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30/03/2002

フランス滞在記 2002年3月

le 6 mars 2002 573日ぶりのパリへ
1年間の休学のあとパリ第1大学に復学して、現在は修士論文「シャルル・プリュメ(1861-1928)の建築作品」の提出を目指している。今回の3週間のパリ行きは論文を書き始める前の最後の確認と未回収の情報調査、担当教授との面談、改めて作品の写真撮影などなど…主に、というかほとんど完全に論文のための旅。が~、なんたって私にとって19ヶ月ぶりのパリです!時間の許す限り楽しんで、体力の続く限り歩いて、次へのエネルギーに・・・と密やかな野望・・・。
さて今朝は早朝に家を出て、関空へ。12h45発JAL435便で関空を出発。12時間の長時間フライトも最近では座席についたモニターで映画やテレビゲームを自由に楽しめるので、ほんの少し早く感じられるようになった。今回はおもしろい映画があまりなかったので、オセロゲームにはまったはまった!おかげで目がウサギちゃんになってしまいました。
荷物があまりにも多いので(ほとんど資料と機材関係)、CDG空港からタクシーに乗ったのだが、ここで初めてユーロを使用。シワ一つ入っていないこの新札は、なんだかまだまだおもちゃの貨幣のよう。慣れるのには少し苦労するかも・・・。運転手さんもおつりの小銭を数えながらブツブツ言っていた。ところで、このところの円安、貧乏学生にはけっこうこたえますね!
夜の7時くらいにようやく今回のお宿(ウィークリーマンション)HOTEL PACIFIC (77, rue du Ruisseau 18区) に到着。親切そうなムッシューとマダムに迎えられ409号室(日本でいう5階、エレベーターなし!)の鍵を受け取る。
荷物を解く間もなく、日用品と夕食の買出しに閉店前の近所のモノプリに駆け込んだのだが、そこでとんでもないハプニング!!!大したものも買っていないのにレジの兄ちゃんは137ユーロだと言う。フランの感覚が染み付いてしまっている私には、とっさにそれが日本円でいくらなのかが分からなかった。頭の中で137×120円(おおよその計算のため)・・・、空港からのタクシー代(だいだいいつも5~6千円)が36ユーロだったし・・・などなど考えながら、とりあえず「いったい、いくらやねん!」と思いながら言われるがままお札を渡してしまった。そのあとすぐにレシートを良く見ると、みんな1とか2とか5とかそんな数字なのに、一つだけ93なんていうのがある。それは・・・パンプルムース(グレープフルーツ) !!! 93ユーロのグレ~プフル~ツウウウ !!! なんと“11160円“ そんなグレープフルーツ聞いたことない。すぐにお兄さんに言いに行ったら「僕もおかしいと思っていたんだ」だって!ちょっと疑わしいが「Excusez-moi, c’est ma faute」と言うので許してあげるしかない。しっかしけっこう冷や汗ものであった。
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le 7 mars 2002 日常の風景
今日は約束が一つキャンセルになり、出鼻をくじかれた感じになったので、ゆっくりとカフェ・クレームでも飲みながら、今後の予定を練り直すことにした。
まずはl'officiel des spectacles(ぴあやウォーカーのような情報誌)を手に入れて、どうしても見たかったいくつかの映画の上映時間をチェック。今回の滞在では予定がぎっしりとつまっているので映画は控えめにするつもりだけれど、どうしても時間を作ってでも見たい映画がいくつかあった。予定表の隙間に映画の時間を作って書きこんでいった。最初の週はとりあえず、絶対の3本を見るつもり。
午後からはやっぱりコメルス通りに行ってみたくなった。私が4年半住んでいた想い出深い場所である。通貨はフランからユーロへと劇的に変わったけれど、パリはぜんぜん変わっていない。日本にいると遠くのパリを懐かしく思い出していたけれど、実際にここへやってきてしまうと1年半ぶりなんて時間の経過をまったく感じることがないくらい、ずっとここにいたような気がする。なんか不思議な感じ。ただ確かにパリは変わっていないのだけれど、小さな変化は気になる。駅の名前が変わっていたり、なじみのスーパーやお店がなくなってしまっていたり・・・。コメルス通りの商店街も次々にお店が変わっていくので、前に何が入っていたのか思い出せないところもあったりする。セーヌ河沿いの高層ビル群(ボーグルネル)の中にあった赤いビルのホテル日航もNOVOTELに変わっていて驚いた。こういう変化は旅行者には小さなことだけれど、一抹の寂しさを感じずにはいられない。
さて、今夜はさっそく昨日から公開の「Nid de Guêpes」 を観た。出ている役者の名前(ブノワしかないだろ)につられて観たけれど、内容はぜんぜん私好みではない。かなりのバイオレンス映画で、私はちょっと気分が悪くなりました・・・。
