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31/10/1998

フランス滞在記 1998年10月

■1998.10.01(木)
今日は中学以来の友人Hがパリにやって来た。空港まで迎えに行ったが、飛行機が予定より随分早く到着したらしく彼女が私を待つことになってしまった。その上いつものターミナル2Aではなく2Cに到着していたので、余計に待たせるはめに・・・。今日は彼女が予約していたホテルまで送って、近くでご飯食べて、ばいばい。明日の午前はまず超大混雑の自動車の見本市に一人で行くらしい。午後は一緒に美術館にいくつもり。 

■1998.10.02(金) 
今日もくたくただ~。昨日も遅くまで教授あての手紙など書きつつ寝られず、今朝はお昼にキャロとの約束があったから、10時には起きて出かけた。キャロと学校のプログラムを見ながらお喋りし、3時オペラ座前でのHとの約束に。彼女をピックアップしてから、私も前から行きたかったジャック・マイヨール・アンドレ美術館へ。彼女はモーターショウとポンピドゥー美術館(現在閉鎖中)とカフェコスト(今はもうない)とジャン・ヌーベルの建築とデファンスと映画も見たい、って言っていたけど、実質パリは今日と明日しかなく、ちょっと厳しいかもねえ・・・。彼女はこのように現代が好きだけど、明日は午後からルーブルへ行くことになった。そのあとたぶんモンマルトルへ行くかな?その後映画に行くのかな?今回の旅のメインは南(アンティーブとモナコ)で6泊・・・とのんびりするらしいけど、初めてのフランスでパリ2日っていうのはちょっと物足りない感じよね。とにかく明日までなんて短すぎる~。
今日パリは突然冬になりました。 

■1998.10.03(土) 
今日も疲れた~。別に何したってわけでもないんだけど、午後ルーブルで待ち合わせをして、そこで少し時を過ごしサマリテーヌ・デパートの屋上テラスへ案内し(今や定番だね)、そこからピガール、モンマルトルバス、モンマルトルの丘となるはずだったけど、バスが待っても待ってもこないことに端を発し、行かないことになった。夕飯が食べられる時間までお茶を飲んで過ごし、夕飯食べて今日も終わり。明日の朝アンティーブに彼女は旅立ちます。もっとしてあげたいことはあったけど、何しろ時間がないので仕方がないよね。今夜は彼女が軽いフレンチがいいって言ったから、これまた定番のバラカンに行った。久しぶりの再会、色々話が出来て良かったと思います。 

■1998.10.05(月) 
今日もクタクタだ~(最近ずーっとくたくたね)。今日は朝9時から2時間、初めての講義。暖房もない小さな部屋で生徒は私を入れて4人だけであった。今日の講義は私の得意のアール・ヌーヴォーだから内容は何とか理解できて、先生の間違いを1個指摘してしまいました(単に住所だけど)。そしてディアポ(スライド)を見ながら誰も答えない先生の質問に答えてしまいました。答えはオルタのタッセル邸で、私にはいたって簡単だったのだ(余談:結局、この講義の先生が私の論文指導の先生になった)。
その後、家で昼食後、アパート見学1つめのヴィジットは4, rue Jugeデユプレックス駅すぐそば。これは前にも書いたように2500Fで1階(日本の2階)道路向き16㎡と、とても狭いが一応湯槽があり、暖房とお湯は集中。条件は最高なのだが、ちょっとボロってしていて、清潔感がない。絨毯は替えてくれると言っているが、心がときめかない。その後7区15区の不動産屋をしらみつぶしに歩いて探したが、もちろんなかなか条件にあうのがない。あっても「もう借り手がついた」とか、外国人だからかそういう嘘を言うところもあるんだろう。相手にさえしてもらえないところが多かった。そんな中で、1つだけ気持ちよく見せてもらえた物件はエコール・ミリテール駅から少し歩くがrue de l’expositionの真ん中あたり。これは20㎡くらいで道路に面した1階(日本の2階)。3000Fで、湯槽はあるけど暖房・お湯は別。大きい湯槽があるわりには湯タンクがとても小さかった。清潔感あふれる部屋で心は動いたが、お湯のことが気にかかっていい返事は出来なかった。あと、明日の午後、見学の約束を一つ取り付けた。これは14区のアレジアというにぎやかな界隈の近所。2900Fで湯槽がある。これは2階(日本の3階)。ただ近所とは言ってもメトロの駅から少し遠い。でもまあ見に行ってくる。雰囲気が良くてお湯と暖房使い放題ならそれもいいかな。今日の収穫はこれだけ。明日は学校がないから1日家探しだ。

