vaugirard)を訪れることが出来た。日本で彼のパリでの活動を扱った番組「情熱大陸」の放送を見てから、抹茶味のマカロンとエクレアが食べたくて食べたくて仕方がなかった。日本では抹茶味というのはかなりスタンダードだけれど、私の大好きなフランス菓子マカロンと抹茶のコンビネーションは興味津々なのであった。店は私がどうしてもなじめなくてやめてしまったパリカトの真ん前。ここはなかなか便利な小粋な場所。小さいお店だけれど、店内はミニマルなデザインで、シャープな印象。美しいお菓子もなにもかもが日本らしい几帳面さで並んでいて、気持ちがいい。今日私はミニマカロン10ヶ入り(10ユーロ )を購入。まだ食べてないけど、夕食後に味見しま~す。楽しみ !!!・・・と、書きつつ、今やっぱり一つつまみ食い。う~ん、これはかなりおいしいです。ピスタチオ風味のマカロンが1番好きな私ですが、2番は抹茶に与えましょう。フランスの「もなか」と称されるマカロンですが、感じとしては厚みのあるもなか皮の中から冷たくない抹茶アイスが出てくるような感じでしょうか。え?ぜんぜん、おいしそうじゃない?でもこれは本当においしいので、ちょっと病みつきになりそうです・・・。
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■le 16 septembre 2002 
お天気

今日はお昼をキャロと一緒に食べることになっていたので、12h30に彼女の仕事場がある13区まで出かける。隣のビルに大蔵省の人だけが利用できる食堂があり、そこでお昼をまたまたご馳走になった。システムは学生食堂と同じ(基本料金で前菜・デザートを2種、メイン1皿、その他は追加料金)だけれど、供される料理の質はぜんぜん違う。こちらは手ごろな値段のレストラン並みのものを並べている。彼女はたっぷり2時間の昼休みが取れるので、私たちはゆっくりとお話をしながら、食後はカフェに移動してまたまた話し続けた。そうそう、彼女は私がいいお天気が連れてきた!と何度も言う。それくらい今年の夏は天気が悪かったそうで、そんな夏を取り戻すかのようにこのところ9月としては考えられないような良いお天気が続いている。サングラスが必要なくらいに太陽はまぶしくて、気温は汗が出ない程度の22度程度。いつまでもどこまでも歩いていけそうな陽気だ。とは言うもののもちろん季節として秋に突入していて、道路沿いにあるマロニエの木がぼたぼたっと実を落としている。ほとんどの実は車に轢かれて惨めな姿をさらしているのだけど、時々落ちたてのを見つけては拾いたくなるのだ。中身は栗そっくりで、とってもつややか。別れ際、キャロは「いいお天気だから公園ででもくつろいで楽しんで!」と言ってくれたけど、私はいそいそとsalle obscureへ。またの名は映画館!とりあえず今回初めて見る1本目はイザベル・ユペール主演の「La Vie Promise」。パスカル・グレゴリーが共演ってのが興味を引いた。まあまあってところでしょうか。時間が出来たら映画の方も更新していくつもりです。
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■le 15 septembre 2002 
早いな~

昨日は結局一歩も家から出なかったのに、あまり仕事は進まなかった。今はスランプ状態かな?頭の中がこんがらがった毛糸みたいになっている。先日聞いた教授の意見は、日本を出る前に完全にまとまっていた私の見解とは違うものだった。論文の構成自体も見直さなければならないかもしれないし、次回の話し合いがおそろしい・・・。彼は何か建築関係の学会で今は時間がとれないらしく、次に会うのは20日前後。すると最終締切までには10日しか残らない。キャロにこのことを愚痴ると「口答試験の際には私も見学に行って、この論文は合格に値するって主張するわ!」だって。嬉しいね~。その気持ちだけありがたく頂いておきましょう。「私はミカの研究の過程をずっと見てきた、その苦労を知ってるし、少なくともそれは評価されるべきだ」って。うん、確かに調査はきつかったな~。あと本読みも。書くことはそれに比べたらそれほど苦労ではない。1年目の論文タイトル変更 “事件”も明らかに教授のミスだし、その時だって謝罪の気持ちは表してもらっていない。まったく彼には温情ってものがないのかね・・・。