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le 8 mars 2002 再会
今朝はまず、9時20分にJFと地下鉄サンジェルマン・デ・プレのホームで待ち合わせ。毎日たくさんの授業があるDESSの学生である彼は、滞在2年目からの友人。来週、改めてゆっくりと会う予定だけれど、とりあえず彼に預かってもらっていた私の学生証(今年度のinscription pédagogiqueはパリにいない私に代わって彼が行ってくれた)がすぐにも必要なので、登校前に受け取ることになった。10分ほどの立ち話のあと、12時半からの大学の講義まで時間があったので、カフェで一杯エスプレッソを引っかけたあと、レンヌ通りをモンパルナスへと下っていった。このレンヌ通りから少し入ったところにある女子学生寮に今度3ヶ月間、滞在することになっている。どんな感じか立ち寄ってみたが、なかなか立派な建物で今から生活がとても楽しみ !!! ところでパリ到着時は雨が降っていたけれど、昨日からとてもよい天気になった。今日なんかはむしろ暑いくらいで、このままいい天気が続いてくれるといいんだけれど・・・。
一度宿へ戻って、日本から持参した死ぬほど重い論文資料をリュックにつめて、Micheletにある大学へ向った。学生気分を取り戻そう?と担当教授の授業には(必要はないが)出席してみることにした。講義は私の論文テーマとは離れたもので、戦後ヨーロッパの都市計画に関するもの。でも疲れていて眠すぎ・・・ってのが本音でしょうか・・・。実は講義のあとに先生と論文の打ち合わせができれば・・・と思って資料を持参したが、結局は明日の朝10時に改めて出直すことに。「前もってメールで言っておけばよかったね・・・、そうすればその重たい荷物を持ってこなくてすんだのに・・・」と言ってくれたが、「そうですよ!」とは言えない。なかなか多忙な先生は思う通りにはならないものです。明日は1日建築の撮影(これも論文用)に当てるつもりだったが、少しずつ予定がずれていく。まあ予想はしていたけれど、やっぱり少し長めに旅程を組んで正解だった。
夜は大蔵省に勤務する親友キャロリーヌとの再会。まず13区にある彼女の職場で落ち合ったあと、少しの時間も無駄にしないパワフルな彼女の提案で、近くにある Butte aux CaillesやCité Floraleなどを足早に散策した。この界隈は交通が少し不便だけれど、とてもピトレスクで素敵な家々がたくさん残っている。とくに建築ファンでない人でもパリの秘密の散歩道として楽しめることは間違いなしです。5, place Paul Vertaineにある市民プールもボニエの作品で一見の価値ありです。
散策の後はButte aux Caillesにある彼女のお気に入りの小さなレストランでバスク料理をご馳走してもらった。sud-ouest(南西の地域)の料理は安くて量も多いので、若い人を中心にとても人気がある。サラダなんかでも30センチはありそうな巨大ボウルで出てくるのだが、サラダ菜を始め、いも、生ハム、タマゴ、チーズなどなどがてんこ盛。私は残念ながら、一度も食べきったことはない・・・。大食いに自信のある人には是非おすすめしたいsud-ouest料理です。ってことでキャロとは色々話も尽きないのだが、おねむになってきたので解散。また月曜日の夜に会うことになった。
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le 9 mars 2002 教授との面接
今朝はなんと4時半頃から起きてしまった。日本との時差と毎日疲れきっているので、そのまますぐにバタン!と寝込んでしまうことが多いからだろうか・・・。色々貪欲に時間の使いたいのは山々なんだけど・・・、もう歳でしょうか、体がついてきましぇん。
こんなに早起きしたのに、ずっとコンピューターに向っていて、10時に待ち合わせした論文指導教授との約束には、なんと少し遅れてしまった。でも超重のリュックをしょって、ぜいぜい息を切らせながら登場した私を先生は笑顔で迎えてくれた。なんだか以前よりも話しやすい雰囲気なんだよな・・・。もちろん、いいことなんだけど、お互いの苦手意識もこのところのメール交換でちょっと薄れてきたのかしら?少々雑談をしたあと、本題に入る。私の持参した資料を1ページずつコメントしながら丁寧に見てくれた。全部見終わったあと「よく調査できているね」とお褒めの言葉を頂いた。時計をそっと見ると、もうすでに2時間が経過していた。コーヒーブレイクのあと再開。出発前に提出したplan de travail (計画書)についても大まかなところは同意してもらえた。でも次々にあれもこれもやってみなさい!と簡単に言ってくるが、私には時間的な問題や語学能力を無視した無理難題に聞こえる。一応「努力してみます」とは言ったが先生が希望したもう1章追加は厳しいわあ。あと隣の部屋にある合格論文を保存した図書室で見本になるような論文を紹介してもらった。先生の一押しは数年前に合格した博士論文で、プリュメとほぼ同世代の建築家・アンリ・ソヴァージュのmonographie。博士と修士では求められるレベルもボリュームも全然違うが、私のも建築家のmonographieになるので、確かに論文の進め方は参考になる。閲覧は決められた日にしか出来ないので、また改めて見にくるつもり。すべての話し合いが終わった時、時計はすでに2時前。おおお!長い面接であった。次回は金曜日の授業のあと。
