フランス留学記 1998年8月
■1998.08.06(木)
ずっと寒い日が続いていた今年の夏。7月などは日照時間が平均的な年よりも100時間も少なかったんだって。ところが3日に元同僚のMさんが2週間のバカンスを過ごすためにパリに到着したとたん、とても暖かい(暑い)日が続いています。この週末なんて32度、33度まであがるそうです。よかったよかった。ようやくの夏。
今度の週末はキャロリーヌの両親の田舎の家でフランス語強化合宿、いえいえ週末だけの短いバカンス。だから天気がいいほうがいい。そしてタジマンはイスタンブールに着いている頃だわ。
■1998.08.10(日)
昨日、今日とキャロリーヌの車に乗って、彼女の両親の田舎の家(すなわち別荘)へ行ってきた。行きの車の中、後部座席に座った(もう一人キャロが年配の友人を同伴したので、彼女が助手席に座ったので・・・)私は、記録的な猛暑の中、2時間半の冷房のきかないドライブで、暑くて暑くてもう体も脳味噌も溶けそうであった。CHEVILLON(シュヴィヨン)の村についたときはちょっと枯れかかっていたのです。とにかく車を降りても、家に入っても、散歩をしても、暑くて暑くて、溶けそうで、倒れそうでした。やっぱりいくら湿気が日本より少ないといっても35度を過ぎて(今日は37度やで!明日は38度、あしたクレルモンフェランなんて40度!)クーラーなしはきついです。日差しは日本より格段に強いしね。
キャロのパパは大きくてもの静かで優しそうな人。ママは完全にノーメークの日本人(日本人ぽいだけで実際はタイ・フランスのハーフ)て感じです、すんごい美人で余分な肉のついてないすっきりとした体型で驚き!快活で明るい人。ベアんちでもそうだったけど、ママはどこでもよく働くのであった。
まずはキャロのバースディのケーキカットから始まったのだ。お家はベアの家の方がキュートだけど、こちらはお庭がすんごい広くてそれは快適。私にはベッドが2つある若者用の部屋?「黄色の部屋」をあてがわれた。部屋には一人だったから気楽だった。バスルームも2つあるし。快適!快適!
1日目の夜は夕方6時半頃家を出て、43キロ離れたFERRIERES(フェリエール)という街のお祭りへでかけた。車でえんえんと幾つかの集落をぬけて、アラン・ドロンが所有している広大な敷地の横を抜けて、30-40分程で到着。この街の住人が大勢参加して、プロの役者もまじって、街全体が中世にタイムトリップ。皆がその時代の衣装をまとい、街角で人々が話し込んでいたり、歌を唄ったり、喧嘩をしていたり、馬を引く人がいたり、川では女性たちが洗濯をしていたり・・・。ともかく老人も子供も、観光客以外はみんな中世の人に。あと様々な職人も露天を出していたり、けっこうなにぎわいだった。この祭りは夜の10時からで、街の教会の集会所では夕食会があって、予約していた私たちは、これまだすごい西日の中(溶けそうで死にそうになりながら)、食事をしたのだった。給仕の人たちもみんな衣装をきて、お料理も値段の割りにはおいしかったです(お祭りの入場料と飲み物と料理で120F)。
今朝はみんな起きてきた順に参加して(べったはやっぱりキャロ)庭のテラスで朝食。手作りのジャムは定番だね。そして少し車で街を回った(キャロさぼり)。そしてなぜかみんなで麻雀(キャロ家の定番)。そのあと軽く遅い昼食をとって、午後4時ごろ2つめの目的であったアトリエ訪問。キャロの両親がすごくひいきにしてるアーティストがいて、70才位のお婆ちゃん画家・陶芸家・彫刻家。でもこの人の特徴は焼き物の寄せ集めで絵を表現すること。地道に活動していて、地元の教会とか公共の建築にたくさん作品を残している。このばあちゃんマリーと一緒に働いているジョルジュは陶芸家で彼女の出す色を使って作品を作っている。彼らはご両親の良い友でもあって、ここの陶器や絵をたくさん買っているのだそうだ。私たちもそれで食事をしたし、たしかに食器がとても素敵。なんとなく日本的なんだな、これが・・・金属的な発色で。それに日本の手作り和食器の価格に比べたら、けっこう安い。私は迷ったけど、ひとつ思い出にサラダボールくらいのものを購入。120Fを100Fに学生割引してくれた。キャロママは私に・・・と、私が手にとって気に入って見てた湯のみみたいなゴブレットを買ってくれた。そしてジョルジュ自身もまたプレゼントに小さな一輪差しをくれた。みなでなんやかんやとおしゃべりをして夕方も遅く家に戻り、夕食をまたいただいてからパリに帰ってきたのだ。お土産は他に、朝のドライブで回った所々で、いつも彼らが買っている地卵を買い、それが6つ私にも与えられた。あとたいへん美味しい田舎パンの半分。あとママ手作りジャム。ああ、楽しい週末だった。