午後はジャン・フランソワ君から電話をもらい、オデオンまで出て行く。家の近くから63番 のバスに乗ったが、ちょうどサン・ジェルマン・デ・プレまでやってきたとき、ローラーブレーダーの日曜集会にぶつかってしまった。‘97~98年頃から週に1,2回彼らは警察の誘導のもと、パリの街を一緒に走る集会をしている。楽しそうで何よりなのだが、彼らの集団にぶつかると、車道は完全にブロックされ、一時的に交通渋滞。私はそこでバスを降りて、徒歩でオデオンに向かった。それにしてもまだこの集会が続いているのも大したものだなあ・・・と変に感心してしまった。
JFと彼のGF、カンニちゃんと3人でオデオンにあるパブに落ち着いた。DESSの学生である彼も11月中旬までに書き終えなければならない論文があり、その他にもたくさんの 勉強や研修が同時にあるから、とても大変そうだった。お互いに頑張ろう!ってことで、今日は解散。帰り道、バス停までの途中で超有名なお菓子屋さんMulot (76, rue de Seine 6e)の前を通りかかったので、ついミニ・マカロンを買ってしまった。けっこういい値段である。でもこんな有名な高級な店の中にもハエは何故かぶ~んと飛んでいて、誰も何も対処しないところは、なんともフランスなのであった・・・(苦)。ピスタチオ風味、ヌガー風味、チョコ風味の3つを試してみましたが、おいし~。やっ ぱマカロンはフランスで食べないといけませんね。早く青木氏のお店で抹茶味のマカロン試してみないと !!!
それにしても、今日はもう2回目の日曜日、信じられない早さです。まだ何も大したことをしていないし(観光に来ている訳じゃないからしかたないか!)、何より映画も見ていないぞ!おもしろそうな映画もあまりやってないけど・・・。明日はキャロと昼食の約束。その後に、息抜きに何か見に行こうかな。え?息抜きばっかりって?
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■le 14 septembre 2002 
知らぬ間に・・・

到着してすぐはぜんぜんテレビを見る時間さえなかった。数日前からようやくテレビをつけるゆとりが出てきたので、ニュースくらいは見るようにしているのだけど、なんと南フランスはすごいことになっていた。というのも、今週の月曜日にGard県(県庁所在地はNime)を中心に歴史に残るような洪水が起こっていたのだ。住民の97%が何らかの影響を受けたこの大洪水は今日現在22人の死亡が確認され、3人がいまだ行方不明。街は8月のプラハのように破壊され、これから再建に少なくとも5年はかかるらしい。2年前に南仏を旅行したとき、困っていた私たちを車に乗せて案内してくれたおじさんもきっと被害にあったに違いない。始めたばかりのお宿はどうなったんだろうか・・・。今日は私たちが訪れたユゼスの様子もレポートされていた。毎年フランスのどこかで洪水は起こっているが、今回は本当にひどいものだった。もちろん人命が一番大切なものだろうけれど、長年人々が守り続けてきたものが破壊されるのを見るのもやっぱり心が痛む。
あと、大きな社会問題を引き起こしそうなのはフランス・テレコム(フランスのNTT)のトップがどうにも止められない負債の拡大の引責辞任をしたことだろうか・・・。ドイツ・テレコムも経営難で自転車チームを手放す・・・なんて話も一時あったらしいし、日本のNTTも苦戦を強いられているようだから、元国営企業の状況は世界的に同じということかな。
そしてさらに知らぬ間に、フミコは大切な試験を受けにリヨンに旅立ってしまっていた。試験は明日、日曜日。彼女が納得のいく演奏が出来ますように・・・。
さて、私はというと今日は家で静かに論文の最後の章を仕上げる。昨日のうちに冷蔵庫はかなり満たされて気分はホクホク。家を出るとすぐになんでも買えるし、もう食べることは何も心配な~い。
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■le 13 septembre 2002 
ナオ&クレッグの帰国