■1998.10.06(火)
今日も本当によく歩いた~~。でも今日は収穫なしだった。14時に約束していた不動産屋は20分過ぎても無人で閉まったまま。やられたー。だからあきらめて他を回ったが、だめ~~~。疲れた。明日は授業が午前中から昼にかけて一つあるだけだから、午後からまた不動産屋を回ろうかな?
ところでこちらの大学は、とにかく雲をつかむような情報のない世界だ。今テレビのニュースでも新入生の様子を伝えているけど、みんな何が何だかわからないって嘆いている。教室の場所が分からなくて授業に間に合わなかったとか・・・。フランス人でもわからないんだから、私がわからないのは当たり前かな?
パリ大学の中で美術学科があるのは1,4,10。その中でもパリ第1大学には、美術史専攻修士コースに建築史コースがあるから受験した。私があさって面接するコース主任のモニエ教授はこの世界では有名だと思う。他の美術史を専攻している学生は前期2ヶ、後期2ヶの授業なのだが、私たちのコースは前期に4つあって、後期は1ヶだけと思う・・・だから論文の執筆に集中できるはず~。月曜の9~11時「ヨーロッパのアール・ヌーヴォー建築」ルピアク講師、同じく月曜16~18時「建築史研究の目的と方法」モニエ教授、水曜日11~13時「20世紀ドイツ建築」マダム・モンジャン講師、もう一つがザイツ先生の「建築の体制/構造(施工)史」なんだけど、これは日時等何も決まってないんだな。でもルピアク先生が1学期にありますって言っていた。みんな相変わらず必死でノート取っている。私は聞くので精一杯って感じだ。でもまあなんとかなるでしょう!モニエ先生がいい人でありますよ~に。 今日はまた1段と寒さに磨きがかかり、明日はもう少し寒いらしい。寒くなればストライキの季節です。今日はほとんどのバスがストライキしていて不便だった。明日もだったら学校行くの方法をかえなきゃ。

■1998.10.07(水)
今夜はモナコにいるHから電話があって「退屈した」って言うので「ニースならいっぱい見るものもあるよ」とか色々言ってみたが浮かない感じ。「じゃあパリに戻ってきたら?」って言ってみたら「そうしようかなあ」・・・ということになった。ニース-パリのしあさってのチケットは変更できないものらしく、それを捨ててTGVで戻ってくることになった。
今日は朝から学校へ行ったけど、先生は現われませんでした。この間のクラスで一緒だった男の子(エロワンヌ)ともう一人知らない男の子(ピエール)がいたので、一緒にしばらく待っていて、時折事務所に問い合わせたが、結局今日はなし・・・ってことらしい。今日の先生マダム・モンジャンはときどきこういう事があるらしい。
で、今日は家探しをする元気もなく、お家に帰ってきた。夕方買物に出たけど、今日はそんくらい。 今日も寒かった~。明日も最高気温11度だ。なんか今日もストでバスとかあんまり動いてなかったし、まあメトロが動いているからマシだけど。郊外列車が完全にストップして通勤の人とか大変そうだった。これは運転手さんの安全を求める為のスト。寒くなるとストの季節です。南の方でも高校生たちが教育現場の改善を求めて大行進していたし、これも拡大する様子です。大変です。