ところで日本でも大きい企業で働いていると色々なお得な特典がついているものだけど、フランスのそういう話をさっきテレビでやっていました。もっとも気に入ったのは、あの憎き(個人的な恨みから)EDF(国営の電気会社)に勤めていると電気代はほぼただなんだって、95%オフ。フランス最大の通信販売ラ・ルトゥードゥは商品15%オフ。トムソン(半官半民の電気製品会社は20%オフ。ここらはまあかわいい方だね。エール・フランスをはじめ移動関係(国鉄や地下鉄会社も)もかなりすごいね。これまたほとんどタダ。パリ-ストラスブール間のチケットを普通に買えば800Fだけど社員は42F。まあもちろん正規料金をはらって乗る人が優先だけど。あとおもしろかったのはフランステレコム(元国営の電話会社)では1ヵ月50Fの携帯電話で8時間の通話がOKだって。日本にもいろいろあるんだろうけど、なんかフランスの方が太っ腹な気がするね。
■1998.08.17(月)
今日のお昼はイスタンブールからパリ入りした田島夫妻とキャロリーヌと一緒に会い、キャロと私がよく行く彼女の仕事場近くのクレープリー(クレープ屋)に行きました。うちの母とかもそうだったけど、けっこう日本人にはサラザン(蕎麦粉)のクレープは受けるみたいで、2人とも喜んでくれていたようだった。食後、これまた近くのリヨン駅構内の美しい内装を持つ「ル・トラン・ブルー」で、この間私たちが田舎で過ごした写真を見ながら、お茶の時を楽しんだ。旦那様はキャロの写真をたいそう気に入ったみたいで3枚写真をもらっていた。ヒマワリの写真とか、マリー(私の買った陶器を作ったジョルジュの親方)の作品とか、池に浮かんだボートの写真とか。キャロも嬉しそうにあげてくれた。私の友人日本代表とフランス代表の出会いが実現した嬉しい1日。
■1998.08.18(火)
今朝は私もいつもよりは早起きしたけど、朝はもう寒いや。今旅立つタジマンにバイバイの電話をかけたところ。また明日も会えそうなのにもう明日からいないんだよね。淋しくなる。
■1998.08.19(水)
いやだなあ、今週末は結局雨が降るみたいだ。日曜日には持ちなおしてくれると嬉しいけど。せっかくの遠足(リールという街へ行きます)なのに・・・。
今日も夕方プラプラと、コメルス散歩に出た。もうすぐ新学期、こちらでは1年の始まりだね。それに向けてまたどんどんコメルスも変わろうとしている。モットピッケ駅前のモノプリは入り口付近の工事も終わり、きれいになった。つぶれたカンガルー(インテリアや日曜雑貨)の後には、その正面に今年の夏にオープンした「GAP」というメーカーの子供服が入ることに決定。冬のオープンをめざすそうだ。つぶれた個人商店のカバン屋さんの後は何かわからないけど赤いペンキを塗って、新学期オープンを目指していた。時々行っていたイヴ・ロシェールって自然派化粧品のチェーン店も7月いっぱいでつぶれた。安ホテルの隣のさえない下着屋もつぶれたでしょ。その辺りの婦人服店も2件ともつぶれたでしょ。コメルス駅を出てすぐ左手のオヤジカフェはこの度閉店の運びになりました・・・って張り紙があるし。けっこういい味だしてたのに・・・。本当に私がいる短い間にも目まぐるしく変わっていく。個人商店ってのは最近特に生き残りが難しいらしい。夏に閉店したコメルス駅前のミニ・モノプリは、私には水などの重いものを買う一番近いスーパーだったのに・・・(もう一つ近いスーパーedには私の愛飲しているヴォルビックを置いていない)と、とても不便に感じている今日この頃。モノプリさんにとっては、ここから2キロ4方に大きいモノプリを3軒も置いているから、閉店して当然なんだろうけど・・・。ここもどんどんお洒落な雰囲気に変わっていく。私はコメルスの下町っぽい田舎臭さが好きだったのに。どんどん大型資本がこうやって介入して街並をもかえていくんだね・・・。
■1998.08.23(日)
昨日、今日はフランス発見の遠足。リールという北の街に行ってきた・・・と言っても列車でたった1時間。1日にパリ-リール間は24往復のTGVが出ていて、これならもう通勤もラクラクではないか!と思ってしまいます。リールってのはもうほとんど文化的にはベルギー。街並は完全にそう。まるでブリュッセルに来たみたい。パリの北駅の中古石を使って作られたリール・フランドル駅は、有名な現代建築家のデザインした巨大複合施設ユーラリールのすぐとなり。最近改装して質がさらによくなった美術館に行ってゆっくりと時を過ごした(ここはフランスでもクラッシック作品の美術館としては5本の指に入る)。