11日、私はナオ&クレッグとコルビュジエ作品のサヴォア邸に行く予定だったのをキャンセル。ひたすら家で作業をしてその日のうちに論文の第1稿を教授の家のポストに直接放り込みに行く予定であった。でもここはパリ。朝からやっぱりハプニング。シャッター型雨戸が開かないのである。もちろん電気はつくので作業は出来るが報告はしておこうと、お世話係のKさんに電話をいれてみた。すると今日中にオーナーと修理の人が行くと言う。げ!「今日は大切な仕事があるんです。来られるのは困るんですが・・・」と告げても交渉の余地はなさそうであった。修理自体は小1時間で終わると言う。でもその後にオーナー自らシャッターボックスの修復をするので、もう少し時間がかかるという。げげ。「ま、いっか」と思いつつ、作業を黙々と続けていた。シャッター型雨戸は巻き取る際の最初のパーツが完全に死んでいて、はずれてしまっていたのだった。実は私が到着する前日にも修理をしたばかりらしく、オーナーはちょっとうんざり気味であった。「もし完全に変えるとなるといくらぐらい?」「そうですね~。2000FF(4万円弱、多くのフランス人はまだフランで会話をする、私もまだユーロはだめ・・・)くらいですかね・・・」「え?そんなに?大昔からある(観音開きの)雨戸はぜんぜん壊れないのになあ」「これを(フランスに)持ち込んだのはアメリカですよ」などと二人の会話に耳を傾けながら、案外おもしろい修理の様子に見入っていた。なんとか私の滞在中の大掛かりな雨戸完全取替え工事は逃れて、応急処置をしてもらった。ボロボロになっている1つめのパーツを外して、2つ目のパーツを食い込ませる作戦。応急処置とは言え、まあ、いい感じに直っている。よかった、よかった。でもだったら、最初からちゃんとこういう風にしておけばいいのだ。まったく・・・。修理の間、オーナーと私はちょっと世間話。彼は新しい部屋の購入を考えているらしく、今あちらこちらの部屋を見て回っているのだそうだ。窓を開けるとすぐそこにエッフェル塔が見える小さな部屋はロケーションは悪くないが地上階で薄暗く、サン・ジェルマン・デ・プレは悪くないけど建物が古すぎて改装工事が大変。本当、パリでパーフェクトな物件を探すのは大変。いずれにしても次の部屋も旅行者に貸す部屋だそうだ。
12日、私はナオ&クレッグとヴェルサイユ宮殿に行く予定だったのをキャンセル。なんとか午前中に原稿を作って午後1番に教授の家に向かった。私の登録している大学の本部は13区のトルビアックにあるのだが、彼はその前にそびえたつビル群の中に住んでいる。訪ねて行って初めて分かったのだが、一つ一つの建物にオリンピックの開催地の名前がつ けられていて、教授はなんと札幌館に住んでいた(写真右)。こういう偶然ってちょっと嬉しかったりする・・・。
ポストに原稿を放り込むと今夜はつかの間だけれど息抜きの楽しい時間。今夜はナオ&クレッグの滞在最後の夜なので、今夜は9時まで開いているデパート群をはしごして彼らのショッピングに付き合うことにした。そして最後のディナーなのでちょっと豪勢にということになり、前から試してみたかったTOUPARY(la Samaritaine百貨店の5階)へ二人を案内した。料理もおいしかったし、担当してくれた男の子のサービスもとてもスマートだったし、お店の雰囲気もシックで素敵だし、何よりもセーヌ河を見下ろす眺めが最高です。前菜、メイン、デザートで35ユーロ(4000円くら い)だからフランスでは決して庶民的なレストランとは言えない。せっかくパリに来ていた二人とあまり多くのことを一緒に出来なくて残念だったけど最後にこんな素敵なディナーで締めくくれていい思い出になりました。ありがとうね!ちなみに私は前菜に好物のスモークサーモン、メインにソース物の真鱈、そしてココナッツムースをホワイトチョコで包んだピラミッド型のデザート(pyramide ivoire)を頂きました。
二人は楽しい思い出をたくさん作って、今朝日本に帰国した。二人の大切な思い出に少しでも関われたことを嬉しく思う。さあ、私はこれから月末までがいよいよ大変なんだけど、1日に1つずつ、何かイベントを作って楽しみながらやっていきたいと思います。日本での不摂生が功を奏して私は今、とても早起きです!
