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08/07/1997

フランス留学記 1997年7月

■1997.07.03(木)
今日はオルセー美術館の建築講座で知り合ったキャロリーヌの案内で彼女が働くベルシーの大蔵省に行ってきた。8年前のミッテランの政権下新しく創られたグラン・プロジェの一つであるこの建築、内部は普通の、でもとてつもなく大きい現代建築だが、総予算の1%が現代芸術の購入(展示されている)に当てられているそうで、公共スペースはまるでアートギャラリーのようだ。その床のタイルの模様も実はアーティストの作品だそう。一般人は普段入れないそうなので、まったくラッキーな経験でした。約6千人が働くこの大蔵省、社員食堂は中に3箇所。学生用レストUよりもちろん豪華です。キャロリーヌさんがご馳走してくれました。その時彼女と知り合うきっかけになったギマール建築講座の時の建築写真を見せてくれて、焼増してくれるって・・・。彼女、本当に写真上手なのだ。キャノンのオートで撮ってるって言ってたけど、どうも焼き上がりの雰囲気が違う。私も利用している同じフナックの仕事とは思えません。ところで本当に彼女はいい人、知り合えて本当に良かった。
今日も雨はがんがん降ってました。天気予報によると明日までだそう。土曜日(ツール・ド・フランス初日)には晴れるみたいだ。今年は私も行ったことのあるルーアンからスタートだ。私はもちろんテレビで観戦。土曜日の夜は友達を招待して我が家で和食の夕食会です。

■1997.07.04(金)
今日も午後、雨の降る中シェナンの引っ越し第2弾が決行された。今夜は彼女がユージ(シェナンに安く家財道具一式を売ってあげた日本人の男の子)と私をベトナムレストランに招待してくれるらしい。今から出かけるところだ。
さて時間は過ぎて、夕食会から帰ってきた。ユージが選んだカルチェ・ラタンのベトナム(カンボジア?)料理屋であった。ユージは埼玉のパチンコ屋さんの息子らしい。日本に帰ったら数ヵ月後にベトナムに行き、ホテル関係の仕事に携わるらしい。父親がけっこう手広く仕事をやっているようだ。ノートルダムの見えるカフェで遅くまで話をしたけど、彼はアメリカ生活が長いだけあってか、物事をはっきり言う。ちと私には若すぎる意見のようにも思えたけど、黙っている日本人よりは好感がもてるかな。
さあ、いよいよ明日からツールです。ドキドキします。

■1997.07.05~ 07.27までツールに熱中。何もニュースなし。

■1997.07.27(日)
首と腕が真っ赤にツール焼けの私です。もちろんツールの最終日シャンゼリゼに見に行ったからです。昨夜からドキドキして、ほとんど眠れないまま(3時間くらい)、朝の10時半には現地に到着したけど、やっぱ駄目でした、遅すぎた。昨年は1時に家を出たから、それよりだいぶ早く着いたけどね。また来年に向けて私は学びました。来年は携帯椅子を買って7時に行く!とりあえず出来るかぎりの努力をして、写真も取ってみたけど・・・できは期待できない。ただ間近にツールを見られる感動だけはこの日焼けと共に記憶に残るのです。私は今から最終放送の再放送をテレビで見る。結果はもちろん判ってるけど・・・。
今年は本当に、昨年の比ではないくらい熱心にツールを応援し見続けたから、すべての選手が、解説者やアナウンサーまでも、みんな友達のようにさえ思える。いろんなアクシデントや感動のシーンを繰り返し今日最終日。朝からの疲労感も全く感じないくらい夜中の放送を見ているところ。すべてのレースが終わって今は表彰のシーン。最初は今日のエタップ勝者ニコラ・ミナリ(今年はエタップ2勝ですね)の表彰から。次はいつものように本日の各マイヨの表彰。ドイツ人の若いチャンピオン、ウルリッヒはいつもにも増して笑顔が素敵。いつの頃からか彼は緊張もほぐれて、本当に嬉しそうに笑うようになった。ザベルは去年と同じようにまだ小さな息子と一緒に表彰台に上る。水玉マイヨのビランクも表彰。次は・・・またビランクの表彰、これは敢闘賞とか殊勲賞とかいうやつでしょうか?次は・・・ウルリッヒは昨年に引き続き新人賞です。昨年のチャンピオン、今年数々の不運に見舞われたリスのインタビューが入ってます。すべてを終えて穏やかな表情をしている。昨日の悲劇から一転。「つらかった、悲しかったけど、今はすべてを終えて幸せだよ・・・」って。まだまだ頑張ってほしい人です。彼の走っている姿は(ただしカスクとメガネを付けて)なんとも素敵です。次は・・・各最終マイヨの表彰です。まずはマイヨ・ジョーヌはウルリッヒ100H30M35、2位のビランクに9M09の差をつけ堂々の総合優勝です。マイヨ・ヴェールのザベルも350P、2位のモカサン223Pに大きく水をあけてフィニッシュ。マイヨ・ア・ポアのビランクも579Pだんとつです。次は・・・チーム賞、フェスティナだと思ってましたが、テレコム(ウーリッシュやザベル、リスのチーム)です。表彰台のリス、とても穏やかな素敵な笑顔です。テレコムとフェスティナとUSPのみがメンバー全員のゴールとなりました(棄権者なし)。立派です。そしてCG(総合順位)の1位ウルリッヒ(ドイツ23才)、2位ビランク(フランス28才)、3位パンターニ(イタリア27才)の表彰です。国旗掲揚です。若いチャンピオンの誕生ですね。終わっていく淋しさはもちろんですが、本当に今から来年のツールが楽しみです。みんなが怪我などせず、またシャンゼリゼで会えることを心から祈りましょうね。感動で涙ウルウルの表彰式でした。以上レポートでした!

■1997.07.28(月)
今日は少しは気温も上がり暖かい夏の日となりました。しかしもう今は寒いが・・・。今日もスポーツ新聞を買って色々記事を読んだ。最近の私の愛読書は自転車雑誌とスポーツ新聞。私も今回大好きになった(昨年からすごい奴だと目は付けていたが・・・)新チャンピオン、ウルリッヒはお父さんがいない・・・とは知ってましたが、実は捨てられたそう。母(すごくチャーミングで陽気なお母さん)ひとりに育てられたって。12才の時に自転車の英才教育のために東ベルリンに出てきたそうですが、もうその時は母親とは離れて暮らすんだよね。当時東ドイツでは西側の情報は一切禁止だったけど、彼は寮の布団の中で禁止されているツールのラジオ放送を聞きながら夢を膨らませていたそう。やはりみな口を揃えて言うことは彼はとてもモデスト(おごりたかぶってない)だということ。東で鍛えた強靭な体は1分間に34しか脈を打たないそうです。す、すごいですねえ。ビランクのほうは娘(クララ)は、9月の終わりに生まれる予定だそう。まだだけど名前が決まっている・・・。昨日に引き続き私以外だれもわかんない話ですね・・・。ごめんなさい。

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