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30/09/1998

フランス滞在記 1998年9月

■1998.09.04(金)
おととい、メグミちゃんからバイト依頼の電話が入った。そのアルバイトっていうのがインターネットによるパリガイドの企画実験用写真撮影。おもしろそうなのでもちろん引き受けた。撮影場所は20ヶ所あるので、動線を考えないと・・・、締め切り日まであまり時間がない。
・・・ということで、昨日から早速小雨の降る中、撮影開始。今日も1日雨の中の撮影。ようやくノルマの3分の2が終わった。残りは日曜日にやるつもりだ(締め切りは次の月曜)。明日も一日雨らしいし、私はいよいよ明日が編入試験なので、今夜はゆっくりしたい。
昨日撮影のためにアルマ橋の周辺を歩いていたとき、ちょうど川岸に貨物船のようなものが停まっているのを見かけた。それがなんと大昔の飛行機を数機(4~5機)乗せていたのです。すんごいクラッシックなやつ。船はその時それ一台しか見なかったのだが、テレビカメラで撮影しているスタッフもいました。そして、今日のお昼のニュースを見ていてその理由がわかりました。今日からコンコルド広場~シャンゼリゼ大通りは「航空機100年の歴史」みたいな展示会場に早変わり。私が見た船はその搬入をしていたのですね。主にアエロクラブという団体のコレクションが、夜中のうちに設置されていたみたいでした。全部で50数機。飛行機のあけぼのからミラージュまで・・・って感じみたいです。今日もバスで移動中、会場をかすめましたが、なかなかおもしろそうです。

■1998.09.05(土)
今日も試験のため家を出ようかと思った頃、バケツをひっくり返したような意地悪な雨が降りました。でも少し待ったら弱まったけど・・・。62番のバスでちょうど試験会場になっているトルビアックの校舎前まで行けるので、ゆっくり座って行きました。
今日の試験は、昨年のような悲壮感はないにしてもやっぱり自信もありません。最後15分を急に失って、4番目の問題にあてる時間が短くなってしまったのも気になります。試験時間は3時~6時のはずなのに、5時45分で終わられたのだ。「少し早めに始めたから」らしいのだが、私は6時までと思っていたのでショックでした。勝敗(合否)はまったく検討がつきませんが、昨年より出来たことは確かでしょう。
1~4問、みんな埋めただけでも進歩しました。私は美術史学科志望なので、1ページ分のそれに関するテキストの抜粋を渡されます。今年はロマン主義の画家ドラクロワに関してのテキストだった。1問目は要約。フランスで文章の要約するというのは、テキストの内容を壊さないように同じ言葉を用いずに3分の1くらいの量に縮めることを言います。2問目はテキスト中にある難しい言葉の意味の定義。3問目は作文、「ドラクロワとジェリコーの共通点を作者はどう述べているか?」、4問目も作文「ロマン主義は現代のアートシーンにおいても意味を持っているか?」であった。
しかしなんでも結果を待つのはどうも落ち着きません。 明日はバイトの写真の残りを撮りにいかなきゃいけませぬ。あさってはそれを現像して写真を見せに直接の依頼者(Yさん)の所へ行き、写真を宅配屋に届け、その領収書を依頼者に届ける、ここまでが仕事です。毎日フルにやったわけではないけど、延べ4日かかったわけで、緊急の締め切りつきだったし、毎日雨だったし、そんなに割りのいいバイトじゃなかったかな・・・。ま、写真撮るのは楽しいからいいや。
9月第3日曜日(今年は20日)はフランス中で重要文化財やら普段見学できない建築物の扉が市民に開かれる「ジュルネ・ドゥ・パトリモワン」となっている。この日にキャロがナンシーのマジョレル邸を見に行こうと誘ってくれている。
ともかく明日も雨らしい。もう、うんざりです。