午後からはあまり時間がなかったので、プリュメの作品を2つだけ見に行って終わり。続きは明日。お天気はなんとか持つらしい。
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le 10 mars 2002 忍耐の建築撮影
今日は午前中に時間の決まった約束がないので、ちょっとだけゆっくりできた。今日は日曜日だけれど、宿のある界隈は朝からとてもにぎやか。多くの商店やスーパーも午前中だけ店を開けているので、日曜日のご馳走を買い求めるお客でにぎわっている。最寄りの駅は地下鉄12号線のJeles Joffrin。駅前には18区の区役所、すぐそばにはサクレ・クール寺院があり、路線バスもたくさん走るモンマルトルでもとても便利な住宅地である。特に駅からホテルのあるほうにむかってのびているポトー通りはたくさんの商店がたちならぶ庶民的で楽しい通り。モンマルトルと言えば観光名所のイメージが強いけれど、こういう観光客が来ない住宅地の部分もたくさんあるのだ。ちょっとした街角の風景はモンマルトルらしい古いパリのイメージを残しながらも安全で便利だし、なかなか生活しやすい所だと思う。
さて今日のメインイベントは・・・、天気も良いのでプリュメ建築を撮影。もう今までにもすべての写真を撮ってあるけれど、今度はクリスマス前に購入したデジタルカメラDIMAGE7撮影しなおそうと思っている。それにいろいろ資料を読み進めていくうちに詳しく見直したいところも色々と出てきた。今回はできるだけオートロックになっていてコードがないと入れない共同扉の内側、玄関ホールの装飾部分をぜひ写真に撮りたいと思っているので、中から出てくる住人、または入っていく人を待つ作戦。けっこう忍耐が必要なわけです。今日は寒くて待つのもこたえたけれど、最終的にはほとんどの建築に入れたので大満足。古い資料の白黒写真からは想像が難しかったカラーの実物が目の前に現れたとき、とても感動してしまいます。幸せを感じるひと時ですね。
ところで私が話しかけた時の人々の反応は様々。「論文に必要ですので中のホールの写真を少々撮らせていただけますか?」と言うと、笑顔で「もちろん!」「どうぞ、どうぞ」と言ってくれる人、眉間にしわを寄せて「だめだめ!」「外の写真を撮ればいいじゃないの!」と断る人、声が聞こえていてもあからさまに無視をしていく人・・・。こんなお願いは私だってあまりしたくないけれど、まだまだ続くのです。
夜は楽しみにしていた映画「La Pianiste」を見た。昨年のカンヌ映画祭でイザベル・ユペールとブノワ・マジメルが主演賞をダブル受賞した話題の作品であった。暗い重いテーマだけれど、見応えのある作品だと思いました。ワルターのエリカへの気持ちは私にはけっこう不可解なもの(無理がある)だったけれど、みんなはどう思うだろう。エリカはあの後どうなったのかな・・・と考えずにはいられない・・・。
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le 12 mars 2002 新しい発見
今日はまずパリのとなり街、高級住宅地であるNeuilly-sur-Seineの市役所でアーカイブ担当者Melle Hayeと会う。私の調べているプリュメという建築家は、主にパリを中心に活躍したが、この街でも彼のキャリアにとって重要な個人住宅を二つ手がけている。しかし残念ながらこの二つは図書資料も豊富ではない上、残念ながら1つはすでに取り壊されており、実物を見るのは不可能だし、もう一つは今のところどんな建築なのか、まだ残っているのかさえまったくの謎!市役所内のアーカイブでは建築許可の申請書や申請時に提出した図面などが保存されているので、それらを見せてもらうことになっている。パリの古文書館では以前からこの手の調べ物をよくしたが、このほこりっぽい古びた資料箱を開ける瞬間というのはなんともドキドキ、ウキウキするものだ。建築家の肉筆の手紙や図面、スケッチ等を目の前にし、手にとる時、なんとも不思議な縁と言うのか、そういうものを感じずにはいられない。だっていったい何人のフランス人がこれを手にして見たことがあるだろうか。それをはるか遠くの日本からやって来た私が手にしているなんて…、ねえ?
