フランス留学記 1997年8月
■1997.08.01(金)
今日は家に帰ってきたらポストに紙ペラメモ。それはEくんからで、ちょっと前に彼が旅行中のイタリアから手紙をもらっていたのであった。その時はもちろん知らない人からなのでびっくりしたけど、その日はブルガリアにいる元同僚Mさんからも同時に葉書が届いていた。このEくん、Mさんと海外青年協力隊の赴任先ブルガリアで一緒だった人で、任期を終えてあちこち旅行をして日本に帰るところなわけです。葉書にはMさんからの紹介で・・・とか電話番号を知らないので直接うかがいます・・・とか書いてあって「かわいそうに・・・来ても建物の中には(コードがないと)入られへんで・・・」とか思っていたわけです。一方Mさんからは「たいへんお世話になったEさんにパリの情報を教えてあげてください・・・」とか書いてある。その彼が私のアパルトマンの前まで来たのはいいが、当然のように中には入れず、共同扉の下からメモをしのばせて帰ったようで、またそれを見つけた親切な誰かが私のポストに入れてくれたようだ。私はなんだかこの過程がとても気に入った。私は彼がパリをたつ前日まで旅行でパリにいないので、今夜しか時間はなく、さっそく連絡先に電話をして、うちの近所のカフェで会ったわけです。電話の声の印象からは想像していなかった、とてもさわやかな青年で、短い時間だったけど未知の国ブルガリアの話なども色々聞けて思いがけない楽しい時間でした。何故か私がお土産を頂き(本場のブルガリンボイスのCDを2枚も!)、ブルガリアンボイスファンの私としてはまたとっても嬉しかったのです。彼が撮ったブルガリアの素敵な写真も何枚かもらってしまいました。とってもさわやかな気分で帰ると・・・あーはやくねなきゃ~。明日は朝7時過ぎのTGVに乗ってアムステルダムへ行くのだ。じゃあ、いってきま~す。
■1997.8.4(月)
2日から2泊3日で久しぶりに旅に出た。今回の場所は外国!と、言ってもパスポート・コントロールもないオランダ。ベルギーを越え、オランダ、アムステルダムまではTGVで約5時間。久しぶりによく歩き疲れたけど、とってもおもしろかった。なかなか私好みの街。街並としてはロンドンとブリュッセルとたして2で割ったような感じ。整然としていてなかなか清潔で、交通のための電線が街中を縦横無尽に走っている。アムスは公共の乗り物が本当に充実していてトラムなどは初心者の私にもとてもわかり良かった。そして、そして本当に自転車が愛されています。ここは中国かと思うくらい。自転車専用レーンも完全整備。日本の駅前のように自転車が山ほど駐輪されてます。本当に笑いが込み上げるほど自転車と同性愛者と奇人が多いです。
初日2日の土曜日はゲイ・プライドのデモ(デモというよりはお祭りかな?)があって、パリで毎年7月に行なわれているものよりは小規模だとは思うけど、これまた見物でした。パリと違うのはアムスらしく、運河を小舟でデモ・・・、奇抜な衣装や、ほとんど裸だったり、踊ったり、声高らかに何か言ってたり・・・と本当におもしろい。オランダはチューリップや風車の国ではなく、私にはドラッグと同性愛と性風俗の街って印象が強い。どれも私には関係ないが、これらのものが普通に街に存在しているのだから、全く変。オランダはデンマークなどとならんで同性愛者の権利を広く認め受け入れている。なぜか北欧の国は色んな点でフレキシブルだな。結婚はもとより子供を持つこと(もちろん養子)、その他異性結婚と同様の権利が認められているそうだ。事情はよく知らないが、だからここで生活をしたい同性のカップルが移住してくるのか、そういう所だからメッカのように詣でる人が多いのか?ともかく変。裸足で歩いている人(別に靴が買えない訳ではないよ)が多いのも気になった。ガイドブックで一般的に言われるのはイタリアのベネチア同様運河のことだが、人造の土地ゆえ(これもベネチア同様)地盤沈下がすごい。街中が神戸の震災後のようにボコボコで、この地盤沈下のせいでほとんどの建物は傾いている。私の留守中パリは天候が悪かったらしいけど、アムスは幸いにもさわやかで、むしろ少々すずしいくらいで観光も楽だった。
初日にはアンネ・フランクの隠れ家を見、翌日は運河めぐりをして、国立美術館(レンブラントやフェルメールの傑作が見れる)や私の好きなゴッホ美術館(弟テオによるコレクションが中心)、そして最終日はにぎやかなダム広場に面する王宮(夏期のみ見学できる)の後、ヴァン・ルーン邸(元個人のお屋敷でインテリアや家具の博物館)などなど美術館博物館三昧でした。