■1998.09.06(日)
今日はキャロの電話で起きました。午後から頑張って写真撮影残りの3分の1を撮り終えてきました。5時には終わりました。今日は天気予報がはずれて、とってもいい天気で久しぶりに暑かった。途中、シャンゼリゼからコンコルドまで歩いたが、例の飛行機展示すごい迫力で、おもしろそうでした。私は急ぎ足でちょこっと横目に見ただけだったけど、天気もよかったし、多くの人で賑わっていた。明日午前中に写真の現像1時間ショップに出して、午後Yさん宅にセレクトに行って・・・と明日も1日これで終わりそう。
信じられないことに天気予報では来週はずーっと雨予報。げ!

■1998.09.07(月)
今日も天気予報が外れて、けっこうよい天気となった。雨のせいで心配していた写真の出来はキャロお薦めの400のフィルムを使ったおかげで、けっこう納得のいくものになっていた。Yさんも気に入ってくれた。少しお話をさせてもらったが、やっぱり学生ではありながら責任のある仕事をしている方だけあって、とても興味深い人です。社長は主には日本にいるらしいですが、パリにもちょくちょく来るらしく、事務所は16区の私の行っていた語学学校の近くにあるそうだ。ところでこのYさん、もうパリは8年だそう。今、彼女もめぐみちゃんと同じように修士論文を(来週の締切に向けて)必死にやっているそうです。一応希望としては新学期からDEA(博士課程準備学年)に登録して、いつかは博士論文を書き上げたいとのこと。いくつか私よりお姉さんで、働く人、それに彼女の行っているパリ1と言えば、私の受けた学校。私にとってはとても有意義な出会いだったと言えます。しんどかったけど一生懸命やってよかった。ところで彼女の家に届けに行ったのだが、それはそれはすばらしいお家でした。家賃は少し高めって言っていたから、私にはすごく高いんだろうな・・・。アレジア駅からすぐなんだけど、あそこらへんもとても活気があっていい所だなあ、と思いました。
ところで昨日セーブル美術館の駅、地下鉄9号線の始発駅で、車両に乗り込み発車を待っていたら、上品なご夫人二人連れとガラの悪そうな不良娘(15、6才)二人連れがそれぞれ乗ってきて、隣り合わせのボックス席に座ったのです。娘の一人が前の空いている座席に足を放り出した時に、ご夫人は「それはよくないわ、およしなさい・・・」というような言葉で彼女をとがめると、娘は「うるせー、何だってんだ、かんけーねーんだよ。だまってろ」というノリで言いかえし、しばらく言い合いが続きました。なんでここまで言うんだろうっていうくらい、ご夫人に口答えする娘。でも発車後、車内は次第に混んできて彼女も足を下ろさざるを得なくなりました。さらに混んで来たところで、検札の人々が乗ってきて、この娘は不正乗車だったと判明。私は「ざまーみろ」と心の中で思いながら、不正乗車で誰かが罰金を取られるのに初めて出くわし、それにも興味があったのです。みなの冷たい視線をあびながら、必死に謙虚にブリッコに言い訳する娘。降りる駅に着いたので事の顛末は見届けられなかったけど、結局300Fの罰金を要求されていた彼女はポルトガル人でした。あれだけ喧嘩できる語学力はちょっと羨ましいかも・・・。

■1998.09.10(木)
今日はキャロリーヌのママに会った。キャロ・ママは昨年から、それまでご主人と一緒にやっていた薬局の仕事を引退したのをきっかけに、自分の母国語だが忘れかけていたタイ語を、パリ第9大学で正式に登録して学んでいる大学生だ。まだ田舎の家でバカンス中だが、今年度の登録のためにパリにやってきたのだ。キャロの事務所で待ち合わせ。お昼ご飯を慌ただしく一緒に食べただけだけど、例のジョルジュ作のお皿をまた1枚プレゼントしてくれた。なんか申し訳ないなあ。
今日はそのあと楽しみにしていた映画「ロートレック」を見てきた。よく出来ていた。私の好きな画家ロートレックの人生はいろんな本で読んで知っていたけど、やっぱり映像で見るほうがドラマチックだものね。

