« フランス留学記 1997年8月 | Accueil | フランス留学記 1997年10月 »

30/09/1997

フランス留学記 1997年9月

■1997.09.07(日)
明日はいよいよパリ大学修士課程の編入試験、外国人用語学試験がある。いやねえ。試験を待つのって、飛行機に乗るのと同じくらいいや。でもこれが終わったらスッキリいろんな事ができる。それはうれしい。

■1997.09.08(月)
今朝は7H20分くらいには会場の前についちゃって、試験開始までとても暇だった。7H45に集合だと書いてあったが、そう言ったら本当に7H45まで会場にも入れてくれないフランス式。開場後、いくつかの会場に分かれて3時間、あっと言うまであった。このくそ寒いというのにがんがん冷房してくれちゃって体の芯から冷えちゃって、もう大変。
ところで問題は全部で4つ。①が長文テキストの要約(5点)。②が5つの難しい単語を説明するもの(各1点、計5点)。③が長文の内容に関連したエッセイ(5点)「風景は19世紀のヨーロッパ絵画にとって特別重要であるか、否か」。④は同じく関連エッセイ(5点)「旅行は今も芸術創作にとって重要であるか」ひえ~~~。一応①③④は書いた。でも字数制限も解答欄の大きさもないから、どれくらいのボリュームが必要かは???②は残念ながら白紙のままになってしまった。わかんないから後回しにしたら時間がなくなった、でもこれはどれひとつとしてわかる単語ではなかったからお手上げ。結果は部屋にいた試験監督人の話だと10月初旬。ひえ~~。おもしろいのは誰の答案かは、名前の部分を糊付けして見えなくしちゃうから、わかんないのだ。あんな回答、今日で見おわるやろ~って感じなのに。しかし貴重な経験であった。試験中は目も頭も覚めていたけど、今猛烈にねむ~~~い。なんせ前夜3時間しか眠れなかったし。ともかく今私は試験が終わって幸せなのだ!
今日、「おかしいねえ、届かないねえ」なんて言っていたユキコちゃんからの葉書が3通一度に届いた。内容がどれも猛烈におかしくて、ひとりで声だしてわらってしまった。

■1997.09.09(火)
今日は夕方ヘアカットに行ってきた。と、言ってもたいした変化はありません。今は伸ばしているところだから、切りたい気持ちをぐっと押さえてがまんなのだ。そのあとオクラでも買おうかと思って、シャルル・ミッシェル(家から徒歩10分くらいの)の大きいモノプリ(スーパー)に行ってきた。しかし残念ながらオクラはすごく弱っていたのであきらめた。でもやっぱりあそこはいい。大きくて品数も豊富だし。隣に薩摩芋があったから今日は久しぶりに天ぷらにした。鳥の唐揚げつき。薩摩芋とズッキーニとナスとにんじんのてんぷら。ごちそう!
昨日はボルドーの近くですごい列車の事故があって、トラックとの衝突だったんだけど、なんせトラックが燃料を運んでいたので燃えまくって13人死亡、40数人重傷の大惨事になった。鉄道のレールがまだ燃えている。火がメラメラ、不思議な光景。でも以前から危ないポイントだったらしい。
最近フランステレコム(日本でいうNTT)の自慢商品「受話器を取る前に誰かわかる」が本格的に発売。広告をバンバンやってます。リ~ンリ~ン「あ、あの人だから私はいないと言ってくれ」「あ、彼だわ!私が出る!」とかの連続の家庭の風景。かけてる相手先の電話番号が表示画面にでるんだけど、いつも家からかけてくるとは限らないではないか・・・。ねえ。しかしこれで私を悩ませる夜中のファックス音の犯人が判るかもしれない。月10Fだから私も利用してみようかな。

■1997.09.10(水)
今朝は館がぶっこわれるような激震で目が覚めました。しかし地震ではありません。なんか上階の人が壁を叩き割っているのかと思いましたが、どうやらようやく幽霊がでそうな不気味な地下室に工事の手が入ったようです???しかしこれはたまらん。寝てられんぞ。その上この工事しばらく続くそうです。がーん。

■1997.09.12(金)
昨日はまたまたイタリアのユキコちゃんから電話があって、不満だらけの部屋を引き払い、もう新しい家を見付けたそう。ミラノにたつまでの1ヵ月、アパートをシェアするそう。今日も彼女からの葉書が(5通目)届いてまた笑ってしまった。いつも楽しいユキコちゃんがいなくなって本当に残念。