言語はもちろんオランダ語ですがほとんどの人が英語を流暢にあやつり、ドイツ語もかなりわかるようだ。私は英語で話し掛けられると、とっさに「キャン・ユー・スピーク・フレンチ?」攻撃に出た。すると皆不思議そうに「あー、ヴ・パルレ・フランセ?(あなたフランス語話すの?)」と言って話してくれる。けっこうみんなフランス語も話すものです。北の国の人は本当に語学に堪能な人が多いです。以前クラスにいたオランダ人の女の子シュザンヌは19才だったけど、オランダ語、英語、ドイツ語は当たり前のように話してたし、フランス語とスペイン語を同時にパリで勉強してた。北の国だけでなくヨーロッパでは2、3ヵ国語を話すのは当たり前なのだ。私もフランスにきてからドイツ語に興味がわいてきた。日本に帰ったらまたNHKで始めたいと思ってる(英語はどうなってるんだろう?)。人々もみな親切で、フランス人との国民性の違いは大いに感じて帰ってきた(?)。
やはり女の二人旅、バーゲンシーズンでもあったので、買物もしてしまった。秋に着れそうなジャケット。オランダはベルギー同様、パリから出向くと何もかもが安く感じられる。この国でコーヒーを頼むと日本のホットのようなものが出てきてそれがだいたい3ギルダー(180円)くらい。アイスもパリだと1ブール(1玉とでもいうのか)が7F(140円)くらいからだが、それも1ギルダー(60円)~と安いです。またいつか行ってみたい所です。
■1997.8.5(火)
パリは昨夜からとてもムシムシしている。もちろんぜんぜん日本の比ではないだろうけど。夕方にはパリを中心にものすごい雷があり、たくさんの被害がでている。最後の一発は、まるでうちの前にでも落ちたようなすんごい音でびびってしまいました。
■1997.8.6(水)
今夜はユキコちゃんとヒトコちゃんと私の3人で私が前から行きたかったレストラン「ジュリアン」(サン・ドニ門のすぐ近く)に行った。いつもよりはちょっと贅沢だけど、たまの事だもの、バチはあたるまい・・・ということで、ずっと憧れていたアール・ヌーヴォーの内装で有名なこの店を選んだ。当時のままの装飾がそのままで、ミュシャの壁画も本物で店内はとても華やか。これでマークしてるアールヌーヴォー・レストラン、1つ終わった。今日は私もアペリティフにキールを選んだ。お酒に強いユキコちゃんはさらにワイン一人であけたからねえ・・・すごいねええ、絶好調にしゃべっていた。ムニュは185Fで前菜、メイン、デザート、飲み物(ワインやミネラル)、コーヒー込み。私は前菜にフォア・グラ、メインに薄切り肉のフロマージュソースかけ、デザートはフォンダン・ショコラ(チョコレートケーキのようなもの)を選んだ。贅沢な空間での食事はとても快適な一時であった。ユキコちゃんももうすぐいなくなると思うととても淋しい。(彼女は16日にイタリアにたち、そこで4ヵ月語学研修をしてから日本に帰国、来年の1月から復職するのです)ほとんど時を同じくしてフランスにやってきて、その時からの付き合いだものね・・・。
今日は昨日の続きで雨がゴウゴウ降ってたけど夕方には晴れた。でも雨の後だからすごくムシムシ・・・アツーイ。パリの周辺はいろんなところが浸水している。本当に最近、自然災害が多すぎるよね。この雷雨もう一度週末にくるそうだ・・・。怖いねえ。
■1997.8.7(木)
今夜はブリジットの招待で彼女の家に夕食に出かけた。ユキコちゃんと彼女の家にホームステイしているノブエさんと4人の会であった。色々とお話をしてからだったから夕食を始めたのは22時ごろで残念ながら私が買っていったデザートには到達しなかったのであった。でもチーズまではおいしく頂きました。最近私もチーズの旨さがわかるようになったか、色々なチーズが美味しく食べられるようになってきた。とくに今はロックフォールの虜になっている。