今日は午前中雨がふってなかったので、ギマール(私の好きな建築家)の唯一のパリ地方以外がここリールにあるので、その作品を見てきた。それは感動的だった。その道に入ってからドキドキしていたけど、ふ~っと何気なく現れて感動なのだ。本で見るよりぜんぜんいい。1階商店のシャッターが下りていたのがちょっと残念だったけど・・・。そのあとその近くのリールで最も長いガンベッタ通りに行くと、ここは商店もところどころ店をあけていて人人人。日曜日の今日、街にはほとんど人がいなかったけど、朝市もでるここにすべての市民が集まっているかのようだった。それからまた中心に戻り楽しみにしていたバスツアーの時間を待つ。そしてそのバスツアーは、よかった。ガイドさんの話はとてもわかりやすくて、丁寧で、とうてい足では歩き尽くせないこの大きな街中のほとんどの地区をゆっくりと見てまわり、時々はバスからおりて、そして圧巻はリールの五稜郭「シタデル」(語源はスペイン語)。ここは街はずれにあって文字通り五角形。周囲の長さは2,5キロ。どうしてこんな観光にもってこいのところを夏の日曜日にしか公開、それも観光局に予約した人だけ、なんて・・・なんで???と思っていたら、それもそのはず。ここは一応今も軍事施設で、入り口にも「軍事施設につき立ち入り禁止」って書いてあった。中はなんのことはない建物があるだけなんだけど、五角形の中心に旗用ポールがあって、五角のそれぞれに道が伸びていてそれにそって建物が並んでいます。今は軍人さんの寮みたいに使っているようだ。この2時間のバスツアー、「シタデル」見学も専属ガイドさんもついて、たったの55F。どう安いでしょ?ただず~~~っと雨模様だったのが残念でした。
ところでフランスでは明日からいくつかの小学校が新学期開始、のニュースでニュース番組はもちきり。このシーズン、日本より派手にやるのが、新学期にむけて購入しなければならないものにかかる経費。私もこれを見るのは3年目だけど、少々飽きてきた。でも本当に日本と違って購入しなければならないもののリスト項目が多すぎるように思うんだけど。この3年で大きく変わったものはフランス版ランドセル。こっちの子供は十数キロの荷物を持って通学するという異常事態になっていて、大人の旅行バッグでも大ブレイクしているコロつきでひっぱれるやつ、がランドセルにも昨年あたりから登場して、今年はかなり市民権を得てきてる。そんなことよりあほみたいに分厚い重いノートを科目ごとに持たせず、ルーズリーフにして、学校にお道具や、その夜使わない教科書(これまたあほみたいに重い、使えなくなるまで先輩から後輩へ持ち回りだから)を置いておけるようにしたらいいのではないでしょうか。要領の悪さを子供の時から仕込んでいるだけのような気がするけど・・・。
■1998.08.26(水)
今日は久しぶりにJF(ジャン・フランソワ)に会い、彼の学部の友人ブルターニュ出身のローラン君も一緒でした。彼はカナダに1年間語学留学していたらしく、日本人の多いクラスで生活しているうちに日本に興味を持つようになったとのこと。今、パリの大学では日本語を勉強しています。今夜彼らは、それぞれの彼女がお出かけしていないので、淋しく2人で夕食を作って一緒に食べるのだと。この「淋しい会」に私も誘ってくれて、お言葉に甘えてごちそうになってきました。
今夜は家主のいないメグミ(JFの彼女)邸で、そのローラン君がつくってくれた。トマトソースのあっさり味のシンプル料理、おいしかったです。メグミ邸は滞在許可証をもらいに行く憎きポリスの真前。曲線のファサードをもつ巨大集合住宅の中のステュディオ。とても快適なところ。JFも今じゃすっかり住人となって仲良い雰囲気が伝わってきました。今週の土曜日は「とんかつ」を食べさせてくれるんだって。楽しみー。
■1998.08.29(土)
メグミ&JF邸にトンカツを食べに行ってきました。JFがかいがいしく働く姿、なかなかです。彼がとんかつを作ってメグミちゃんがサラダを作ってくれました。論文がちゃんと終わったらまた夕飯に呼んでくれるんだって。料理もすごくおいしかったですが、やっぱり友達と楽しくおしゃべりをするのはとても楽しいです。メグミちゃんは今年でパリ滞在5年目、言語学専攻の修士の学生さん。9月の12日が論文の最終の最終の締切で(本当は夏前だから)今ノルマの100ページ中、30数ページが終わったそうです。今年、これで修士をとって秋からDEA(博士準備課程1年)に進むそうですが、もし今年論文が通らなかったら、ご両親とは一応日本に帰る約束になっているらしい。大変そう・・・。
私の周りにはじっくりと真面目にやっている人が多い。メグミちゃんのように一生懸命にやっている人とは、話していてやっぱり楽しいし、色々ためにもなる。最近は頻繁には会ってないけど、マコト氏(在仏11年目)や竹内さん(7年目くらい?かな)なんかもしっかり実績を積みながら頑張っている人たち。やはり石の上に3年というけれど、石の街に3年。ようやくいろんな事がわかってきて、いろんな事が出来るようになってくる。人との関係も大事。頑張れば道は開かれるのだね。私の編入試験はいよいよ来週。
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