ラッキーにもまったく情報のなかった方の作品については書類や図面が残っていたので、図面は写真撮影をして、書類はコピーをさせてもらった。それにしてもパリの古文書館とはまったく比較にならないほどのカジュアルさで書類を扱ってるなあ。もう1つのほうは残念ながら大したものは何も残っていなかった。
2時間くらいの作業のあと、今見たばかりの図面の作品(まったくの謎の方)の住所を訪ねて行く。この市役所から歩いていける距離だが、今日はあいにくの雨。が~、ありました、ありました !!! たった今、図面で見たばかりの邸宅が見えてきたのです。ちょっと情けない姿にはなっていたけれど、ちゃんと残っているとは感動的です。入り口を入ると、敷地の奥にももう1つ建物がわかれて建っているのですが、これはもともとこの邸宅の廐舎だったところ。今はブノワさんという人が住んでいるみたいです。この建築に関しては、今日の大収穫と言えるでしょう。
このあと中途半端に時間が空いてしまったので、これまたパリの隣町デファンスからトラムウェイに乗ってPuteauxに向かう。この街の旧墓地にプリュメのお墓があるのだ。別にお墓参りに来たわけではないのです。でもお墓を見ると時々重要な情報が手に入るから・・・。実はプリュメのプライベート・ライフについては、ほとんど情報がなくて困っているのだ。通りを挟んで新旧に分かれている広大な墓地から、たった1つのプリュメの墓標を見つけるのは気が遠くなる作業なので、まずは墓地の管理人室を訪ねた。突然の外国人の訪問にちょっと驚いたように目を丸くしている おじいさん管理人にプリュメの名前と埋葬日を告げると、書棚から古い資料を出してきて「ゾーンZ、1列目、28個目の墓標だよ・・・」と親切に教えてくれた。残念ながら期待していた情報の収穫はなし。誰もお参りに来ていないような淋しいお墓のように感じたけど・・・本当にミステリアスなプリュメ・・・。彼の人生について1章を書くなんてとても無理じゃないだろうか・・・。
デファンスに戻って簡単に夕飯を取り、15区の果てにある(旧家の近く)名画座で「Ma femme est une actrice」を見る。楽しみにしていたシャルロット・ゲンズブールと彼の夫イヴァン・アタルが共演したコメディタッチの映画はイヴァンの初長編作品でもある。まだ見られてよかった!日本ではまだ当分見られないらしいもの!
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le 13 mars 2002 建築探検隊
今日もなかなかよい天気になったので、パリの古文書館に行く予定を変更して建築撮影を完了した。午前中から出て、撮影が全部終わったのは夕方遅くだった。まだいくつか取り直したいファサードがいつくかあるものの、一応すべてのプリュメ作品の再撮影を完了!まだ慣れない新しいカメラは扱いが難しく、写真としては満足いかないものばかりだけれど、もうそんなことを言っている元気はなくなってきた。論文用資料写真として使えたらそれでいいかな・・・とちょっとヨワヨワ。ずっと液晶を使って撮影しているとものすごい早さで電池が消耗するし、ファインダーをずっとのぞいていると、目が疲れて、もうピントが合っているのかどうかさえ分からなくなる。でも今日も、どうしても見たかった建築の中に頼み込んで入れてもらって、個性的な装飾を持つ玄関ホールの撮影ができたので、それにはとても満足しています。
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le 14 mars 2002 fête
早すぎるもので、もう1週間がたってしまった。なかなかすべてのことを完璧にするのは難しいけれど、時間が限られているっていうのは本当にプレッシャー。予定を順調にこなしていても、やらなければならないことがどんどん出てくる。今日また新たに、プリュメがパリ郊外に手がけた作品に関して、新しい発見があったので、これについても是非情報収集をしたいと思っている。新しい発見はとても嬉しいのだけれど、こんな風にあっけなくまったく知らなかった作品が出てくると、他にもまだたくさんあるのかも・・・と、とても不安になる・・・。
今日は午後から大学の論文保管室に過去の論文を見に行くので、午前中は中途半端に時間ができた。せっかくなので半額になる朝一番の上映を見に映画館へ行 く。観た作品「sur mes lèvres 」は先日行われたセザールで主演女優賞を獲得した話題の作品だ。なんだか今日も流血もので、今回見ているのは 「Ma femme est ・・・」以外痛々しいものばかり・・・。血だらけは本来私の好みではないんだけれど・・・。
映画の後、週に2回だけ、14時から開く論文保管室で論文を見る。先日先生が「是非参考にしなさい」と教えてくれた論文は本文だけでも300ページ以上、全部で4冊にも及ぶ博士論文である。もちろんそんなものを読みきれるわけではないのだが、構成などを参考したい。特にbiographieの部分。この論文を見ながら、やらなければならないことをまた思いついた。明日先生に会うので、色々聞かないと!