■1998.09.15(火)
今夜は映画の試写会に行ってきた。また感動的なというか、良い映画だったな。「LA VIE REVEE DES ANGES」っていうんだけど、この映画は今年のカンヌ映画祭に出品されて、主演女優賞を主役の女の子二人が一緒にとったのだ。だいたい試写会では上映後、その映画の関係者が登場する。今夜は主役の二人と監督と製作者も来ていて、それもミーハーながらに嬉しかったのだ。いつも感心するけど、ほんと女優さんって映画より細いのね!今日の主役の一人エロディは私もよく映画で見ていたけど実際の方が顔もちっちゃくて、とにかく細い。こんなか細い女の子たちが映画の中では大胆で素晴らしい演技をするのだ。日本の人気女優って甘やかされてるよなあ、って思う。こっちの女優は素裸が基本だからね、気合いが違う!いや、別に裸になるから偉いと言っているわけではなく、この職業に対する意識の違いを感じるのです。この国は映画に対する意識自体が強いから、役者の意識や質にもそれが反映されるのだと感じる、今日この頃。この映画、リールという街が舞台で、この間行ったばかりだから知ったところがいっぱい出てきて、さらに親しみを感じた。会場にはジャン・マルク・バールも来ていてちょっと感動!

■1998.09.20(日)
3日間のキャロとの旅から帰ってきました。ナンシー(パリから300Kも離れている)まで車ではやはり4~5時間です。私は運転しないけど、寝るわけにはいけないし、運転しているキャロのためにしゃべり続けなければならなかったし、けっこう疲れた。しかしよくしゃべった~。いろいろなこと、今まで彼女について知らなかったことも聞き出した!まあそれはよしとし、幸運にも絶望的な天気予報はおおいに外れ、3日間とも信じられないくらいに良い天気に恵まれた。2月に行った時のあの凍えそうな鬼の3日間とはまったく違う空の色でした。気温も高くて、天気予報を信じてセーターを着ていた私は暑くて死にそうでした。ところでなぜナンシーに再度行ったかというと前にも書いたが、この週末はフランス全土で普段一般公開されてない文化遺産や歴史的建造物が1年に一度その門を庶民に開くとき。で、同じくアール・ヌーヴォー・ファンのキャロの提案で決まった。2月の行ったときは、もう2度と来ることもないだろうと、必死で47件もの建築作品を見て歩いた。しかし今回はこの機会で幾つかの重要な作品の内部を見学できた。ただ中を見ることができたけど、写真を撮ることは禁止されていたのが残念だった。そして最終日の今日は午後ナンシーを発ち、メッスをいう街を通りブリエという街にあるル・コルビュジエのユニテ(というシリーズ作品)も一般公開されているので行ってきた。これが今日のメイン。ここは内部撮影OKだったので、出来上がった写真を見るのが楽しみだ!
さてさて、懸念の編入試験結果は結局日本の実家に届いていた。みなさ~~ん、パリ第1大学の美術史学科修士過程に編入できました!もちろん私がやるのは建築史ですけど・・・。ここにはこの分野でわりといい本を出している先生がいるので、楽しみです。あと他の国立の機関でオーギュスタン・ベルク氏のゼミにも参加するつもり。これはちょっとミーハーな気分で・・・だが。とにかく、いまはホッと一息。フランスでは修士以上の学生になるといろんな貴重な資料や、いろんな高等施設にアクセスすることができるようになります。ともかく今は先の苦労も考えず、ただただ嬉しい!ホッ!