■1998.10.08(木)
今日も朝からしとしと雨。まあこの雨のおかげでか、昨日までの刺すような寒さは感じない、が寒い。今日目覚ましのあとベットの中でボーっとしていたら電話。Hからで、パリには夕方の4時半に着くとのこと。私は10時半に大学で先生と会うことになっていたから、音楽をがんがん鳴らしながら身支度をしていたら、また電話がなって「うい」って出てもガチャガチャ(雑音)・・・。今度は「あろー」って言ったらガチャガチャの後「アロー」って返事。「アロー?」ってもう一度言うと「ムッシュウ・モニエ・ア・ラ・パレイユ」と早口に言う。「は?コモン?(は?何ですか?)」「ムッシュウ・モニエ・ア・ラ・パレイユ」だって。「誰や????げ、私のまだ見ぬモニエ先生????(これは心の叫び)」「(気を取り直し)ボンジュール・ムッシュウ」ってなことで・・・「今日10時半に学校で会うことになっているはずですが、駄目になりまして、出来れば18時にシテ・ユニヴェルシテまで来て頂けないか?」・・・ということで、今夜のヂャコちゃんとの約束を急遽お昼ご飯にして、Hに頼まれていたホテルもエミール・ゾラ駅前の2つ星に予約して、いったん家に戻ってきた。
今日ヂャコちゃんとはサン・シュルピスの駅で待ち合わせをして、駅前のカフェに入ったが、コートを脱いで座ろうとしたら「ミカ」って呼ばれて「へ?」なんとカチア(クリスティーズのクラスメイト)ではありませんか。すごい偶然!彼女は今サザビーズ(クリスティーズみたいな有名なオークションハウス)で研修をしながら、アニエス・Bでバイトしてるんだって。またこれをきっかけに友情が復活したらいいけど。また電話もしてみようと思う。
Hのホテルは、だいたい300Fまでって言われてたから、家の近所から攻めていって3件目。表に料金表がなくて中に入って見たら、いちばん安くても370Fだった。オララーと思っていたら、親父が親切で「(そういう事情なら)300でいいよ」って言ってくれた。
夕方Hから電話がかかってきたのでエミール・ゾラ駅へ迎えに行き、ホテルに送り届けてから私はモニエ先生に会いに行った。論文の主題について少し話したところ、それはやはりアール・ヌーヴォーが専門のルピアク先生がいいだろう、とまあ思っていた通りの答えを頂戴いたしました。だから来週月曜日の授業の時にルピアク先生に話をしてみます。ルピアク先生はカジュアルな感じの先生で、誰にでも親切な人です。学生と接するのが好きな感じの人。でもモニエ先生はちょっととっつきにくい人です。
・・・で私の面接はそんなで5分くらいで終わったのですが、今日はまた一つ良い出会いがありました。その呼び出されたシテ・ユニヴェルシテのオランダ館に着いたとき、そこには人気がなく、薄暗く、扉もみな閉まっていて「どうしたらいいんだろう・・・」と思っていたら、一人きっちりとした服装をした日本人ぽい男の子が廊下のスミッコにいるのに気付いたのです。この人ももしかしてモニエ先生と約束しているのかな?と思い「あの、日本人の方ですか?」って日本語で質問したとたん、扉の一つが開いて、中から若い男の人、その後から老人。この老人は次にこの廊下にいた男の子を部屋に招き入れたので、私は「あ、この人がモニエ先生だな」と確信してその部屋の前で待っていたのです。そして私の番・・・は5分程で終わり部屋を出ると、さっきの男の子が私を待っていて、英語で「・・・・・・・・」と話し掛けてきたのです。「?????」って何か答えようと思ったらフランス語で「モニエ先生のゼミの学生さんですか?」話し掛けてきて、少し話をしたのです。彼は中国系カナダ人で、名前はウェン君。高校はフランス語で教育を受けていてフランス語も英語同様パーフェクトに話す。私と同じコースの1ヶ上の学年DEA(博士準備課程)に登録している建築家。カナダで建築と土木の勉強をして、何年か前にパリ大学の土木技術科の修士を終えて、それから少しウィーンやカナダ、中国などで働いたりしていたらしい。ポートフォリオを見せてもらったがなかなかおもしろそうな活動をしている感じでした。でも研究のテーマはミニマリスム。日本にも関わりが深くてよく行ったらしく、特に関西(京都)が好きだと言っていた。頭がすごく良さそうで、親切な人だし、いいお友達になれそうな気がします。よかったよかった。だって建築をやっている学生ってなかなかいなくて貴重なのです。