さて今夜のお楽しみ!はキャロリーヌ&マガリ邸におよばれ、ウエルカム・パーティである。キャロとマガリ、ミリアムとその彼ニコラ(初めて会う)、ジャン・フランソワとその彼女カンニ(初めて会う)。親しい人ばかりのパーティで話がはずみ、とても楽しいひと時でした。今週末からキャロは1週間のスキーに旅立ちます。途中、すごい雷雨だったけど、帰りには止んでくれて雨にあたらずにすんだ。暖かい日が続いていますが、これでまた春が一歩近づいてきたんでしょうか・・・。
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le 16 mars 2002 本格的な夕食
長期の旅行をするならキッチン付のステュディオを借りるのは絶対におすすめですが、別にキッチンがあるからと言って毎日自炊をしているわけではない。観光客ではないし、貧乏学生としてはなるべく食費は控えめにいきたい。でも毎日の予定が目白押しで、疲れて帰ってきてから食事の用意をするなんて、よほどの気合がないと無理。だから食べているのはスーパー調達のインスタント食品とかパスタ、果物、パン、チーズなどなど、朝はもっぱらシリアル。なんかろくなものを食べていない気がする。
ってことで・・・ってわけではないのだが・・・、今夜はこちらに来て初めての本格的なディナーをもう10年近い付き合いになるベアトリスと食べることになった。私たちは今夜、地下鉄メニルモンタン駅で落ちあい、11区にあるOberkampfにあるCHEZ JUSTINE (96, rue Oberkampf )を選んだ。とにかくこの界隈は最近とても人気の高い界隈で、古いお店の雰囲気を生かしたおしゃれなレストランやカフェが多い。どこもかしこも食事時になると(こちらは8時、9時頃から)満員状態!料理はいわゆるソースもののフランス料理ではなく、気取らない定食屋って感じのレストランが多い。私は前菜にプロバンス風タルト、メインには蜂蜜・香料入りポーク煮(豚の角煮のような・・・)&マッシュポテト、デザートにはクレーム・ブリュレ、そしてラストはエスプレッソでしめる。定食屋でも一応コース料理である!なんだか久しぶりにちゃんとした食事を食べたって感じであった。こちらへ旅行されることがあれば是非おすすめおすすめのスポットです。ひしめき合うテーブルでひざを突合せながら、タバコをくゆらせながら・・・、のどがかれるほどおしゃべりに花が咲く・・・フランス人の生態が間近で見られます。
明日は郊外の(って言ってもメトロで行けるんだけれど)美術館に調査へ出かけます。あ~、ねむ~。
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le 17 mars 2002 進まない仕事
今日は日曜日。私の用事のある図書館も古文書館も土日はあいにく開いていない。写真撮影も終わったので、今日はブローニュにある musée des années 30 (1930年代の芸術を扱う美術館)に行ってみた。美術館内には資料館があり、ここでプリュメがブローニュで手がけた彫刻家ジョゼフ・ベルナールのアトリエに関する情報を手に入れたかった。しかし開いてはいたが「予約がないとだめ!」とのこと。(HPにはそんなこと書いてないじゃないか !!! ) しかたがないので一番早い予約可能日、来週の水曜日に予約をして美術館を後にした。ただせっかく来たのでこのまだ見たこともないアトリエ建築自身の写真だけは今日のうちに撮っておこうと街を歩いていると、あちらこちらに見るべき30年代建築の案内看板が立っている。さすがフランスだな!と、これは感心してしまった。目的のプリュメのアトリエ建築はたいしたものではなかったのだが、本当にあちらこちらに30年代建築が・・・。思わずまたまた建築探検隊に変身!アール・ヌーヴォー建築が当時、パリの西端16区、17区に多く建てられたように、飽和状態のパリの外へ外へ・・・と30年代建築は広がっていったのですね。ここでは市役所を始め、主要な行政建築もほとんどが30年代建築です。
夜は15区の名画座へ「L’intimité」を観にいく。昨年のベルリン映画祭で金の熊賞を受賞したパトリス・シェローの話題作!のはずだったんですが・・・、外国語の映画でフランス語の字幕で観るって言うのは、私にはかなり厳しいのですね。字幕を見ないと耳からはほとんど理解できないわけで、その頼りの字幕が読みきれないままに、どんどん消え去っていくのですから・・・。今回は特にほとんど理解しきれないままに終わってしまって、とってもとっても残念。
忙しさのあまりすっかり忘れていたのですが、フランスといえば自転車(私だけか?)!シーズン到来を告げるパリ-ニースが先週から始まっていて、今日ゴールだった。先週のパリ出発をパリにいながら見逃してしまったのもショックだったけど、今日も知らない間に終わっていてますますショック!まあ、仕方ないよね・・・。今回は・・・。
明日からは昼間はずっと図書館や古文書館に缶詰の一週間です。
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le 18 mars 2002 憂鬱な雨
