フランス留学記 1997年3月
■1997.3.1(土)
今週から昼間のクラスをとっている。と、いうのも私たちの夜のクラスは人数が少なすぎたため(最後は3人だった)、閉鎖になってしまったのだ。あの時シュザンヌと私が同時にヴァカンスをとらなければ良かったのだが・・・、こんな機会でもなければ昼間に変わるきっかけを失っていたので、良かったのかもしれない。今のクラスにはスイス人の男性が2人(ロジェとアンリ)、ドイツ人男性のクリスティオン、ロシア人男性のいつもつまんない冗談ばっかり言って先生に叱られているぼんぼんドミトリー、韓国人女性のヨンスン、スペイン人女性のピア、ベルギーの男の子セヴァスチアン、日本人は私を含めて4人もいる!最初はクラスの雰囲気に慣れなかったが、発言の機会がけっこうあるので今は気に入っている。その上、スイス人の二人がモデルみたいにカッコイイので目の保養には最高です!!!カトリーヌ先生は残念ながら補佐役としているだけで、直接授業をするわけではないのだが、また一緒に時を過ごせて幸せである。
映画18H/18Fの最終報告としては、イタリア映画の「LE FACTEUR(1995年)」が最も感動した映画。これは日本でも昨春「イル・ポスチーノ」のタイトルで公開されたと思う。遅ればせながらの鑑賞だったが、デンマーク映画の「BREAKING THE WAVES」を見たときのような久々の心の動きがあった。こんな素晴らしい映画を見た!という感動はフランスにきて2本目。美しいシチリア島の風景と、優しい音楽の調べと、主人公のマリオの純粋さが、本当に心にしみわたります。彼の素朴さは数々のユーモアとなって、ただ良いだけではなく、おもしろい映画にもしている。イタリア語の台詞にもかかわらず、字幕が簡単なので、私も大いに笑えた。
25日火曜日は、久しぶりにパリで10万人規模のデモが行なわれた。これは最近のフランス政府の移民法の改正に抗議するデモで、少し前に主に文化人によって行なわれた抗議に続くものだ。今まで移民で問題視されていたのは常にアフリカ人とアラブ人だったが、最近注目すべきは中国人の不法労働者の多さである。彼らは文字通り本当に地下に潜って、地下にある縫製工場などで黙々と働いているらしく、最近はその摘発が盛んに行なわれている。フランスの経済状態の悪さは日本の比ではなく、やり場のない怒りが徐々に移民に向けられてきているのは確かだと思う。これまで移民を限りなく寛容に受け入れてきたフランスももう終わろうとしている・・・。しかしなぜ大勢の文化人が「NO」と叫んでいるか・・・それは新移民法では、不法滞在者の滞在を助けたフランス人も罰が課せられるからだ。さまざまな届出の義務が滞在者本人だけではなく、それを受け入れるものにも義務付けられようとしている。これが実現されれば、やがてユダヤ人の存在を告発したような時代が再びやってくる、というのだ。私が滞在している数年間で何か状況が激変するとは思えないが、ジャン=マリー・ル・ペン率いる極右政党のFN(フロン・ナシオナル)が、ここ数年で支持率を急激に伸ばしているし、南の地方を中心に勢力を拡大しつつある。田舎の人は純粋なところがあるので、エリートが口をそろえて今のこの悪い状況はすべて移民のせいなのだ・・・などと何度も聞かされると簡単に信じてしまうわけだ。南仏は特にそういう傾向が顕著にあらわれていて、義務教育の中でもあからさまな差別行為が行なわれているから恐い・・・。
日本の不景気を反映?してか私がミニ・コラムを書いていた雑誌が来月号をもって廃刊になるらしい。これで私も失業?・・・と思っていたら、その連絡を受けた翌日に、大学時代の先輩たちがやっている「セミネール」というグループのフリーペーパーにコラムを書くことになった。詳しいことはまだ知らないけど、とにかく3月創刊らしい。前から頼まれていたので、もちろん快く引き受けた。なにやらマニアックな情報がいいとか。無くなっていくもの・・・生まれるもの・・・、とにかく今はなんでもやってみたい。
今日は朝、フランスの歯医者に行ってきた。いく前はどんな先生かな・・・とか、いくらかかるだろう・・・とか、けっこうビクビクしていたけど、行ってみたら、日本なんかよりずっとよかった。ただ私たち私費留学生が加入しているほとんどの保険では歯の治療がカバーされていないのが、難点。きょうのは、ちょっとした作業だったので1回で簡単に終了した。案ずるより生むが安し・・・とはこのことですね。この歯医者さん、私はオブニー(日本語新聞)の案内で「日本語の通じるお医者さん」として見つけたのだが、先生は日本語が喋れなかった。私がたまたま言葉が少しでも出来たからよかったようなものの、喋れない人だったら大変。