■1998.09.25(金)
今日はイロイロなことがあっておもしろかったです。天気はまずまずで、午前11時ごろご機嫌にキャロの事務所に向かった(いつものように昼食の約束)。合格のお祝いに昼食ごちそうしてくれた。食後にキャロの写真8本分!(先週末のナンシー旅行)をえんえんと見せてもらった。だから事務所に戻ったとき時計は午後3時。キャロ、え~~んですか?3時間も昼休みをとって?でもいつも彼女は「だいじょう~ぶ」「たいしたことじゃない」と言う。ちなみに今日彼女は青いサテンの短いチャイナドレスを着ていた。キャロ、え~~んですか?こんな格好で働いて???先週、彼女は異動が決まってとても喜んでいた。今の部署はどうもあわないらしい。彼女だけでなくこちらでは、みな気軽に人事異動の希望を申し出ている。彼女もだいぶ前から希望していたがようやく!・・・といってもすぐに今の事務所からでるわけではなく、来年辺りから7区の仕事場に移るようだ。仕事の内容は・・・わすれた。まあ、私にとっても家や学校(ちなみにあたしの大学はリュクサンブール公園のすぐ下あたり、6区です)に近くなるので、便利になる。今の彼女の事務所、私の家からはちょっと遠いからね。
で、事務所を出てアメリカン・エグリーズに立ち寄り、アパート情報を見て「あんま、いいの、ないなあ・・・」と思って立ち去ろうとしたとき・・・。今日はこの教会では私が見たかぎり二組の日本人カップルの結婚式があったのだ。で、そのうちの一組を撮影している人たちがいて「この人(ビデオの方)どっかで見たことあるなあ」って思っていたら「あ!!!」でもまだ確信がなかったから、この人たちを取り仕切っているおばさんに「すいません、この方、Sさんってお名前ですか?」って聞いたら「そうですけど」やっぱり・・・。「(今度は確信を持って)Sさん、お元気ですか?」と話しかけてみた。なんせ仕事中だからほとんどあいさつだけだが、私のこと「覚えてますよ」って言って、新しい電話番号をくれた。こういう仕事もやってるんだね(なぜか写真じゃなくビデオ)。ちなみにこの方、私がフランスに来て間もない頃見に行った写真展をやっていた方で、同じ大学の出身(歳はだいぶ上だと思うけど)。今はアーティストビザも取得し、堂々と働けるカメラマン!のはず。
そしてそして、いったん家にもどり、ヂャコちゃんとの約束のためにサンジェルマン・デ・プレにお出かけしました。彼女との出会いは私が自転車を売るために個人広告を日本人向け新聞に出したこと。彼女が自転車を引取に我が家へ来たとき、彼女のでかさと自然な美しさに圧倒された。彼女の放っているオーラみたいなものにすぐに感知したのだ。お茶を飲みながら少し話をして、さらに彼女の豊かな才能とキャリアのユニークさにとても惹かれた。現在彼女は21才の若さで有名なデザイナー、カステル・バジャックのもとでデザイナー(研修生ではないよ)として働いている。同時にモデルとしても活躍中。今日は私のこれから始まる連載記事「LES ENFANTS TERRIBLES (JAPONAIS)」・・・恐るべき(日本の)子供たち・・・直訳・・・のための取材。このタイトルが通るかどうかはまだわからないが、私はとても気に入っている。有名なジャン・コクトーの作品から頂いたタイトルだが、このTERRIBLESという単語は「ひどい、恐ろしい、耐えられない」といった意味の反面「形容できないほど素晴らしい」という意味も合わせ持っている。このまま通るといいんだけど・・・。彼女の提案で今日はちょっとリッチなカフェ「カフェ・ドゥ・フロール」で。カフェ・ドゥ・マゴの横にある。この二つのカフェは今でも有名人ご用達として知られてます。約束よりだいぶはやく着いた私は、超満員のテラス席には目もくれず中に入って行った。「どこにしよ~かな~」とフラフラと奥に入っていくと、女優キアラ・マストロヤンニ(マルチェロ・マストロヤンニとカトリーヌ・ドヌーブの娘)が誰か男の人といるではないか!!!私は迷わず彼女のすぐ近くの席に陣取って(彼女は私の真前)、彼女をチラチラと見ていた。やっぱ映画で見るより細くてきれいだなあ。彼らは数分後に出ていったが、やはり有名人出没の噂は嘘ではなかった。しかし最近、ついてるよなあ。マニュエル・ブラン(家の近所で)、ジャン-ユーグ・アングラード、ジュリー・ガイヤなど(映画の討論会で)、イザベル・カレ、エロディ・ブシェ、ナターシャ・レニエ、ジャン-マルク・バール(試写会で)、ヴァンサン・ペレ(シャンゼリゼ大通りで)・・・今まで私がパリであった俳優たちです。
それから、となりのお婆サンたちがうまそうに飲んでいるショコラを私も飲みながら・・・、しつこくはなしかけてくるギャルソンの相手をしながら・・・ヂャコちゃんを待つ。コーヒーにつけて出すミニチョコに自分の名前(ジョルジュ)を書いて渡してきた。でもちなみにこのギャルソン君、じじいです。みなさん、心配しないでください。
そして時間とおりやってきたヂャコちゃんと楽しくインタビュ~。モデルとしての写真も見せてもらいながら、とても楽しい時間であった。いいのが書けるといいな。ともかく彼女のキャラクターと交友関係の広さはとても興味深いです。彼女の友達だけでいろんな分野の人がいるし、このシリーズは当分ねたには困らないでしょう。