■1998.10.10(土)
今日は朝、Hが8時ごろ家にきて一緒に朝食を食べて、日本に帰るため空港に出発した。その後、最近ちょっと疲れがたまっていたので、また眠りについたのだが、しかし今日は電話がよくなる日であった。Hが昼頃空港から電話してきて、そのあとヂャコちゃん、その後は母、その後ウェン君、次のここの借家人フミコちゃん・・・。こんなに電話が鳴るのも珍しい。
夕方、買物がてら外に出て、映画でもみよかなと思って、近所の映画館に行ったけど、すごい人であきらめて、買物だけして帰ってきた。やっぱり週末なんて映画に行くものではない。
今日は朝、雨だったけど、Hが発った途端に太陽が出てきた。久しぶりに見る太陽の気がする。さっそく人々はカフェのテラスに陣取、今日はその上、コメルス通りは歩行者天国の日で、人出も多かったみたい。 明日はキャロと会う約束をしているけど、変更して家で考え事をするつもり(論文のテーマ)。だってキャロと来週すごい会う予定なのだ。火曜の夜はヴィデオテック「ア・ラ・カルト・カンパニー」(日本の映画)、水曜日はルーブル美術館の1日建築講座、木曜日の夜はキャロ両親宅で夕飯、土曜日は吉之和子の一人芝居「ミツコ」。ね?キャロがいっぱい。そろそろ家探しも本格的にしないとだしね。がんばろっと。

■1998.10.12(日)
今日は朝から忙しい日でした。朝は9時には学校について、2時間の授業を受け、ルピアク先生(私の論文指導の先生)と少し話し、午後家に戻ってご飯を食べて、するとウェン君から電話で今夜彼の寮のお友達と食事をしましょうということなので約束して、私は家探しの散歩にでました。今日はとても良い天気でしばらく家を開け放ってから・・・。
今日の成果としては、特に思わしくなかったんだけど、結局うちの前にある親切なおばさんの不動産屋にたどりついたのです。おばさんも覚えてくれていて、明日の見学に3つのステュディオを勧めてくれました。中でも彼女の1押しはコメルスとフェリックスフォール駅の中間くらいで、2300Fの4階のステュディオ。とてもかわいいんそうだ。あとはヴォジラール通りの2つ。いずれも2500Fまでだし、3つとも集中暖房。どれもバスタブはないけど、この際安さをとろうと思います。もし明日気に入ったのがあれば、もう決めるツモリ。いい物件でありますように・・・。
夜、ウェン君の友人「弁護士ケヴィン君」と「ドラキュラ、バル君」と4人で食事をしました。彼らは3人ともカナダ人でシテ・ユニヴェルシテ(パリの大学寮群)のカナダ館に入っている。ケヴィン君はちょっとさえない感じだけど、私はいい人だと思いました。みなある程度の年令で相当のキャリアを持っているし、かなり頭がいいらしい。会話は私が理解できない文化人の名前がいっぱいでした。でもカナダって文化的にはアメリカなんだ!と再確認。くだらないギャグを連発していて、ことばが理解できる、できないというレベルだけではなく、ギャグを笑えない=同じ背景をもってない、私はただ呆気に取られていたのです。まあウェン君も血は中国だけど、脳味噌はあっち育ちだから、まあ仕方ないってところでしょうか。それでもケヴィン君は大自然に囲まれて、真面目に育ってきた感じ。バルの専攻は宗教科学とでもいうのでしょうか?でドラキュラの研究をいているようだ。この人はすごく個性的で魅力的。カナダではちょっとした顔らしい。まあ研究テーマもかなり特殊だしね。ともかく異文化に触れるのはおもしろいことだけど、違いを確認して愕然とすることもしばしば。
ルピアク先生との話合いでは、私の出した論文のテーマはことごとく却下され、さっきシェナンに文句をたらしてたところ。なぜかというと、彼らは今まで研究されていないことしかさせてはくれないのです。ギマールなどは、もう語られて久しいので、だめなんだって。くそ!今度の金曜日にまた先生と話をします。