■1997.09.15(月)
今テレビで黒沢明の名作「七人の侍」を見ています。長い映画(3時間ちょっと)だが、けっこうおもしろい。7人の侍の一人にルパン3世に出てくる「ごえもん」みたいな人がいていい味をだしている。今月はARTE(チャンネルの名前)で黒沢とトリュフォー監督の特集をします。

■1997.09.16(火)
日本の台風の影響すごいみたいですねえ。電話中だったのでよくわからなかったが、フランスのニュースで映像を見た。道路が流れていってましたね。
最近では夜中はちと暖房をつけないといられません。めっきり秋も深まって、野菜屋さんには茸類がならび始めた。葡萄もはばをきかせている。でも私の今のお気にはメロン。おやつに1ヶ丸ごと食べる贅沢さ。しかし1ヶ10Fくらいで日本のように高くないのでほんと嬉しいです。
今日は薄い肌布団をコインランドリーしに行って、洗濯機が動いている間は買物に出かけたりして、その場を離れていた。するとどうでしょう、終わる頃を見計らって戻ると、洗濯機の蓋が開いていたので「誰かが・・・」と思って、もう一度蓋を閉めると再びまわり始めたので「・・・?」そしてそこにいたみんなの冷たい視線。なんか様子がへん。でも私は訳がわかんないから今度は終わるまで椅子に座って待っていた。それが終わると乾燥機に放りこんで、またそれが終わるのを待っていた。すると・・・工事隊2人がやってきて、私の使っていた機械をいじりだしたのです。そういえば、あたりはビシャビシャ水びたし。きっと私のいない間にこの機械、水を爆発したんですね。で、誰かが止めたんですね。きっと。なんか少し悪いなと思って、工事してる兄ちゃんに「これ使ってたの私なんですけど・・・」って話しかけたら「気にしなくていいよ。この機械が悪かったんだから」って言われてフォ~。まあイロイロあるわね。

■1997.09.19(金)
今夜は久しぶりのイザベルとの約束があった。そして来週の火曜日に任期を終え日本に帰国するカクトシとケイとも3人で帰国前に会おう!・・・とも言っていたのだが、カクトシの都合が今夜しか無理だというので、結局この4人で会うことになった。イザベルをこの二人に紹介するのは初めてだったけど、みんなで楽しく過ごせました。イザベルともどんどん親しさを感じるし、嬉しく思っています。食事の後、彼女を先に家まで送り届けたあと、今度は3人で(日本語で!)お茶をしたけど、二人に会うのも久しぶりだったので、色々積もる話もあって楽しかった。今まで二人には本当に楽しい思いをさせてもらったものね。ありがたいです。カクトシはまあ帰国はしますが、またすぐ出張でこちらにも来るそうだし、私やらケイが帰国するころには、また駐在に来るかもしれないとも言っていた。個性的で頭もいい人だったし、これからもコンタクトが取れればいいなと思っています。
明日はお昼にマコトくんと約束、そして夜はキャロリーヌが誘ってくれた夜景の無料バス!に乗りに行く。やっぱ、パリの夜景はきれいだもの、みんな大好きだよね。

■1997.09.20(土)
今日は忙しい一日であった。午後はマコト氏に久しぶりに会い、アップルエキスポに行き、そして夜はこれまた久しぶりのキャロリーヌ(オルセーの講座で知りあった人)たちとの夕べ。彼女とも前より親しく感じて楽しかったんだけど、彼女の方の連れは大学時代からの腐れ縁イザベル(今はニューヨークに住んで仕事を探している、パリでも浮いてしまう程のダイナミックな振る舞いの人)と、仕事の関係で離れて暮らしている旦那の友人夫婦(ニースに住んでる裁判官なのだ。すっかりお昇りさんで、でもそこがかわいい2人)と一緒でハチャメチャでグチャグチャ。しかし楽しかった。キャロリーヌは以前約束していた写真の焼増(すんごいたくさんの枚数)をくれて、お代は「セ・リアン(そんなのいいのよ)」といつものように親切。そのうえ頼んだ私さえ忘れていたパリのアール・ヌーヴォー建築の住所リストを、それも手書きで!(読みヅライが暖かさを感じる!)すごい感動しました。なんか私は本当にパリで数少ないけど親切で気持ちのいいフランス人に知り合えて幸せですね。
ところで明日と今日だけ無料で走る夜景バスに乗ったのも笑えた。いろいろあったんだけど、ともかくすごい人出で、実は夜景を楽しむどころではなかったのだ。最初席もなくて立っていた私たち、近くの親子が私の方をみて目で「おいで」って合図してた。だから私はほほえみ返しながらそこへ行くと、結局女の子の座ってた席を譲られ、女の子はお父さんのお膝へ。やさしいい!キャロリーヌたちもしばらく後にみなバラバラだけど席を確保。でも私は彼ら(エジプト系、でもフランスにきて20年の親子4人連れだった)とおしゃべりしながら楽しい一時。しかしともかくハチャメチャの夜であったのだ。あー疲れた。