今回パリに来てから小雨はよく降っているが、今日は本格的な雨が1日降り続いた。こんな日は憂鬱だし、本当は家でごろごろっとしていたいところだが、予定通り19区の果てにあるパリ市立古文書館(Archives de Paris)へと出かけた。月曜日の今日は午後からの開館なので、5時半の閉館までに全部できるかわからないけれど、できればここでの仕事は今日で終わってしまいたい。ここにはいつも建築許可申請の書類を見に来ている。この申請書類を見れば色々な情報が手に入るし、書類と一緒に提出されたプランも保存されているので、それはダイレクトに撮影。なんだか時間に追い立てられるように閉館の夕方5時半ぎりぎりまでかかり、今まで見つけられなかった3つの建築に関する書類をようやく発見!今日はそんなで、一応目的を果たせて満足な私です。
明日はマレにあるパリ歴史図書館へ・・・。晴れるといいけど・・・。
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le 19 mars 2002 BHVP
今日も朝からずっと雨が降り続いてしまった。朝早くから図書館へ行こうと思っていたけれども、ちょっと雨のせいでくじけてしまった。ようやくお昼前にパリ歴史図書館(BHVP : la bibliothèque historique de la ville de Paris, 24 rue Pavée 4e)へ出かけた。ここは研究者や学生でなくても誰でも利用できるパリに関する歴史的な資料を多く収蔵している図書館で、私も頻繁に利用していた図書館の1つである。他にもいくつかよく利用した図書館(BNやDOUCET)があるが、ここは一番アットホームな雰囲気で、システムが古風で(これは時々欠点でもあるが・・・)、閲覧室もとても美しく、鳥のさえずりなんかを聞きながら勉強が出来るので、けっこう気に入っている。今回はいくつかまだ見ていない古い図書資料がここで見られるので来てみた。どうしても本の中の写真を手に入れたいので、あさってに写真撮影の予約をした。(新しい図書資料ならコピーをさせてもらえるが、私が見ている100年くらい前のものは、コピーはほとんどさせてもらえない)。結局4冊頼んだうち、1冊は製本中(痛んだ本を再製本中)で見られず、1冊は他の誰かが閲覧中で、2冊しか見ることは出来なかっただが、一番重要な資料は撮影の予約をとれたので、とりあえずはホっとしている。なんとも効率の悪いことですが、これがフランス生活の忍耐の部分です。この続きは今度の木曜に・・・、朝から本読み、午後から撮影の予定。
今夜は久しぶりにマビヨンにある学食 (Restau U, 3 rue Mabillon 6e)で夕食を済ませた。お値段はいまだに1食2.4ユーロ(約230円)ぜんぜんおいしいわけではないけれど、やっぱりこの量と値段は魅力 !!! 学生はこの値段で、学生証を持たない一般人でも4.8ユーロ(2倍の値段)で利用できます。
食後、1階のカフェテリアでエスプレッソを飲んだ後、帰路についた。途中、オルセー美術館を経由して帰ったが、今ずいぶん大掛かりな改修工事をしているみたいだ。中は見学可能ですが、メインエントランスがすっぽりと覆われていて、観光に来た人にはちょっと残念な姿です。
今日は早く戻ったので、コインランドリーへ。ああ、もう1週間で帰国なんだね・・・。信じられない・・・。
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le 21 mars 2002 疲労と睡魔
今週に入ってからどうも雨が続く。本当、先週のうちに建築撮影を全部済ませておいてよかった。昨日からかなり本格的な雨で、その上風も強いので、そんな中を歩かなくてはいけないのはとても不愉快。パリと言えば傘をささない人が多いので、私も少々の小雨では傘をささなくなったけれど、昨日今日はとてもそういうわけにはいかない程度の雨。
昨日はブローニュのmusée des années 30 へ、日曜に見せてもらえなかった資料を見に再訪。今回は(予約のおかげで?)親切に応対してもらえて、資料室で閲覧させてもらったあとは、隣にある市役所のアーカイブへ申し送りまでしてもらえた。アーカイブで保存されている図面を撮影して、今日もスムースに作業終了。おかげでちょっと市役所周辺(メトロでは9号線のMarcel Sembat)を散歩することができた。このあたりは再開発の最中のようで、昔からあるメインストリートの脇には工事を終えたばかりの建築や工事中の建築が目につく。今までゆっくりとウィンドーショッピングをする暇もなかったが、昨日は夕方のひとときここの真新しいショッピングセンターを見て歩いた。ただし、疲労で重たい足をひきずりながら・・・。
今日も憂鬱な雨の中、お手製のサンドイッチを持ってパリ歴史図書館へ・・・。これまた予約をしていた資料の写真撮影。これも比較的早く終わったので、今日は夜遅くまで 開いているデパート群を巡ってみた(木曜日はnocturneと言って主要なデパートが夜9時または10時まで営業時間を延長している)。ただし、疲労で重たい足をひきずりながら・・・2。家族へのお土産くらいは選びたいと思っていたけど、何も買いたいな、あげたいな・・・と思うものがなかった。これだけ商品が並んでいるのに、本当に欲しいと思うものは、何もない・・・。
今までの気の張りが取れてきたのか、疲れが出てきたのか・・・。とにかく日に日に眠くて眠くてたまらない。けっこう日本ではふにゃふにゃの生活をしていたので、急にこんなに頑張った生活をすると、体がついてこられないのだろう。1日くらい部屋で休養したいけど、もったいなくてそんな気にもなれないし・・・。この日記もけっこう首を振り回しながら寝ながら書いています・・・から誤字脱字は許して~。
明日は国立古文書館へ行く予定!