■1998.10.13(火)
今日私はご機嫌です。なぜなら家を決めたからです。決して完璧ではないけど、とても気に入って決めました。今のこの家からすぐです。教会のすぐ脇の通り RUE DE L'ABBE GROULT を入ってすぐです。家賃は管理費込みで2300F、集中暖房で、シャワーしかないけど、部屋は清潔で20Mくらいあり快適です。壁に大きな物入れがあるのも気にいりました。中庭に面した4階のかわいいお部屋です。フランス風の鳥かごエレベーターもあるし、管理人もいます。なかなかいいです。キッチンは本当に小さいですが、すべてを求めるのは無理でしょう。何よりも場所と値段!今夜、キャロに会って色々書類を頼みました。保証人が2人要るんだけど、キャロの両親にも頼むことにしました。今夜は一緒にヴェデオテックに行って、またまたアラカルトカンパニー(私の好きな日本映画)を見て、食事をして帰ってきたのです。ともかく11月初旬には新居に入れるはずです。楽しみだね!快く保証人になってくれたキャロには心から感謝。

■1998.10.14(水)
今日は朝からルーブル美術館で行なわれた建築のシンポジウムに参加してきましたが、やっぱり丸1日というのは集中力がもちませんぬ。それにちょっと期待はずれでした。む~~~~っちゃ疲れました。でもいつも元気なキャロはこのあとダンス教室へ・・・。信じられん。

■1998.10.15(木)
最近来年の春夏コレクションのファッションショーがパリで始まって、今日はヂャコちゃんの師カステルバジャック氏のデフィレ(ショーの事)があり、彼女もステージにあがっていたはず。今度の土曜日に、彼のアトリエでこのコレクションの展示をするらしく、もうちょっとカジュアルに色んな人に扉が開かれます。ヂャコちゃんがその招待状を送ってきてくれたので、ちょっとカメラでも持って見に行ってくることにしましょう。
今夜はキャロ両親邸(パリの郊外)で夕飯を頂いてきました。キャロは特別なことがないかぎり、毎木曜日はこうして両親邸で食事をしているらしい。パパは物静かで働き者。家のシャワー室を6ヵ月かけて一人でブリコラージュ、その確かな腕はプロ以上。だっていまどきプロでもこんないい仕事してくれません、と誉めてあげました!パパは嬉しそうにいつもより饒舌に説明をしてくれました。嬉しそうでした。お料理はポタージュ、ローストビーフ、チーズとデザートの林檎コンポート、キャロのおいっこジュリアン君15才もいて楽しかった。15には見えないな、13、14くらい。なかなかハンサム。これはキャロ姉の前夫との子供。
明日は、また早起きをして学校です。ルピアク先生と話をする日です。決心がついてきました。作品は有名だが全くその人生は知られてない建築家ラヴィロットとその周辺をやるつもりです。

■1998.10.16(金)
今日朝から学校に出かけて、ルピアク先生と面接。建築家ラヴィロットの作品と人生について書くことで合意しました。まずは2週間でおおよその参考文献を探します。しばらく図書館めぐりの日々です。彼はギマール同様、リヨン生まれで、彼の青年時代をたずねて旅もしなければないようです。
ところで先週ボルドーで始まった高校生のデモ活動が今週までに全国規模に広がって、昨日などはパリを中心に各大都市で、同時に大デモが繰り広げられました。でも真面目にやっている学生を尻目に、こういうとき必ず悪さをする連中がいます。昨日パリは不法地帯と化しました。ナシヨン広場からリヨン駅周辺ではデモ行為にかこつけて不良少年たちが、破壊行為、略奪行為、放火、暴力でたくさんの怪我人、逮捕者、店舗の被害などが出ました。店舗の窓ガラスはことごとく割られ、商品は盗まれ、路上の車やキオスクは火がつけられ、すごい事になっています。かなり長引きそうな気配です。
でもこの間まで夏休みだったでしょ、もうすぐ秋休みでしょ。このデモの期間はずっと勉強してないでしょ?いつ勉強スンだろか。ただ誰かがこうして立ち上がらなければ、何も変わらないのだから・・・。私たちが今当然のように享受している自由もそう。過去に誰かが自己を犠牲に立ち上がってくれたおかげだものね。自分のお洒落の事しか考えていない日本の高校生と比べると、いたってこちらが健全な気もしてきます。
昨日カステルバジャック氏のデフィレが行なわれて、今日のニュースで色々紹介していましたが、ヂャコちゃんばっちり、テレビに映っていました・・・と思う。メークや衣装のせいでいまいちよくわからんが、やはり本格的モデルさんに囲まれると、175センチのヂャコちゃんも小さく見える。・・・からあれはヂャコだと思う。まあどっちみち明日会えるからね。確認しよう。