少しお話をしたけれど、この広告は先生が頼んだものではなく、地域柄(15区16区は駐在員の家族が多く住んでいる)日本人の患者さんも多いらしく、そうこうしているうちに、日本語の対訳問診表ができ、時々日本人の秘書がやってくることになり、いつのまにか「日本語の通じるお医者さん」ってことに・・・。おもしろいことに、こちらのほとんどの開業医には看護婦や事務員なるものが存在しない。こちらは建物の関係上、インターホンに出て、扉をあけて患者を迎え入れ、診察室に案内したり、カルテを出したり、お金のやりとりをしたり・・・と何もかもを先生一人がやるのだ。日本とは完全に違うところだが、超完全予約制なので、ほとんど待つこともなく、他の患者とすれ違うこともなく、先生だけとしか顔を合わせない。そのために日本のように大勢の患者を診察することはできないが、先生と関係を密に持つことができるし、信頼関係を築きやすい。私はこのフランス方式、けっこう快適に感じている。私が何回かいったアメリカン・ホスピタル(アメリカ資本の病院で、パリに住む金持ち用、特に金持ちのアメリカ人用の病院)には日本人の内科医・K先生がいるのだが、おそらく彼は日本で長く働いていたはずで、一人で何でもやっている姿を見ると、なんとも気の毒になる・・・。
今日は歯医者のあとジャン・フランソワとお喋りを楽しんだ。明日はシェナンの家に行き、彼女が買ったコンピューターを見る予定。(本当は先週だったけど、品が約束の日に来なかった・・・なんともフランス風・・・)
■1997.3.8(土)
ここ数日はコートもいらない日が続いている。暖かくてとても気持ちがいい。いや、ちょっと暑いかな?するとさっそくカフェのテラスは取り合いになってしまう・・・フランス人は太陽の光にとても敏感である。
今週はずいぶん長く感じた。毎日誰かと約束があったからだろう。
学校のほうは、(私は)初めての先生ナタリーを迎えて、私たちのクラスは語学試験の対策クラスとなった。ナタリーはそういえば廊下で何度かすれ違ったことはある、若いパリジェンヌさんだ。私よりひとつ年上、このフランスラングの教授陣では圧倒的に若い。最初きつい感じがしたのだが、今は少し慣れた。クラスの雰囲気はあいかわらずだが(あまり好きになれない)、いい時ばかりはないでしょう。
4日火曜日には、私が母に連れられて子供のとき見た日仏合作映画「レディ・オスカー」を見た。これは第一次ベルばらブームの時の映画で資生堂がフランスの有名な監督ジャック・ドゥミに依頼して作った映画だ。もちろん当時私は10才でそんなことは知らなかったが、いまパリではこの監督のフェスティバルが行なわれていて、ようやく再び見る機会を得たわけだ。・・・というのも数年前の第二次ベルばらブームの時に、ふっとこの映画を思い出し、それ以来ずっと見たいと思っていた。子供の私にとっては、この映画はかなり印象的だったのだと思う。私はマンガはそんなに読まないほうだが「キャンディ・キャンディ」と「エースをねらえ!」「銀河鉄道999」とならび「ベルサイユのばら」は人並みに読んでいた。しかし今回見て少々滑稽に思えたのはなぜだろう。オリジナルのストーリー知っているから理解できたものの、いろんなエピソードを端折って展開していくこの映画は、あまり面白くなく、何もかもが唐突で、ちょっとがっかりしてしまった。それに日仏映画なのに何故か役者はイギリス英語を話しており、余計に奇妙に思えた。フランスでは初めての公開のようだが、架空のオスカーとアンドレのストーリー、フランス人にはどう映るのでしょうね?マンガの話が出たのでついでだが、今フランスでは本当にマンガブームで、もちろん日本のマンガも人気がある。この「漫画・マンガ」という言葉はそのままフランス語として定着してしまった。発音の関係上「マォンガ」という感じで発音されるが、とにかく子供から20代前半の青少年に絶大なる人気がある。マンガを原語で読みたいために日本語を習いたい若者も急増中。この日本製アニメの人気は今や世界的な現象だが、昔の「スキヤキ・ゲイシャ・フジヤマ」にかわって、今は「マンガ」と「カラオケ」と「ボンザイ(発音の関係上ボンサイがボンザイになる)」がフランス語になった日本の3大代名詞でしょうか???3つともすごい大人気で、私としてはとても複雑な気分です。
5日水曜日はブリジットと出会い、お話を楽しんだ。彼女の彼ユージさんが来週ヴァカンスで2週間くらいパリに戻ってくるらしく、彼女はウキウキであった。彼女はモンマルトルのアパートを購入するために銀行でローンを組んでいるらしく、仕事をやめられないのだ・・・とこぼしていた。で、なければアメリカで仕事するユージさんのためにアメリカに行ってもいいみたい。彼女、もちろん英語は話せます。私も日本に帰ったら少し英語もやってみなきゃねえ。来年、パリ市の講座をとってみようかな・・・。
■1997.3.15(土)