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le 22 mars 2002 Quelle journée !!!
今日はとても疲れていたので夕方帰ってすぐに寝てしまった。なんともむなしい1日でもあった。先生に会えるのも今回の滞在中最後だと思い大学に行き、先生の授業の後に少しおしゃべり。でもこの先生は態度や気分にむらがあって、私にはとても難しい相手である。今さらまだ「これも、あれもしないと駄目だな・・・」と言うので「来週の木曜の朝には発つのでちょっと難しいです」と答えると「もう帰るのか?」なんて言うのだ。今までに何度も3週間だって言ってあるじゃないか!その上、今から国立古文書館へ行くという私に「あそこは今とても手続きが複雑になっていて、行ってもその日の内には資料を見られないよ」なんて言う。じゃあもっと早く言えよ !!! と思いませんか?みなさん。
仕方がないのでまずはオルセー美術館の資料室へ向かう。ここでは期待した収穫なし。そのあと先生に今さら「行って来なさい」と言われた装飾美術館の資料室へ。受付で聞いたところ資料室に電話を回してくれたが「申し訳ありませんが、年内一杯は工事中の為、資料の閲覧は一切不可能・・・」とのこと。なんだ、それ?そして最後に工事中のため旧国立図書館の方へ移動している国立古文書館まで行くと、今日の受付は終わってしまったので担当者はいなかったが、登録や閲覧資料の予約は月曜日に出来るという。ただし29日まではもう予約が一杯で席はないそうだ(その日、私はもう日本・・・)。一時的に設けられているよその施設内の閲覧室のため、十分な席が用意されていないわけだ。さすがフランス !!! 順調に100%のことが出来るとは思ってはいなかったけど・・・。とりあえず月曜日に行って見るつもり・・・。
その他にもいくつかコンタクトを取っていた施設があったが、何も有力な情報や資料を持っていないという返事ばかり。と、いうことで足を運ぶまでもないらしい。
ちょっとお疲れ~。
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le 23 mars 2002 久しぶりの晴天
何もノルマのない週末、幸せ。天気もいいし、最高!に、眠~い !!!
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le 24 mars 2002 お呼ばれの日
今日は日曜日。ミリアム&ニコラのカップル邸に昼食のお呼ばれです。ミリアムとはキャロリーヌを通じて知り合い、3人でプラハにも行ったし、一緒に食事をしたり・・・と仲良くしてもらっている。彼女が日本に出張で来た際、休暇を取って関西まで来てくれて以来、特に仲良くなった。彼女はすごくチャーミングでセンスもいいし、性格もとても可愛らしい人。その上、想像を絶する秀才。これまで大蔵省のとても重要なセクションにいたのだが、今年度は休職してE.N.A. 国立行政学院(高級官僚養成のための高等教育機関でグランゼコールの1つ)の受験に向けて予備校で猛勉強中。私が日本に戻った後に知り合ったニコラと付き合い始め、数ヶ月前から ベルヴィルにアパルトマンを購入して一緒に暮らしている。ニコラにもこの間のキャロ邸のパーティで初めて会ったが、とても優しい男性。私が国立古文書館に行きそびれてしまった話をすると、お姉さんがその手の仕事をしているので、コンタクトをとってみよう!と自分からすぐにお姉さんに電話をかけてくれた。「もちろん何も僕のほうからは約束は出来ないけど、うまくいくといいね!」って。本当に親切!持つべきものはやはり友よね・・・。ところでこの彼もまた信じられないくらいすごいキャリアの人で、つい最近ワシントンにある世界的に有名な機関への採用が決まり(天文学的な難関)、来年度からの海外勤務が決まっている。ともかくなんだかすごいカップルなのです!なのにとてもサンパだし、ミリアムもお料理が上手だし、ニコラは自分でアパルトマンのブリコララージュを手がけてしまうし、頭の良い人たちは本当、なんでも出来るのね!前のミリアム邸がそのまま移動してきたような素敵なインテリア(マリ・クレールばり)に囲まれて、上品なレストランのようにセッティングされたテーブルで手作りのお料理を気持ちのいい人たちと頂く・・・。うーん、すごい絵に描いたような理想的な日曜日でした。私も早く自分のお家にこうやってお友達を招いて日曜日の午後を過ごしたいものです。
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le 25 mars 2002 体調不良
滞在の日も残り少なくなってきた。先週金曜日のドタバタからやらなければならないことが急になくなってしまったので、不本意だけれども出発までの数日は自分のために使うことが出来そうだ!