■1998.10.17(土)
今日は午後、予定とおりカステルバジャック氏のアトリエを訪れた。写真も撮らしてくれたし、ヂャコは衣装を付けて私たちを迎えてくれた。師匠とのフォト撮影にも成功したので、これは今度記事の写真に使うつもり。今回はスタイルがガラっと変わったらしいが、日本人にたいへん受けているらしい。昨日のテレビはやっぱり彼女であった。キャロと一緒に行ったのだが、たいそう感動してくれた。「ミカのおかげでいろんな素晴らしい体験ができて、うれしいわ」と彼女は言ってくれた。たしかにそうかもしれない。でも彼女は私のフランスでの生活をいろんな面から支えてくれる人だ。どんなに忙しいときでも私の宿題や論文を見てくれる、彼女のおかげで安いフランス人向けの部屋も借りられた。これは他の私の(フランスでの)友人には出来ないこと。そう言うとまた嬉しそうに笑っていた。
その後は日仏文化会館で一緒に吉行和子の一人芝居「ミツコ」を見た。青山ミツコという19世紀末にオーストリアの貴族の家に嫁いだ女性の生涯が表現されているのだ。キャロはイヤホンして同時通訳を聞いていたけど、まあだいたい同じ時に笑っていたのでいい通訳なんだな、きっと。このミツコはずいぶん年上の人と結婚したんだけど、7人の子供に恵まれたあと、旦那は心臓発作でぽっくり死んじゃって、子供たちは母親を顧みない、後半はずいぶん淋しく孤独な人生だったみたい。日本がなつかしい・・・・、なつかしい・・・って、さびしく終わっていった。でも日本の父親がこの貴族に多額の金を要求した事を知ってから「自分は売られた」と父を恨み、日本に2度と帰らない決心をしたそうだ。
明日の午後は元気があったらミッテラン図書館(新国会図書館)に行くかな?。新しい14番線のメトロ「愛称:メテオ~ル」が一昨日から運転を始めたのだ。無人君です。運転手がいません。このメテオ~ル、今後もどんどん延長工事が続くらしいんだけど、これ使ったら少しは早く図書館に行けるかな?

■1998.10.19(月)
今日は朝からいつものルピアク先生の講義。今日からいきなりクラスの人数は増えた。いつもの男の人一人が休みだったんだけど、若い女の子が3人と中年の女性が1人、と4人の新顔を迎えたのだ。授業のあと私も完全に登録をすませました。
午後はキャロの仕事場に寄って、保証人の書類を受け取ってきた。今日の午後が提示の期限だったからね。でもここらがフランス風いいかげんなところだね。最初私の担当のおばさんと私は書類の期限を23日に決めていたのに、裏からオーナーババアが出てきて「そんなの遅すぎる」とかいちゃもんをつけて17日にさせられたのだ。しかし色んな書類をそろえてもらえるのに時間がやっぱり必要で、私は担当のおばちゃんに17日は無理だから今日の月曜日にして、と頼んだのだ。しかし今日担当のおばちゃんはいなく、オーナーババアは「彼女はバカンスだから来週の月曜日に来て彼女と契約の手続きをしてちょうだい」とのこと。だったら最初から26日でいいではないか。みんなを急がせなくてよかったのにね。まあ問題はなくあの家に引っ越しできそうだから、これで一安心。
新学期からキャロは毎週月曜日の朝、ルーブル美術学校(私も以前聴講してた)の授業を受講してます。半日休暇をとりながらね。今日も彼女は授業のあと2時から仕事で、私は2時半頃事務所に行ったんだけど、結局1時間以上話し込んでしまった・・・。今日はボスが居ないから呑気なんだって。 明日は朝すごく早起きをしてポリスに滞在許可証の更新に行かなくてはいけませぬ。午後は国立図書館に行くツモリです。ここにはマドレーヌで新14番に乗り換えて早く行けるようになりました。キャロの事務所もこれでずいぶん近くなりました。

