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30/04/1997

フランス留学記 1997年4月

■1997.4.19(土)
最近のフランスは雨が降らず水不足で、毎日ニュースは旱魃の事ばかりだ。実際方々で農業が深刻な被害を受け始めている。約20年前には同じような状況があり、その時には一時的な税金「旱魃税?」なるものが採用された。その時の様子などがニュースで紹介されて何だか不安を煽る。来月プロヴァンスに行くつもりだが、お風呂のお湯が使えない・・・とかいうのはいやだな・・・。あ~。雨。

先週は学校見学に行ったり、友達に出会ったり・・・といつものように過ごしていたが、週末には2泊3日アルザス地方行きのイベントがあった。ちょっと前日から風邪気味で絶好調~~~で、という訳にはいかなかったが、なかなか楽しかった。

パリ、東駅から列車で約4時間、この地方最大の都市ストラスブールに到着。かなり遠い所に行った気がする。実際、そこはドイツとの国境地域。歩いて国境を越えられるくらいにドイツに近い。ここは有名な小説「最後の授業」のように、数々の戦争でドイツになったりフランスになったり、歴史に翻弄されてきた複雑な感情に包まれた地域だ。郷土料理、家並み、訛り等、様々な面にドイツらしいもの(決してフランスらしくない)が見られる。ルーアンやリヨンでも見たような木組みの古い建築物が中心だが、カテドラルや教会、行政用などの大建築はもちろん石造り。これらは近くにあるヴォージュ山地から切り出した赤色砂岩で造られているために、文字通り赤っぽい建築物に仕上がっており、それらが一層にパリの景観との違いを明確にしている。初日は天気が思わしくなく、街をざっと見て回ったが写真は撮れなかった。フランスの大きな街はどこも川があり、それは都市計画に重要な要素となっている。ルーアンやリヨンでは川によって旧市街地と新市街地がはっきりと分離されていて都市計画としては似たものがあるが、ストラスブールはイル川にぐるりと囲まれた丸い島が旧市街。その周りにドーナツ状にどんどん新市街が広がっている。規模は違うがこれはちょっとパリに似ている、と思った。そんなことを考えながら街を歩くのはとても楽しい。これは願書の提出場所を誤ったかなあ・・・?本当にヨーロッパの都市計画の素晴らしさには脱帽なのである。2日目はストラスブールから列車で40分くらいの所にあるコルマールというこじんまりした街を訪れた。天気も良くなり写真を撮るのも楽しい。ここは街中が美術館のようだ。新しいものはほとんどなく、完全に旧い街が保存されている。女の人なら誰でも喜びそうなロマンチックな素敵な街だ。私は観光用のミニ列車で街をざっと見た後(日本人にはぜんぜん出会わなかったけど、日本語の解説もついてるすぐれもの)、一つ一つ見所を見て歩いた。この街にも運河があり「プチット・ヴニーズ(小さいヴェネチア)」という名所あたりを小さな小舟に乗って楽しむことも出来る。この日は日暮までコルマールを楽しみ、夜再びストラスブールへと戻った。翌日、きれいに晴れ渡ったストラスブールのイル川クルーズを楽しんだ。約1時間余りのこのクルーズはパリと違って全然違う風景の1時間だから見応えがある。余りに天気が良かったので、私はオープン型の舟を選んだが、こちらの方は乗客が非常に少なくてそれも得した気分だった。しっかりと自分のスペースを確保し、フランス語とドイツ語のアナウンスを聞きながら、緑豊かな川をゆったりと進んでいくのは本当に気持ちが良かった。普通の観光客が行かないような所まで、舟は私たちを乗せて進み、旧市街をほぼ一周する。今回の旅でもっとも印象深く、豊かな時間であった。地方はいくら都市であろうと、格段にすべてのものの値段が安い。今回のこのクルーズも学割が利いて、たったの20Fであった。カフェだって10Fしない。最近地方都市に移住したい・・・なんてことを夢見ている私である。ドイツに近いせいか、これらの街は花壇もきちんと整備され、窓辺のお花もとてもきれい。この季節はおそらくどこでも素敵だろうが、みなさまにお薦めの2都市でした。