午前中は気になっていた「千と千尋の神隠し」がグランプリを獲得したベルリン映画祭で銀の熊賞に選ばれたフランソワ・オゾン監督の「8 femmes」をクリシー大通りへ観にいく。映画は豪華なカトリーヌ・ドヌーブやイザベル・ユペール、ファニー・アルドン、エマニュエル・ベアール、ジルヴィニー・ルドワイヨンなど超豪華な、文字通り8人の女優陣がミュージカル仕立てで織り成すドラマ。舞台でも見ているような演出がけっこう面白かったのだが、なんか見終わったあとに気分が悪くなってきて、風邪でも引きそうな感じだった。今日は無理をしないで、風邪薬と大量のビタミンCをとりながら、家で食事でも作りながら、おとなしくしていることにした。
楽しもうと思ったとたんに休養か・・・。でも出発の日に苦しいのは絶対にいやだもんな・・・。
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le 27 mars 2002 出発前日
無理をしないで、早めのお手当て!そのおかげで風邪はひどくならずに終わっていった。
昨日も結局風邪のせいであまりたいしたことは出来なかったが、出発前日(今日)が忙しくなりそうだったので、帰国の準備なんかも一応はしておいた。と、いうのも、昨日ニコラから彼のお姉さんマリー=エレーヌのメールが転送されてきたのだ。なんでも国立古文書館の事務局で、今日特別に閲覧を許可してくれるというとんでもない朗報であった。さすがフランス、コネの国です。
さて、そんなこんなで迎えた最終活動日。まずは午前中には神戸在住のYさんと彼女のホテル・ロビーで初めてお目にかかることになっていた。彼女はフランス語の翻訳家・通訳として活躍され、何冊かご自身でも本を出されている、私にすれば憧れの職業をされている尊敬すべき方。昨年から参加しているフランス関係のサイトで知り合ったのだが、偶然お仕事で来仏されているというので、お時間を作っていただいたのだ。少々遅れてしまったにもかかわらず、とてもにこやかに迎えてくださって、色々なお話を聞かせていただいた。フランスの話、お仕事の話・・・などなど。やはり共通の興味がフランス!ということもあって、何を伺っても興味深い。私にとってはとても有意義な朝のひと時であった。予定よりもたくさん時間をとってくださって、どうもありがとうございました。日本での再会を楽しみにしています!
ホテルのあったサン・ミッシェルから、国立古文書館まで徒歩で向かう。受付の女性が担当のセクションまで連絡をしてくれたが、私のお世話をしてくださる女性は午前中に重要な会議が外であったので、午後の2時までここには戻らないらしい。じゃあ、ってことで昼食でも食べておこうかな・・・と近所を散策。お手ごろな中華惣菜店(その場でも食べられるので便利!)に入って食べていると、二人のフランス人女性が入ってきた。「あ、この人知ってる・・・」とすぐに思った。それはなんと先日観たばかりの「sur mes lèvres 」で今年のセザール主演女優賞を獲得したエマニュエル・デュヴォスとジャーナリストらしき人だった。エマニュエルの方は私の隣に椅子1つあけて座ったので、ちょっと二人の話の内容に耳がダンボになってしまったが、やはり内容はセザール賞のことであった。それにしても、私は今まで彼女の映画を何本か見てきて、その度に「なんて顔のでかい女優だろう!」って思っていたが、実際は、なんと、ち!ちいさいいい。けっこうこれはショックであった。まあ概して俳優は映像で見るよりも華奢な人が多いけれど・・・。エマニュエル、お前もかあああ・・・って感じです。ま、ともかくこういうハプニングはいつでもウエルカムだけど!
再び古文書館に戻ると、訪ねるように言われていたMadame Lebrigandが戻っていて、すぐに迎えに出てきてくださった。こちらが恐縮してしまうようなとても親切な応対を受け、すでにお願いしていたカルトン4箱が置かれている部屋へ案内された。残念なことにみんなの好意のかいなく、目的の情報は何一つ見つからなかった・・・のだが、でも今日のところはここまでしてもらえたことに、心底感謝している。ありがとう、皆さん!
さて今回の滞在、最後の晩餐は色々な人を案内してきたお気に入りのカジュアル・レストラン「Le  Café du Commerce, 51 rue du Commerce 75015」で、鴨料理とおいしいデザートを堪能。ここにはお天気の日、少し早めのディナーに行くのが幸せ。贅沢な3層吹抜け、光をたっぷりと取り込むガラス天井、大好きな1900年様式・・・こんな心地の良い空間がまだタバコの煙に汚染されていないし、ノイジーな話し声もない。みなさんにお薦めのお手ごろレストランです。
食事のあとは馴染みの80番のバスに乗り込み「おうち」へ帰る。美しい金色のエッフェル塔やシャンゼリゼ大通りにしばしのお別れ!を言いながら・・・。今度会えるのは4ヵ月後。なんとか出来上がった修士論文を手に再びやってきますね !!!
* * *                                                      

…fin

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