フランス留学記 1997年10月
■1997.10.01(水)
昨日は疲れたし、今日も疲れたし、これからも疲れるだろうけど、パリ校がやるのはフランスだけ(これ私には重要)のルネッサンス以降の美術史だからね、気合いは入っています。昨日はフランス・ルネッサンスの導入のためにイタリア・ルネッサンスの話が続いたから、相当疲れた。でも今後は基本的にフランスのことしかしないから、フランスのことを知るのはとても嬉しい。しかし興味があるとか、すでにある程度知っているところは復習も楽だけど、今は新しい環境や新しい生活のリズムに慣れなきゃだし、知らないところが続くから大変。今日、本当は講義のない日だったんけど、フランス・ルネッサンス期を知るには欠かせないフランス王家の歴史の特別講義があった。なんだかまだ蜘の糸みたいにごちゃごちゃしているけど、今夜も復習なのだ!頑張るのだ、この1年は!でも少し甘やかしてもらっていて、前日の講義のレジュメがもらえるのは大いに助かる。
今日は、また交通機関無料の日でした。昨日大気汚染がとうとう前代未聞のレヴェル3に到達。すごいことです。昨日確かに私は息が苦しかったぞ。天気のいいのはいいことだが、午後は信じられないくらいに暑い!なんとかして~って暑さです。
■1997.10.04(土)
今夜はチヅコ邸でカレーの夕べでした。アンジェロの友人のイタリア人のクリスティーア(かなりネイティブに近いフランス語を話す、すっごくチャーミングな女の子)と4人だった。彼女には私が今度なにか日本食をご馳走してあげましょう・・・。彼女はこれからも1ヵ月に一度は、私たちをこうして招待してくれるそうです。彼女、お料理上手だし楽しみだわ!
明日はパリ-ツールというタイトル(自転車)があります。来週はシーズン最後のビッグタイトル、サンセバスチアンも放送があるので、楽しみです。
明日はお昼をヒトコ邸で・・・、JFと訪れます。明日もまた暖かそうです。南の方は高温の新記録更新中です。マダみんな海で泳いでるで~。
■1997.10.05(日)
今日は午後JF(ジャン・フランソワ)とヒトコ邸での昼食会。な、なんと恐ろしいことにアントレからデザートまで5時間もかかっていましたが、おしゃべりはいっぱい出来てとても楽しかった。私は約束したメインのコンフィ・ドゥ・カナル(鴨の油付け缶詰)とそれに添える栗を持っていったのですが・・・、実はコンフィ・ドゥ・カナルではなく、トゥールーズの名物料理カスレーでありました。コンフィ・ドゥ・カナルと信じ切っていた私は、一度もラベルを見ませんでしたが・・・ボケボケでありました。ははは!(と、いうのも同じメーカーでラベルがほとんどまったく一緒なのです)。ところで、このコンフィ・ドゥ・カナル、缶詰などと侮ってはいけません。不健康そうな保存食だけど、高級だし、旨いんだからね!しっかし、カスレ-は・・・、うーん、とても旨いとはとても豪語できませんぬ。
■1997.10.07
今日は午前中がフランス・ルネッサンス建築。昼休みに自由参加のミニアチュールのエマイユ(七宝)作品をみながらのミニ講義。学校の近くにクリスティーズのパリ支社兼展示場があって、そこでは今度競買にかかる作品を実際に見ることが出来る。だからこういう機会(ミニ講義)がたまにあるらしいのです。今日もこのときに、以前にこのようなものが競買にかかるときに作られた豪華パンフを2冊もらった。午後はアルスナル図書館でのマニュスクリ(手書きの)の古書を見ながらの講義。現地に行っての講義は、荷物も重いし、立ったまま話を聞かないといけないし、なかなか体力的に疲れます。最初のパーティーの日、1期生の日本人学生さんをマルクに紹介されたのだが、その人が「ここ暑いわねー。化粧がドロドロになっちゃうわ」と、まだドロドロにならずビタ~とついているファンデーションをハンカチでおさえながら言った言葉が、印象に残っている。「この学校はヴィジット(現地で講義を受けるやつ)が多いんですけど、私もけっこう年ですからそれがキツかったんですけれどもねえ・・・」と。年令不詳のその彼女が言っていた言葉の意味、今は体で実感しています。はい。明日はゼミです。
■1997.10.08
今日はずっとアメ。いやだああ。明日は午後、フォンテーヌ・ブロー城のヴィジットなのに!!!カチア(クラスメート)はバスで行くし、城の中にすぐ入るんだから、問題ないっていうけど、そう言うものじゃないでしょう。光があるほうがすべてきれいに見えるもの。この城はフランスのルネッサンスを代表する大作品なのだ。今まで混沌としていた時代の霧が少しずつ晴れていくのはとてもおもしろいです。しかしその反面、今日のゼミで一回も発言できなかった自分がみじめでした。でも頑張るぞ!