やはり人のお宅に伺うと、私はその家や住まい方に興味津々。なかなか素敵なお家でした。36才、独身のパリジェンヌが購入したアパルトマンだもんね。私が住みたかったモンマルトルの界隈だしね。いつもフランス人の家で感心させられるのは、テーブルを彩る小物がとても素敵なこと。お客が来るまでにナイフやフォーク、グラスやお皿などがきれいに並べられ、テーブルのコーディネイトはばっちり。この間フランソワーズ先生の家にお呼ばれしたときも本当に感心した。そしてお皿をふんだんに使う。ベアんちでもおどろいたが、家中の皿を総動員しているのかと思うくらいに、皿がどんどこ出てくる。こうされると大して手のかかってない料理でもすんごいご馳走のように思えるから不思議だ。フランスのおもてなしってこういうものだな、と最近学んでいる。ベアんちでは本当にすべて手作りの超ごちそうで、テーブルナプキンも手作りの刺繍入りであったが、パリで仕事をもっている女性はみなこんなかも。日本のご飯にあたるパンは買ってくるでしょ、チーズやデザートだってほとんど買うわけでしょ。フランワーズ邸の夕べはメインがサラダ2品だったからね、サラダ菜を洗ってパスタゆでるだけ。後はおいしいチーズやサーモンがのっているだけ。ブリジットの方も缶詰のフルーツと鴨がざっと蒸されたものだった。添え物のポテトも冷凍のコロコロいもをこんがりと焼いたもの。これは批判ではなくて肩肘はらずに気軽にお客をもてなす良い方法だということ。あとはちょっとおいしいワインをあければとても贅沢な時になるのだ。フランス人は以外と倹約家で質素だからねえ。色んな家にお呼ばれすると色々なことがわかっておもしろい。彼女は約1ヵ月の夏のバカンスを日本で過ごして帰ってきたばかり。彼女の彼ユージさん(なんと31才なのだ)も一緒だったのだが、彼は仕事も兼ねての帰国だったので、大半は彼女の一人旅となった。もともと旅好きの彼女。ユージさんや私たちやフランスでの限られた日本のイメージを超えるはるかにいいものを発見して満足の様子。こうして少しずつでも大勢のフランス人が本当に日本の国を旅してくれるといいな、イメージだけのブームに終わらないで・・・。
■1997.8.10(日)
今日の午後は昨日の夜3週間の里帰りから戻ったシェナンと会った。今日の話の中で印象的だったのは、彼女のいとこが留学先のアメリカで知り合った人と結婚することになったらしいが、まだまだ国際結婚の少ない韓国のこと、親戚一同大パニックだったそうで、結局結婚はすることになったそうですが、韓国で生活することを許可されず国外追放!の上、子供を持たないように・・・との忠告?があったそう。シェナンのお見合いは結局、先方の仕事の都合で予定より早く香港に戻ることになったらしく中止。報告を楽しみにしてたのにい。お見合い相手は彼女に逢えなかったことが残念だったらしく、冬休みにパリに来たいと言っているらしい。さてどうなることやら???彼女はIESA(私立専門学校)で2年間学ぶことになりそうです。大学としては唯一受験の可能性のあるパリ8はどうしてもやりたいことからかけ離れるため、彼女の父もIESAに賛同しているそう。それくらいかな?今夜うちに夕飯を食べにくるはずのユキコちゃんは、仕事場の人がパリに来ているらしく、その人がなにかご馳走してくれるそうで、さっきキャンセルの電話をしてきた。さてじゃあ掃除でもしようか、と思っていたらジャン・フランソワから帰ったとの電話(彼はブルターニュで3週間のバカンス)。日焼けで茶色(?)になってるそうだ。彼も今ではすっかり、いい友達ですね。
■1997.08.16(土)
あ~~~~、気怠い朝をむかえて疲れているけど眠れないのです。
昨日の夜はユキコ嬢と、新しい借家人(ユキコちゃんの家の)チヅコ嬢と、ユキコちゃんのダチであるアンジェロ(コートジボワール系フランス人)と4人で会い夕食をともにした。ユキコちゃんは以前からアンジェロには私の話を、私には彼の話を良くしてたので、初めて会ったとは思えないくらい互いの情報を知ってて妙であったが、非常に感じのいい青年。彼はアフリカ人だけどフランス国籍を持ち公務員として働いている(税金関係)。昨年の10月からユキコちゃんが行ってたパリ市のイタリア語のクラスの仲間なのだ。このクラスで彼女は数人の仲良しを見つけてうまくやっていた。例えばこの間彼女と一緒にトルコに行ったのもこのクラスの女性だし、アンジェロはその仲間の一人で彼女が信頼してた一人なのだ。彼は私も感じのいい人だと思うし、生粋のフランス人よりは考え方がずいぶんと柔軟だと思う。この間もフランス人販売員の日本人に対するサービスについて意見を交わしたけど、最終的には私の意見を理解して認めてくれた。きっと彼はフランス国籍は持っているけれど故郷はコートジボワールで、今の立場を得るためにかなりの努力もしただろうし、排斥されるものの気持ちも組むこともできるんじゃないだろうか・・・。ともかく昔のイタリア人の彼女をまだほんのりと思っているようななかなかカワイイ人です。