■1998.10.20(火)
今日は気合いが抜けていたせいか、朝起きられなくて、ベットの中で私の下敷きになっていた時計を見て呆然をしていたのでした。すると電話、起きだして電話を取るとなつかしのマルクからでありました(元クリスティーズ研修生)。マルクは1月にロンドンの本家クリスティーズに研修の為に旅立って、はがきを送ってきてくれて以来、音信不通になっていたのですが、よかった、よかった。なんでもロンドンでは本家クリスティーズとパリの学校のいざこざの間で、立場が苦しかったそうです。マルクはキャロのようにきちんとした人だから、どちらかというとロンドン風。でもパリ校はいつも言っているようにかなりルーズ。で、色々彼が橋渡しになる機会も多かったらしいんだけど、いろいろあった・・・と言っていた。で、研修のあと、南仏の両親の元に帰り、今秋の競買士の国家試験準備をしていたらしい。なんしか11月の中旬にパリにくるそうで、会うことになりました。マルクもキャロ同様、建築ファンです。ロンドンで安藤忠雄展をみて私を思い出したと言っていました。彼の頭の中では「建築=ミカ」の式が成り立っているようです。で~、この電話で完全に目を覚まし、遅い朝食をとり、駄目もとで滞在許可証の更新に行ってきたら、12時すぎていたけど余裕で受け付けてもらえて、いつもより早い展開で3時間ですべてが終了しました。しかし、パスポートの有効期限を気にしてなかった私の落ち度ですが、今回の有効期限がパスポートにあわせて8月9日までとなりました。(1年間もらえなかった) そして家に戻り遅い昼食をとり、国立図書館へむかったのです。しかし、メテオール(新14番線)を使ったところで、遠いものは遠いのでした。終点の国立図書館駅から図書館内に到着するのに20分くらい歩くのです。愕然です。せっかくなら建物の地下にでも乗り入れてほしかった・・・。しかしもっとショックだったのが、現在図書館はストライキ中。もちろん今日入館出来なかったのは言うまでもありませぬ。

■1998.10.21(水)
今日は午後、ずいぶん前から約束していたカツコさんちに行ってきました。この間Hが突然パリに戻ってくることになり、キャンセルした約束が、今日になっていたのでした。2時半にお茶に・・・と言うことだったので、小さな花束もって行ったら、軽い昼食と手作りのお菓子を用意してくれていて、久しぶりだったので、おしゃべりにも花が咲いて、楽しく午後の一時を楽しみました。午後を通り過ぎて夜までしゃべり続けてたんだけどね!

■1998.10.23(金)
今日は1日雨で、大したこともせずに半日怠けて過ごしてしまった。今夜はウェンの寮(カナダ館)のパーティに誘われていたのでメグミちゃんを伴って行ってきたのだが、このパーティは寮生だけに限られているらしく、意地悪な管理人に私たちは入れてさえもらえなかった。申し訳なく思ったウェン(彼は誰でも入れると思って私を呼んでくれた)は又、私たちの夕飯をご馳走してくれたのであった。私たちには別にどうでもいいことだったのに・・・、気の毒なウェン。
メグミちゃんはすっごい明るくてお喋り。私よりいくつも若いんだけど、姉御っぽい人で、どちらかというと私が可愛がってもらっている感じだ。学年も上だし、在仏年数も上だし、うーん!頼りになります。
ウェンは・・・といえば、親切すぎてむかつくときもあるのだが、短い間にずいぶん仲良くなった。やっぱり建築を知っている貴重な存在だ。たとえばキャロも建築の事はかなり知っている。でも関わり方が違うと言ったらいいのだろうか。キャロは私なんかより建築家や作品の名前や、その作品の背景、アネクドットを知っている。でもそれは2次元的な話で、3次元的な空間の解釈、体験、創造については別である。これは私が大学で空間を創造することに触れたことから来る喜びなのだ。ウェンも建築家だから、こういう感動を話し合えるのは、かなり嬉しい。もっと言えば話し合わなくてもいいってことが、かなり嬉しいのだ。

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