■1997.10.10
今日は学校のあと、久しぶりにフランソワーズ(語学学校時代の先生)邸を訪問。彼女の事は私も大好きなので会うと幸せな気分になる。でも今日は彼女の孫ルイ(15ヵ月)がいて、たいへんでした。でもやっぱ西洋の子はかわいいねえ。ぜんぜん人見知りしないいい子でした。今日は彼のお守りをしないといけないらしく、夕食は一緒にできなかったけど、すんごいおいしい手作りチョコケーキを食べさせてもらった。
明日はお昼にチヅコ(ユキコ邸を引き継いだ女の子)邸にJFと招かれています。しかし週末はちょっと寝る時間気にしなくていいから、勉強もしなきゃ。でも日曜日は自転車をみなきゃ。シェナンも学校が始まって相当きつそう。去年彼女の学校に彼女のように2年生(彼女の学校は3年制)に編入した韓国人4人は全員消えたそう。そういえばこのところコメルス通りは韓国人が多いぞ!!!
■1997.10.11
今日のチヅコ邸でのパーティはJFもチヅコも楽しんでくれてたし、紹介したことをすごく喜んでくれて、私も嬉しかった。チヅコちゃんは、語学学校のお友達でお菓子の勉強をしている人と一緒にレアチーズケーキも作ってくれていた。これもなかなかおいしかったのだ。チヅコちゃんはまたユキコちゃんとまったく違うタイプの人だけど、いい子です。
夜はJFが誘ってくれた日本の小劇団の芝居を見にいった(フランスにおける日本年の行事の一つ)。なんでもこれに関わるアルバイトをしているMちゃんがチケットをくれたのだそう。内容は期待してなかったけど、久しぶりに芝居を見て、すんごいおもしろかった。けっこう台詞に下手なフランス語を混ぜたりして、それも笑いを誘ったけど、字幕(それも全部ではない)を見てしかわからないフランス人はどれだけ理解できたのだろう・・・。けっこう江戸時代のブラックユーモアなので、難しかったと思う。私はとってもラッキーだった。普通に入れば120Fするらしい。日本に比べたら格段に安いけど。芝居が終わったのがもう夜の0時近くて、JFが「お腹減った」って言うから、うちのごく近所で遅くまでやっている「シェ・パパ」というレストランで軽く食べた。面白いのはパパ(店のパトロン)があいさつにやってきてお客と握手してくのだ。ここは常連が多いみたいで時々座り込んでお客と話し込んでいた。この店、すごく安くてボリュームたっぷりってことで有名らしい。パリ市内に4つくらい店があるようです。
フランス新たに牛肉にトラブル。牛に殺鼠剤を与えていることが判明。これは肉の発色を良くする効果があるんだそうだ。ああああ。こわいこわい。
■1997.10.13
今日は朝ユキコちゃんの職場の友人(建築をやっている人)で今フランスを旅行中のヤスコさんから電話があって、昼食を一緒にしました。水曜日にJFとチヅコと3人でパリ近郊の城に行く予定なので、彼女も誘ってあげました。けっこうへんな4人組だね。
今日はけっこう寒くて、明日なんかは最高気温が12度だって。冷えそうです。明日の午後はパリの市内のルネッサンス建築見学。夜はキャロリーヌ(大蔵省で働いている友達)邸に招待されている。
■1997.10.14
今日はめっちゃくちゃ寒かった~。午後からの外のヴィジットも凍えながらであった。ひえ~~~。そして夜はキャロリーヌさんの家に初めてのお呼ばれ。ふだんから彼女の几帳面さは伝わってきていたけど、アパートを見て再認識!!!全く新築のアパートで、とてもきれいにデコレーションされている。モダンな小物や色使いのセンスがすごくいい。楽しくお話をしながら夕食を食べて、その後は彼女のアール・ヌーヴォーをめぐる旅の記録をみせてもらった。すごいきちんとまとめられてまたまた感動!!!帰りはわざわざ車で家まで送ってくれたし、本当に信じられないくらい親切な人・・・。今日わかったことだけど、彼女には4分の1、タイの血が入っているんだって。
■1997.10.15
今日はとても雨のきつい日で、ちょっと陰気臭い1日だった。
朝の講義が終わって、約束の場所に出かけましたが、みんな(4人)そろって、まずは昼食。JFも今日も初めて会う人(ヤスコさん)がいてちょっと最初は緊張気味だったけど、だんだん打ち解けて、今日も一生懸命日本語でヤスコさんとしゃべっていました。
しかし私はスイミン不足で、死にそうではあったのです。というのも、昨夜遅くにキャロリーヌの所から帰って、寝る前にふーっとチャンネルを回していると、アルト(5チャンネル)で日本語が聞こえた・・・だからふと手を止めてしまったのだ。すると次に久しぶりのナガセ(永瀬正敏)の顔・・・。あ~と思いつつ、タイトルが出てきたので、今から始まるのだと知った・・・。ああああ~~~、と思いつつ、最後まで見てしまった。ナガセの映画をフランスにきてからテレビで見るのは2回目。「ああ、なんという偶然・・・」というわけで、結局寝たのは4時すぎでした。で今朝から眠かったのです。