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■le 10 septembre 2002 
オララ~

日曜日の夜はすごく気分が悪くなったので、昨日はたっぷり睡眠をとって過ごした。きっとこのところのバタバタと前夜の睡眠不足が原因に違いなかった。でもちょっと元気を取り戻しても、今日の教授との約束の為に、また夕べも睡眠不足である。
外国人であることに容赦をしない私の教授は、今日も今さら無理な勝手なことをひたすら一人でしゃべりまくっていた。途中から超むかついてきたので、返事をする気力も失せてしまった。まあ・・・、でもまあ、不本意でもできる限りのことをやってみるつもり。教授に屈するのではなくて、私はただゴールを目指しているだけだから。明日までに先生に原稿を届ける約束をしたので、今夜も遅くなりそう・・・。金曜の朝には発ってしまうナオとクレッグとの約束をキャンセルしまくって、今夜もトホホな残業の気分です。
・・・と、少々陰気臭いのですが、学校のあとお天気がいいのでず~とモンパルナスまで歩きながら、歩いているだけで楽しい気持ちになるから不思議です。
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■le 8 septembre 2002 
日曜日

パリに到着してすぐに日曜日というのは、あまり良い選択ではなかったかも知れない。昨日ずっと朝から晩まで友人たちの時間が続いていたので、大きなスーパーに行く時間がなかった。この部屋がある辺りにはスーパーも商店もたくさんあるので、食料やごく基本的な日用品は買えるのだが、お気に入りの消耗品は何一つ見つけられない。大きな「モノプリ」や「イノ」に行くとすべて希望の商品は揃うのだが、日本と違ってほとんどのスーパーが日曜日には閉まってしまうから、ちょっと不便。明日まで待たないと・・・。
今日は遅い昼食をフミコと近所でとる。到着の日、彼女は迎えに空港まで来てくれたが、その後用事があったので、あまりゆっくり話せなかったから、積もる話はたくさんあるのだ!その後散歩を兼ねてモット・ピッケ~コメルスへ。やっぱりこの辺りは本当に落ち着くわ~。商店の入れ替わりは今も相変わらず激しいけど、街並みはぜんぜん変わらない。ちょっと田舎臭くて、コメルス駅にあるスクエア(公園)は趣があるし、私は大好き。久しぶりに旧自邸(現フミコ邸)も見学。ここは少々中庭の様子が変わっていて、清潔感がある建物に変身していた。
引き続き、コメルス通りの突き当たりにある私の1番なじみの深いカフェA LA TOUR EIFFEL(ア・ラ・トゥール・エッフェル)でエスプレッソを飲みながら、なんと私たちは出会ってからずっと5時間くらい喋り続けていた。そこへナオとクレッグから夕食のお誘いの電話(私のお部屋には電話がないので、代わりにプリケーを貸してもらえる)。二人にこのカフェまで来てもらい、フミコを紹介した。