■1998.09.26(土)
大学の合格が分かってから、入学に必要なクリスティーズの卒業証明書をすぐにA=S(クリスティーズの秘書の女の子)にお願いしておいた。その時は「校長のサインをもらって、すぐ(私んちに郵送で)送ってあげるわ」って言ったくせに、水曜日の夜電話してきて「明日にはポストに入れるから、金曜日か土曜日には届くわ」だって。で、今朝また電話してきて「昨日ポストに入れるの忘れてたの」と言う。「じゃあ私あなたの家まで取りにいく、これとても大切なことだって言ったでしょ?」と言うと、「今は家にいないから日曜日の夕方あなたのポストに入れておくわ」だって。うーん、いらいらする。たったこれだけのことができないなんて~~~~~~。明日手に入らなかったら、月曜日学校に怒鳴り込みに行くしかないな。

■1998.09.27(日)
今夜は腹立たしいの嵐だった。今日の夕方ようやく手に入った卒業証明書、A=Sが直接うちのポストに放りこんでいったものなんだけど、あけてびっくり!大学の名前が I でなく IV になっている。まあこれだけならホワイトしようかなって思ったけど、文中の私の名前がクラスメートのアカネちゃんのものになっている。もう腹立たしいったらない。こんなに待たして待たして、結局こんな基礎的なまちがい。これくらいの書類1日で作ってポストに入れるくらい小学生でもすら~な。あした結局、大学の登録の前に、クリスティーズの事務所まで取りにいかなきゃいけない。あああああ~~~~~~。