で、今夜は城から帰ってチヅコちゃんと学食に行って、夕食を食べていたら「ここ、いいですか?」って日本人の男の子が聞いてきた。まだパリについて2週間くらいの男の子。いっぱいからかって、しゃべりまくって、あーすっきり。
■1997.10.17
今日もスイミン不足でしんどかったけど、朝は頑張って起きて学校へ行く。午後は郊外のエクーアン城見学。今日は日本からのお客さま、東京にある庭園美術館の館長夫人Tさんとその滞在のお世話をしているマルクも同行した。そう言えばマルクはJFとしゃべり方とかが似ている。しかし彼より背が高くて(と言ってもJFも1M85はあるぞ)、人を疑うことを知らないような純粋そ~~な人。本当に日本が好きみたいで私たちにとても親切。そうそう、城のすぐ上は飛行機の通り道みたいで、コンコルド機がすぐ頭の上を横切っていったので、ちょっと感動しました。きれいな形・・・そして学校の前までバスで戻ったあとはカチアとオペラまで出て、カチア推薦のブティックを何軒か一緒にみて、帰ってきました。明日は待ちに待った週末だあ。さあ、ねるど~~~。
■1997.10.18
今日午後JFと会ったのだが、引き続き夜、彼が知り合いの家であるフェット(パーティ)に誘ってくれたので、興味半分に行ってみた。すごいストレスの発散ですねえ。ディスコみたいにおっきい音でガンガン音楽をならして、ダンスはみんなマサイ族みたいにガンガン上下に飛んでました。これではご近所の住人もたいへんです。私はこういうのはちょっと苦手なほうなので、数人の人と窓辺やキッチンで話をしていました。雰囲気に酔って、むっちゃ疲れたけど、フランス人の生態を知るおもしろい経験。
このパーティの主催者ヴァンサンの彼女が日本人の女の子、ということもあってかそこには日本人が何人かいたが、玄関を入ってまずびっくりしたのが、日本人で固まって部屋の角でウンコ座り(今も言う?)をし、円を作り、煙草をすっていた事。そこの風景だけが、パーティの様子とは切り離された異様な日本ぽい雰囲気を作り出していた。こわい・・・。
いまM6(テレビのチャンネル)つけているのだが、急に「玄関あけたら2分でご飯、」って言い出したから、びっくり。なつかしいコマーシャル!サトウのご飯ですね。世界のコマーシャル紹介番組なのだが・・・、これかなり古すぎるで~。
今日はもう10月も半ばだっていうのに異常に暑かった!!げえ、って感じの暑さでした。
■1997.10.22
今日は朝の授業を休み滞在許可証の申請4回目にチャレンジ。本当に今回は嫌がらせのように書類にイチャモンをつけられた。今日も朝8時から延々4時間半、最後まで行ったものの(何段階かある)、最後の最後でもうひとつ要求が加わった。だから最初からみんな提示してくれよ~~~。次回はもう直接最後の砦にアクセス出来るのだが、それにしても・・・今回は参った。
午後は、学校の課題レポート「展示会批評」の為、グラン・パレに出かけていった。ここでの展示会は値段も高いうえ、いつもすんごい人で、入るまでの待ち時間がながい。だから先日会員になっておいた。これで何度でも出入りできるうえ、待たずにすんなり入れるのでラクチンだあ。私が今日見た「ジョルジュ・ドゥ・ラ・トゥール」、もう一つ別ののグラン・パレの展示「プリュードン」、マルモッタン美術館の印象派の展覧会、この3つのなかから一つ選ばなければいけないのです。が、たぶん私は「ジョルジュ・ドゥ・ラ・トゥール」を選ぶかな。
明日は午前の講義のあと午後はパリ市外境界線のサン・ドニ大聖堂の見学です。
■1997.10.23
今日の朝は4度。吐く息も真っ白で日本の冬だね。今日の午後なんかは教会の見学だったので、足先からしんしんと冷えました。といっても今日は教会を見ると言うよりはサン・ドニ教会の中にある歴代フランス王の墓の見学。
来週は待ちに待ったヴァカンスです。この一週間で今までの遅れを取り戻さなければ。宿題もあるし、あまりゆっくりはできないけど・・・。うれじ~い!休みが終わると研修旅行1泊2日の旅です。ロワールです。
今日は午後の見学が6時頃終わったあと、ヒトコチャンの航空券予約に付き合い、そのあと夜9時まであいてるデパートをめぐり(木曜日はどこも遅くまでやっている)、とうとうとうとう昨年からの念願のロングコートを買ってしまいました。とても素敵なのがあって、そんなに高くなかったし、日本人用10%オフカードを利用して、賢いお買い物。