そしてパリに帰って数日後の17日、T氏がやってきた。彼は今年の1月頃個人的にお引き受けした10日間のガイドの仕事のお客様。何度か電話で打ち合わせをしながらわかったことは彼はとってもリッチな人らしい、ということ。そんなお金持ちの人の相手が私につとまるかしら?・・・と、少々不安に思っていたけれど、出会ってみるとなかなか気さくな紳士で、逆にいろいろと親切にしてくださる。電話で話をするなかで得た私の印象から選んでくださったお土産が、フランスに関する書物・写真集など5冊、私の愛用のフィルム・エクタクローム20本、その他実用的な細々したもの。仕事の内容は簡単な通訳のみ。11頃にホテルへ迎えに行き、昼食は必ず日本食レストラン。もちろんかかる費用は払ってくださる。そして夕方(彼は夜部屋で仕事をするので、私はけっこう早い時間に解放される)別れるときには何か夜食べるものなどを私の分も買ってくださる。とにかく色々な面で気を使ってもらっていることを感じる。私がお金をいただいて働く立場なのに・・・である。本当に恐縮してしまった。が・・・、3日間終えて思うことは、私の仕事は・・・実は、絶対にメトロに乗らない彼に付き合って歩きまくること、それからお喋り好きな彼の話を聞くことなのだ・・・と思う。私がガイドするのではなく、私が彼に連れて歩かれて、その先々の説明を聞いている・・・という感じ。通訳の仕事は10%くらいにしか過ぎない。趣味はアンティーク。この方面の知識も豊富で、アンティークショップの商品を説明付きで見学させてもらっている私・・・と、なんとも不思議なお仕事。パリに来て、本当に様々なジャンルの人々、様々な階級の人々を知ったが、これも一つの新しい出会いだと、仕事を越えた感情をもって接しているつもりです。あと1週間頑張ろーっと!!!

■1997.4.27(日)
おとといから久しぶりにお湿りの雨。フランス全土を濡らす雨だが、これでは最近の水不足は解決しないだろう。天気がいいとどこかにふらふらとでかけたくなるが、今日はゆっくりと家の用事をやっつけることにしよう。
昨日T氏が無事帰路についた。晴れて私も自由の身に・・・。アルバイトとしてはすごく良い仕事だった。何しろ実質働いたのは5日間だけであったし、拘束時間は半日にも満たない。あとは彼の事情で私はお休みを頂いたからだ。たったあれだけの仕事で私は1ヶ月の生活費にもなるような金額を手に入れた。挙げ句の果てに、彼は私にキャノンの一眼レフカメラ・レンズ・フラッシュ等を預けて帰ってしまった。「僕が死んだらこれはあげます」って言ってたけど、そう言わずに来年またお会いしたい。彼は一年に一度か二度、1ヵ月単位の旅をする。今回もパリに到着するまでにコペンハーゲン・アムステルダム・フランクフルト・ロンドンと回ったそうだ。しかしそれにしてもノーマルチケット(それもいつもビジネスかファースト)でヒコーキに乗っている人を見たのも初めてだ。今回の旅の予算は500万。しかし大いに足が出て「700万超えちゃったヨ、ハハハ」。すべてがこんな感じだ。神経質なところもあるが、ユーモアもあり、豪快なところもあり、とにかくおもしろい経験をさせてもらいました。どうもありがとうございました。昼食に連れて行ってもらった日本料理屋は、まつだ・野田岩・伊勢・越・口悦・・・しかしパリの日本料理屋って本当にたくさんあるのもよねえ。自分のお金じゃ絶対食べられないけど(高いから)・・・、伊勢のチラシ寿司150Fはまま旨かったです。以上。初めてのガイドのお仕事でした。

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