■1997.09.22(月)
ああ、今日も長い一日であった。今日は不愉快の極みで一日が始まった。朝8時にポリスに行ったけど(恒例の滞在許可証更新の為)、一緒に行ったヒトコちゃんともども拒否されて帰ってきた。完璧に書類を用意していったのに、移民法改正と共にさらに条件が厳しくなったようだ。その上、私の番号(16)が何と!飛ばされたのだ。ここでは銀行の窓口のように番号札を取り、電光掲示板が番号とカウンターを示す仕組みになっている。今日は早起きのおかげで16番を確保し、見逃さないようにじっと掲示板を見つめていた。私は16(F)が点ったからすぐ、Fカウンターに行ったのに、どうやらそのF担当の親父は気付かないうち2回スイッチを押したのだと思う。で、私が行ったら「俺が呼んだのは17だ、何言ってる?」てな感じよ。そして事情説明をしたけど、ぼろかすに言って私を非難するだけ。で誰も書類を見てくれない。でもこんなことは私のフランス語のレベルの問題ではなく、よくあることです。フランス人達でさえあきらめている、自分の間違いを認めないフランス人が確かに多い。でも郵便局の人とかは割合親切なのにな・・・。そうそう、大学の職員とかも最悪!久しぶりにフランスの不愉快な部分を見せ付けられた・・・。
こういうわけで予定よりずいぶん早く追い出されたものだから、ヒトコちゃんと学校2件回って、奴らの主張する書類を取りにいった。でもまだ昼にも遠いからヒトコちゃんちを訪問しました。最近彼女はおじさん夫婦が所有する17区のアパートに引っ越したところだ。すごい広い。たしかにまだ工事中で完璧な状態ではないけど、台所用品は電子レンジ、冷凍庫、オーブン、食器洗浄機などなどばっちり揃っているし、生活するには問題ありません。今度家で眠っているコンフィカナルと栗を持っていって二人で食べるつもり。
夜は映画の試写会「La femme défendue」。けっこういい個性的な作品でおもしろかったです。テーマは不倫だけどカメラが私で私から見た彼女、若い愛人との二人芝居。この撮り方が個性的。試写のあと主演女優イザベル・カレと監督との討論会もあって色々な話も聞けておもしろかった。

■1997.09.25(木)
今日またイタリアのユキコちゃんから楽しいお便りが届いた。イタリアにもプリクラが上陸したようで、笑顔の写真付き。フランスにも最近あるけど彼女はそれを知らぬようで「イタリアにもフランスより進んでいるものがあった!」だって。かわいいね。
今日は天気もいいので、でっかいシャルル・ミッシェルのモノプリスーパーに出かけてきた。買い物カゴをとって中に入ると、ちょうど日本のオバちゃん3人がフォーション・コーナーの紅茶をぶつぶつ言いながら選んでいたのです。そして私がカゴをもって通り過ぎようとしてきたとき、その内の一人が、カゴを整理していた緑の制服の兄ちゃんにツカツカと近寄り「これはアップル・ティーですか?」と思いっきり日本語で聞くのです。私は驚き、なおかつおもしろすぎてずっこけそうでした。兄ちゃんは困って「WHAT?I・・I・I・I」と言っているので私がお助けしました。ちなみに彼女が手にしていたのはカシス茶でした。アップル・ティを教えてあげて立ち去る私に、なぜか彼女等は「サンキュ~」と言ってました。ハハハ・・・。おもろいオバタリアン。

■1997.09.26(金)
今朝もよい子で早起き、にっくきポリスへ再び行ってきました。今日も門があくまで30分くらい並んで待ち、22番をゲット。1階の書類審査は今日は難なく通過。しかし2階ではやはり拒否、しかし1ヵ月の一時延長カードをくれた。あわてないで準備してきなさい。って厳しい中にもやさしさのあるお姉さんでした。ヒトコちゃんはこの一時カードさえももらえず。本当に誰に当たるかは運よねえ。ともかく審査が厳しくなったのは確かなようです。はい。
未明から今朝にかけてイタリアの中心部で数回、地震があって(神戸とは比にならないけど)、なんせ建物がもろい崩れまくっていました。ユキコちゃんは無事なはず。しかし被害を受けた町はローマとフィレンツェ(ユキコちゃんの町)の間くらいだから、ちょっとくらい揺れたかもね。パトリモアン(世界遺跡)も壊れたとか・・・。