そのあと私はユキコちゃんの家に行き、まだまだ荷造りの出来てない彼女の引っ越し(イタリア行き)を朝まで手伝って、バイバイして帰ってきたところだ。本当に行ってあげて良かった。でなきゃ彼女今夜の飛行機乗れないかも。夜中まで彼女の仕事ぶりを傍で見てたが一向に進まないのでとうとう手を出してしまった。あまりにテキパキ働く私に「ミカちゃん、クロネコで働けるよ」と言って誉めてくれた(?)。彼女のカワイイ面がこの引っ越しを通して見れた感じです。この1週間というものいろんな物が彼女の家から私の手元にやってきた。私も日本に帰るときが今から憂欝です。とにかく彼女は今日20時の飛行機に乗るけど、まだまだやることがあるのです。たいへんです。ヒトコちゃんはアルザス(伯母宅)に行っています。そのあとすぐニューヨークに行くそうです。ユキコちゃんも旅立って、ヒトコちゃんもずっと旅行で忙しいから、私はこれから一人で勉強に励むのだ!シェナンは今夜夕飯を食べにこいって言ってる。ちょっとつかれたので断ったけど、腹が減ったのでとにかく何か食べるとしよ~!
そして夜・・・ユキコちゃんから空港から電話をもらい、最後の最後まで長電話をして彼女は去っていった。
■1997.08.19(火)
今夜さっそくはイタリアのユキコちゃんから電話があった。アパート(フィレンツェのドーモのすぐ近く)に落ち着き電話を付けたとの連絡。部屋は最上階6階だけど、とてもチャーミングだそう。
■1997.08.21(木)
今日は何ともイライラの連続の一日であった。日本で報じられているかは?ですが、今週はパリで、世界中のカトリックの若者が集う年に一度の大イベント(毎年場所は変わるらしい)が行なわれていて、企業(食物、飲み物)やパリに住む人(宿泊)が大いに協力をして絶好調に開催中なのだ。もう朝から晩まで街中の至る所に首からビニールの名札をぶら下げたお揃いの格好をした若者が徘徊してます。我が家の近所の教会にももちろん。そしてメインイベント①が今日のローマ法王2世を迎えての野外イベント。16時からエッフェル塔のふもと(シャン・ドゥ・マルス)で始まるこのイベントをめざしてすんごい数の若者が移動したからたまったものではない。私の家の近所に会場があったため、私が家に帰る方面の交通機関は完全にマヒ。6号線のホームにいたってはホームヘつづく地下道から完全にブロック。私は阪神ファンのように歌いまくる若者に挟まれて身動きがとれなくなってしまいました。それに今日はとっても暑かった。人の熱気ではきそうに暑くてイライライライラ。ここのところまた光化学スモッグも相変わらず続いていて、とうとう今日から交通機関半額セールです。だから車には乗らないでってことらしい。ふむ。喉がずーっと痛いです。大変です。
■1997.08.27(水)
パリは昨日の夜中から雨で一気に涼しくった。おそらくこのまま秋らしい気候になっていくでしょう。私の家はいつも本当に涼しいけど(冬はとても寒い)、上階はたしかに暑かったと思う。ここでさえ、ここ数週間は蒸し暑かったのだから。ユキコちゃんちで徹夜を2回したけど、もう溶ける~~~ってな暑さであった。でももう秋になっていくかと思うと淋しい限り。今夜はユキコちゃんから電話。イタリアはとにかく何もなくて、暑い~~~って言ってた。でも楽しそうだった。今日からオーストリアで自転車の世界大会(ピスト)が始まって、日曜日まで。ピスト競技には「競輪」という競技がある。「ケイリン」はすっかりフランス語になってしまっているのです。しかし金をとったのはフランス人。ニュースでも日本の競輪を紹介してた。日本に帰ったら一度見にいってみようかな。
この時期は各商店も様変わりの時。私の通っていたパイプ親父の雑誌屋が夏の間改装してた、えらくモダンになってしまったので「え?」っと思ってたら、やっぱり店主が変わってしまっていた。ショック。もうあの夫婦に会えないのですね・・・。あのグロテスク駄菓子屋(母もタジマンも買物をした)も、私の好きなl'OCCITANEに変わりつつある。今年もたくさん変わった愛しのコメルス通り。夜中じゅう、雨で、うるさい。
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