夕食はいつものCAFÉ DU COMMERCE (カフェ・デュ・コメルス)で。ここの雰囲気はとてもフランス風なので、二人ともとても喜んでくれていたようだ。その上、二人はフランス人のゆったりとした夕食の時間のとり方(遅くから始めて、長時間かける)に、ひどく驚いていた。ナオは夢にまで見た(?)お魚のスープと巨大なグルメ・サラダを、クレッグはラム肉のステーキを、私はニース風サラダを、おいしく頂きました。私にとっては懐かしい場所での一日。明日からは論文仕上げモードにしばらく突入。
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■le 7 septembre 2002 ナオ&クレッグ et キャロリーヌ
夕べ遅くにタイ航空の別便で大学時代からの親友ナオがニュージーランド人のBFクレッグ君と共にパリに到着。来週の金曜日までの滞在。本当は夕べ到着後、さっそく近くのカフェで盛り上がる予定だったのだけど、ほぼ24時間かけてパリに到着した二人はすでにヨレヨレで(実は私も気絶寸前だった)その予定は今朝に持ち越した。
・・・ということで、今朝はおしゃれなブランチをナオとクレッグと3人で近所のラップ大通 り(avenue Rapp)にあるカフェ・ドゥ・アルマ(café de l’arma)で取った。ここは最近パリでも話題になっているスノッブなカフェで業界人が集まるという話だったが、さっそく大物有名人に出会ってしまった。日本ではほとんど知られていないテレビ司会者なんだけど、ミッシェル・ドゥリュケール(Michel Drucker)といってキャラクターはぜんぜん違うが、その知名度は日本の「みのもんた」ってとこだろうか・・・。私は必ず滞在のたびに映画俳優や有名人に会えるので、けっこうついていると思う。久しぶりの再会が嬉しくて楽しくてしゃべりまくって、あっという間に時間は過ぎてしまう。店を出た後、同じ通りにあるラヴィロットの作品を紹介し、二人とサン・ミッシェルまでRERで移動。私は次のランデ・ヴー、キャロリーヌとの約束に向かった。
今日は天気予報が見事にはずれて暑いくらいのお天気に恵まれた。私たちは最初にいくつか予定していた買い物を済ませたあと、キャロの提案でリュクサンブール公園へ。入り口でキャロおすすめのアイスを購入。今日は再会を祝して、キャロがみ~んなご馳走してくれると言う。いつもながらに彼女の優しさに本当に感謝である!アイス片手に日向ぼっこをしながら(砂ぼこりもかぶりながら・・・)、久しぶりのキャロとの会話を楽しんだ。
その後はオデオンにある私たちのお気に入りの建築関係書籍専門店LE MONITEUR (7 place de l’Odéon)で本を見まくり、サン・ピュルピス寺院まで歩いた。広場にあるカフェ・ドゥ・ラ・メリー(café de la Mairie)の2階でゆっくりとお茶を頂く。ここは知り合いの女性に教えてもらったのだが、1階の舗道にあるテラス席の大賑わいが嘘のように静かで禁煙席になっているので煙草を吸わない私たちにとってはありがたい場所。私たちが2階にあがっていいか?と聞くとギャルソンたちは「2階は禁煙席だよ!」とそれがすごく重大なことであるように声を大きくする。いかに愛煙家が多いかがわかっていただけるだろうか?