■1997.09.28(日)
今日は午後からチヅコ嬢(ユキコ邸を引き継いだ女の子)の家に行きました。ご飯を食べに来てって言ってくれたので空腹で行ったのだが何の用意もされていなくて、あれれ???アンジェロも約束の時間を過ぎても来ないし、私はお腹が減って死にそうで「何か食べに行かない?」と提案。もちろんアンジェロにははり紙を残して。そして食べ終わる頃、アンジェロ登場。アンジェロ登場予定時刻はチヅコ嬢の勘違いであった。ちゃんちゃん。再びチヅコ嬢の家に戻って色々お話。でも・・・やっぱユキコ邸にユキコちゃんがいないのは淋しい。昨日もユキコちゃんは手紙をくれました。パリにいる時は知らなかったけど超筆まめな人だったのだ。
最近のパリは昨年の今頃に比べてたいへん暖かいです。もちろん朝夜は寒いけど、昼間は半袖でok。汗ばむ日も・・・。異常気象ですよね。
明日からいよいよ学校ですね~~~。きんちょ~~。月曜日の午前中は去年取りたくて取れなかったルーブル美術学校の授業(聴講)も始まります。今年は早めに応募したから取れた!楽しみ。明日は今年度入学する学校「クリスティーズ・エデュカシオン・パリ校」でオリエンテーション、テスト、コリジェ(答え合わせ)、夜は入学パーティ。きんちょ~。大学の結果は、まだ来ませんねえ・・・、やっぱりダメだったかなあ・・・。

■1997.09.29(月)
長い一日が終わろうとしています。今日から毎日こんな日が続くのですねえ。たいへんですが、頑張りましょう!今日はまず最初にオリエンテーションがあって、そのあとスライドを見ながらそれに関する質問に答えるテスト。まあこの回は成績に関係ないとはいえ、なかなか難しい物でした。苦手はやっぱりオブジェですね(銀製品やら皿やらテーブルの上のものはとんとわかりませぬ)。テストのあと、もう一度スライドを見ながら、先生と回答。そのあと立食パーティ。この間、学校にヒトコチャンと書類をもらいに行ったとき、日本語をほんの片言だけど話す男性がいて、東京にも2ヵ月仕事で住んだことがあるらしい。彼、マルクは昨年度のスタッフ(実習生)で、もう今年はここでは働かないらしい。残念ですね。しかし彼は東京大好き人間で東京をあまり知らない私は話についていけない。東京では白金台に住んでいて、新宿とか虎ノ門とか大好きなんだそう。日本の西洋美術史第一人者の高階先生と色々やっていたそうだ。まあこの話はおいといて、学生は全部で31人。国籍は12、日本人4人。一人仲良くなれそうなフランス人の女の子(カチア)をみつけた。ソルボンヌを出て、エコール・デュ・ルーブルに編入して・・・・これからはクリスティーズで美術のエキスパートを目指すのでしょうか。明日から授業です。きんちょ~~。
今日のニュースから。ここ数年間のフランスの乳製品からダイオキシンが大量に検出されて、怖いです。食いまくってるからね、最近。

■1997.09.30(火)
つかれた~~。今日私は緊張のあまり始業25分前の1番乗りで到着。第1回目の講義はゴチック建築だったからおもしろかったけど、午後はイタリアルネッサンス絵画というあまり興味のない主題の上(これはヒトコちゃんの専門)、先生が訛りの強いアメリカ人なので、いまいち理解に苦しんだ。スライド見ながらなんだけど、どれもこれもイタリア絵画は同じに見えるのだ。あ~あ、早く私の時代に到着しないかなあ。
ところでこのクリスティーズ(学校の母体であるオークション・ハウス)は歴史が古いけど、パリ校は今年で2年目です。私も留学前に眺めていた「成功する留学専門学校編」に近い将来紹介されるらしく、するときっとすごく日本人ふえるだろうし、良かった、今年で・・・。本来クリスティーズの理念としては美術の勉強をした人をさらにエキスパートにする為の専門学校だから、ヒトコちゃんや私みたいなのが例外で、みんな大学で勉強していた人や、その世界で実際に働いていた人がほとんど。今日初日を終えて二人で「ついていけるかな・・・」と肩をがっくりと落としてしまった。

|

« フランス留学記 1997年8月 | Accueil | フランス留学記 1997年10月 »

Commentaires

Poster un commentaire



(Ne sera pas visible avec le commentaire.)


Les commentaires sont modérés. Ils n'apparaitront pas sur ce weblog tant que l'auteur ne les aura pas approuvés.



« フランス留学記 1997年8月 | Accueil | フランス留学記 1997年10月 »