明日は午前の講義のあと、先週いったエクーアン城の見学再び。明日は陶器やらをみるのだそう。これはもっとも苦手な分野。
■1997.10.26
今日は午後、ベアから世話を頼まれていた日本からの旅行者Aさんに会うために出かけていったのですが、見事に会えず、むかついて帰ってきた。そしてちょっと勉強したりしながら、これまた日本からのお客様、ヒイロ夫人からの連絡を待っていました。ユーロスターの到着が遅れたこともあって、9時近くになって「北駅につきました~~」って電話。私は時間を読んで近所のモット・ピッケ駅までお迎えに行った。そしてモット・ピッケのカフェで軽く食べて帰ってきたところだ。
そうそう、夫人を迎えにいく前に、例のアヤさんから連絡があって、なんと彼女は地上のピラミッドの前で待ってたとのこと。「地下の逆ピラミッドで・・・」って何度も念を押したのに・・・。頭痛。地上のピラミッドなんて人が多すぎるし、会えるわけないじゃん・・・と思いつつ、ちょっと電話で話したが、今は市役所で働いているらしく、何でもフランスには今後永住したいのだそうだ。「そんなの、フランス人と結婚でもしないかぎり難しいんじゃない?」と言うと「そうですねえ、たぶんそういうことになるのかなあ」って。「え?今フランス人の彼がいるとか?」「いいえ」再び頭痛。ベアから頼まれてることもあるから日を改めて会うつもりだが・・・。
■1997.10.29
今日午後、お昼にご招待して頂きカツコ夫人(クラスメート)の家にヒトコちゃんと二人で行ってきました。16区のとても素敵なアパルトマンでした。お食事はアンディーブとクルミのサラダ、季節のジビエ(野鳥など狩りで収穫されたもの)のキジ(鉄砲の玉が残っているかもしれないから気をつけて・・・と驚かされた)とレーズン・人参の添え物、ここでなぜかご飯とお漬物が登場、そして手作りのケーキ・・・と、とてもおいしいフルコースのお食事でした。カツコさんも私の毒舌トークを本当に楽しそうに笑って聞いてくれたり、色々と彼女自身の話もしてくれたので、よかったと思います。なんと言っても在仏18年、私たちの大先輩だもの、頼りになります。
夜は例のAさんとモット・ピッケで会った。彼女は京都大学法学部出身の超インテリ。ベアからゴルチエのファッションが好きで・・・とか聞いていたので派手な人かと思ってたら、それほどではなかった。しかし少しやっぱり感覚的に変わった人なのかも・・・。厳しい母親や、合わない日本社会から脱出したいらしい。でもそういう人って結局どこに行っても合わないんじゃないかな・・・と思う。そういう日本人が外国に行って合うわ~って思うのは錯覚なんじゃないか・・・と、最近思う。やはりそこで働き、友達を持ち、世帯を形成して時、きっと同じ問題が出てくるはず。旅行者のような一時滞在者に周囲の人がとやかく言うわけがなく、それを居心地のよさととらえてはいけないのだと思う。結局は周囲とどれだけ関わっていくか、それが問題。確かに私も日本の社会や思想、風潮には大いに不満がある。でもだからって日本人である自分を変えることは絶対に出来ないのだと思う。何らかの手段で永住の権利や、国籍を得ることは出来ても、日本の風土で培われた自身の核の部分は変わらないのだと思う。こちらに来てからいろんな日本人を見てきたけど、その都度自分を見つめ直している私です。
■1997.10.31
今日もよい天気のパリです。今朝はいつも早起きのヒトコちゃんに電話で起こしてもらい、マルクと彼の隣人アレキサンドラと4人でパリ郊外のシャンティ城に行ってきた。私にとってはすごい早起きだったので疲れた~。私にとっては2回目のシャンティ城。昨年何気なく見ていたものが、少し勉強した事を参考に見られたので、かなりいい復習になった。マルクの説明付きだったしね。アレキサンドラもとてもサンパ(感じがいい)な人で楽しかった。夜、帰ってきて、明日の我が家の昼食会の仕込みを終え、今に至る、って感じです。
マルクは来週末、ロンドンへ就職活動を兼ねた実習に行くのですが「またこんな風にみんなで出かけましょう!」と意欲的です。彼は現代建築が好きで、私とはそういう話をよくします。11月の初旬に日仏会館で建築のシンポジウムがあるから、興味があったら席を確保してくれるそうだ。火曜日に学校までプログラムを持ってきてくれるって。ほんとに親切ね。
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