夕方6時半に私の家でナオとクレッグと再び待ち合わせをしているので、カフェの目の前から出ている63番のバスに乗って帰路を急いだ。実は今夜は彼らとキャロリーヌと私、4人でキャロおすすめのレストランに行くことになっている。まずは自宅で彼らをピック・アップして、パラディ通り(rue de Paradis)にあるキャロの自宅でアペリティフを頂いてから、歩いてすぐのサン・マルタン運河近くのレストラン、Le Sporting (3 rue de Récollets 10e)に向かった。前回の滞在時にも書いたのだが、このあたりは最近のパリで最も変化の著しい地域の一つ。奇抜なお店や、おしゃれなカフェ、レストランが次々にオープンして、どれも話題を集めている。今日のお店もすごい賑わいで、早めに行かないとテーブルをゲットするのは難しい。カジュアルなフレンチが手ごろな価格で楽しめて、食事の後は運河をお散歩っていうのは悪くない。さて、私たち4人は共通の言語を持たないので、やっぱり会話は英語。幼児並み(トホホ)の英語力である私にとっては不利な展開であったが、なんのなんのみんなの話は弾んでとても楽しいディナーでありました。優しいクレッグは「ミカの英語は遅いだけでOKよ!」と励ましの言葉を頂戴し、単純な私はますます英語も勉強しなくちゃ!と感じたのでした。
ああ、今日はとにかくとても長い1日だった。まだパリに到着して1日しかたっていないのに、もう1週間くらいたった気さえしてくる・・・、不思議。
n.b.昨日の写真を追加しておきました。マイ・ルームです。
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■le 6 septembre 2002 パリに到着
今日パリに到着した。今朝9時40発JAL425便にて関空を出発。いつもより早い出発だったのでCDGにも15時すぎには到着。仲良しのフミコのお迎えを受け、さっそくタクシーでパリ市内の部屋に向かう。
今回はずいぶん前から予約していたキリスト系某女子寮とは意見が合わず決裂して不愉快なキャンセル。その後の最有力候補であった15区の安~いウィークリーマンションは「9月は軍隊優先(安いし、軍の施設が近いからだと思うんだけど…)で予定がたたないので予約が受けられない…」と言われ、色々と探してみたが最終的に個人貸しの7区のステュディオ(より小さいので正確にはstudette)を2ヶ月借りることにした。ステュディオのあるユニヴェルシテ通り(rue de l’Université)はエッフェル塔のふもとから、延々とサンジェルマン・デ・プレまで続く長~い通り、3kmくらいはあるんじゃないだろうか。そして私の滞在する部屋この通りのエッフェル塔寄り、アルマ橋に近い方にある。その下(地図上で)にもサン・ドミニク通り(rue Saint Dominique)、グルネル通り(rue de Grenelle)という長い2本の通りがほぼ平行するように走っていて、中でもサン・ドミニク通りとそこから縦に通るクレール通り(rue Cler …この通りは前から気に入っていた!)は、生活感のあまりないこの7区(行政機関とお金持ちが多いのであまり庶民的な界隈ではない)では貴重な商店密集地。
係りのKさんとは16h30に待ち合わせをしていた。家主さんはNuillyに住み、パリ市内にここを含めて2つ物件を持っていて、それを旅行者に貸しているそうだ。ここは16㎡ととても小さな部屋だが、清潔で、静かで、コンパクトにすべての生活必需品がぎゅーっとそろっていて、とっても満足です。近所の教会から鐘の音が聞こえてくるのも嬉しい。ここが今回2ヶ月だけですが、私のお城・・・。
Kさんから色々と説明を受け別れたあと、私は早速スーパーへ日用品の買出しに出かけ、ご近所を偵察。なじみのあるスーパー(G20・フランプリ・ed)やお惣菜屋さん、有名なパン屋さん・・・と色々揃っていて日常のお買い物にも便利そう。私が利用することになるコイン・ランドリーの場所もチェック。そのあとは早速インターネットの接続。この部屋、電話は置いていないのだが、ケーブルがちゃんと整備されていて、インターネットは使い放題。これがけっこうたくさんある候補の中からこの部屋を選んだ理由でもある。
と言う訳で・・・、ここパリ7区から、これから2ヶ月間の私の行動を記していきたいと思います。滞在中も口答試験が終わるまでは、ピリピリっと気持ちが張ってはいるのですが、まだパリの中でも行ったことのない初めての場所、カフェ、美術館などにも精力的に行ってみたいと思っています!もちろん映画もたくさん見る予定!

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