■1998.09.28(月)
今日はなかなかハードな1日だった。腹立たしいというか・・・。今日は例の書類の件があったから、9時にはクリスティーズに行ったのだ。そしてその後大学の呼び出しの場所に行ったのだ。まあこれだけでも腹立たしいのに、11時に来いって事だったけど11時半になっても事務所の扉は一向に開かれない。まあ私と同じ立場の人が何人か来ていて、待ちながら私に話し掛けて来てくれた韓国の女の子と仲良くなった。ようやく開かれた扉の奥では、外国人担当の事務のおばさんが、呼び出し票にボン!とハンコを押すだけで、すぐ終わった。そして次ぎなる正式登録のためにトルビアックのキャンパスに・・・。するとすんごい人がグルグルグルとどこまでも延々と行列を作っている。よく要領が分からないから書かれている11階の事務室に上がったら、そこを担当している男の人に「下の列に並んでください!」と言われた。ゲ~~~~。下の行列はこの11階にある事務所に上がるのを待っている行列だったのだ。それに今日しかこの登録は有効じゃないそうです。で遅々として動かない行列に並び・・・えんえん、えんえん。この韓国の女の子(ムンジュ)は3時に不動産との約束が(エタ・デ・リュ=アパート引き払いの儀式)があるとかで、私にすべての書類や小切手を預けて帰っていった。まあ勇気あるよね。今日初めて会った私に。そして私の前にいたと~ってもかわいいいいいいチュニジアの女の子(ヌラーヌちゃん)とその母(も、とても優しい)とおしゃべりを楽しんでいたが、そう何時間も話しつづけるのは至難の技。椅子もなく、足は棒、ようやくうえに上がっても3つの段階があり、ようやく私が学生証を手にしたのは5時過ぎであった。ぐえ~~~~。その上、顔写真、私のはムチャクチャ汚い切り方で、顔も切れかけ。「ちょっと私にカッターとサシを貸さんかい!!!」って感じ。漢字がどっち向きかわからんのは分かるけど、顔はわかるやろ!それに私のはこんななのに、ムンジュのは完璧に出来てる・・・。ついてな~い。
今日はこうしてクタクタになって帰ってきて、メールチェックだ~とマシンの電源を入れると、今まで見たことのない表示。バック・アップ用の電池が消耗しているとのこと・・・しかしすべてのデータというデータが白紙になっていて、元に戻すのに苦労だった。
そして夕飯の用意をして、食べよう!としたところ、メグミ&JFからの「夕飯食べにき~ひん?」コール。ついてな~~い。最初は作ったものを食べてからデザートだけでも、食べにおいで・・・ってことになったんだけど、電話をきってから、はた???そうだ、ムンジュちゃんから電話を受ける約束になっていたのだ。彼女今日寮への引っ越しだったから、まだ電話もなしで、私からは連絡できない。それに今日の結果は大切なことだから、すっぽかすわけにもいかないし。ざんね~~ん。一人淋しく夕飯を食べ、あ~~~~今日は疲れたっと。今日はこんなに疲れたけど、学生証を手に入れただけ。情報はゼロ。

■1998.09.30(水)
今日はお昼の1時にアパート見学者がやってきた。(大学に受かって滞在が延びるので、さらに安い家に引っ越す予定!)たいそう気に入ってくれて、すぐに決めてくれた。見学者一人目で決まるとは私もラッキー。ピアノをやっている若い女の子で、ここにピアノを置くらしい。すごいね。彼女は11月の中旬に入居したいらしいので、私もゆっくり引っ越しできます。私の方は、フランス人不動産屋でステュディオ(ワンルーム)を探しています。ここから遠くないところで、小さくてもいいので、気持ちの良い家賃2500F程度で、出来たら集中暖房の建物。昨日目を付けてたところは誰かにとられて、今日は他のを見つけて月曜日の午後(訪問開始日)に一つ、見にいくつもり。これはデュプレッス駅とモット・ピッケの中間くらいで、16Mのステュディオ、お風呂付き(トイレとは別)、お湯・暖房込みで、2500F。ここの不動産のおばさんはとても親切そうだった。キャロリーヌが保証人になってくれることを説明したら「じゃあ、問題ありません」って。いい物件だったらいいけど。
そのあと、大学へ行ってプログラムなどをもらってきた。おもしろそうです。月曜日の朝から取ろうと思っている授業が始まるので、行かなくてはいけません。詳しい時間割りやゼミの先生は10月の末までに登録するそうです。明日はいよいよ中学時代からの友、Hちゃんがパリに到着します。結局空港まで向かえに行くことになりました。不安らしいです。あんなに英語が喋れても不安なのね。
今日から仰々しく100年目の自動車の国際見本市が始まりました。これ、Hの目的の一つ。テレビで見たけどすんごい人でした。

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