この間の日曜日は、私は久しぶりに自転車競技を応援しに、カメラを抱えて、凱旋門から出ているアヴェニュー・フォッシュに出かけた。2月頃からぼちぼち始まっていた自転車競技もいよいよシーズン本番をむかえる。日曜から始まった「パリ~ニース」というレースは文字通りパリからニースを1週間で駆け抜けるレース。要領はツール・ド・フランスとほとんど一緒なので、ミニミニ・ツールといったところ。第1日目のこの日は、パリ近郊の高級住宅地ヌイイ(スタート)からパリのアヴェニュー・フォッシュ(ゴール)までの約7キロのタイム争いで、私が到着した時には下っぱの選手からだんだんとゴールし始めていた。すでに大勢のファンや観光客が見にきていたが、ツールに比べれば圧倒的に少なく、私は自由に観戦場所を選ぶことができた。まずゴール地点に陣取った。ゴール地点というのは選手は全力疾走で入ってくるので、迫力はあるが、選手の顔を拝むことも、写真を撮ることも難しい。そこでゴールの少し先、選手がスピード緩め、報道陣やチーム関係者と話をしたり、お世話係のおじさんに汗を拭いてもらったり、飲み物をもらったりする辺りを次に選んだ。チームによってはそこを通り過ぎて行ったが、私の応援しているチーム「フェスティナ」の最初の選手が私のほんの目の前に到着したので、私の期待はつのった。大物選手が次々と入ってきて、すぐそこで見れたのは本当に感動だったが、特にフェスティナのデュフォーやヴィランク、ブロシャールなどが、手の届きそうなところで、話をしているのは、すごい興奮である。夫婦で来ていた隣のおばさんと「次は誰?」とか話をしながら、今回は撮影もバッチリで大満足。最後の選手「オンセ」チームのジャラベールがゴールして、結果としてはすべてのマイヨ(ツール・ド・フランスの時の記述を参考にしてください)は彼の手に落ちた。彼の表彰式の時には、すでに帰路につく人あり、バリケードを越えて中に入っていくファンあり・・・で警官ももう何も言わないので、私も「いいのかなあ・・・」と彼らの後に続き、表彰式も表彰台の真下で見てしまった。花束渡すお姉ちゃんのパンツまで見えそうだった。なんか、タダでこんないい思いしていいのかな・・・って思いつつ、私も表彰式のあと、お家に帰りました!今日現在、初日に1位をとった仏人ジャラベールがトップを走り続け、明日の優勝はもう間違いなしです。明日の最終日の模様はテレビでも放映されるので、久しぶりに何もない休日、私はゆっくりテレビで観賞。
そして10日~12日はノルマンディに旅にでかけた。9月に母とおばと行って、とても気に入ったオンフルールという港街と、ジャンヌ・ダルクが処刑されたことと、モネが描いた大聖堂で有名なルーアンと、2つの街を訪れた。オンフルールは行くのには少々不便な所にあるけれど、やはり多くの印象派の画家を引き付けるだけの魅力にあふれた街。今回は頑張って、オンフルールの街と海を一望できる丘の上まで登ってみた。ちょっときつかった~。今回はネコさんにいっぱい出会ったので、ネコの写真もいっぱい撮った。ルーアンはパリから1時間ちょっとで行ける北フランスでも大きな都市だが、ゴシックの教会と木造の古い建物を多く残す旧市街がとても印象的な、パリとはまったく違う趣の街である。中世から残る木造の建造物のほとんどが歪んでおり、垂直感覚(?)がちょっとおかしくなるけれどもね・・・。また自転車の話で恐縮だが、今年のツール・ド・フランスは、7月5日にこのルーアンの街から始まる。ところでモネが描いた旧市街地の中心にあるカテドラルは1944年の空襲でほとんど全壊になっていたものを再建したものらしい。今もその修復工事は続いているが、教会内部にはその当時の様子を示す写真が数多く展示されており、その近くのある巨大な裁判所に残る多くの弾痕といい、戦争の悲劇を今に伝えている。天気にもすばらしく恵まれた3日間でした。風呂にもつかって、いい気分だぁ~。
昨日、金曜日はシェナンの紹介してくれた日本人美容師のMさんに髪をきってもらった。約半年前、日本で切ったきりほったらかしてあったのだが・・・、結果は・・・。はやく伸びないな~~~、私の髪。でも・・・Mさんはいい人でしたよ。私が神戸で可愛がっていたシオよりもデかいネコ(でも名はポチ)にも会いました。彼女はもうすぐ出産のため日本に帰国します。彼女、滞在中の2年間、ヤミで日本人の髪を切り続けてたわけですが、最初は小遣い程度だったものが、だんだんいい収入になってきたみたい。私も4月に東京からやってくるお金持ちのご夫婦のガイドをアルバイトで初めてしますが、だれかガイドの欲しい人がいたら、紹介してね!
■1997.3.31(月)
今日は雲一つない快晴であった。昨日、今日はパックというお祭りでフランスは連休。これはイースター、復活祭のことである。このパック、フランスでもにぎやかな子供のお祭りで、お庭に卵を隠してそれを探したりするらしい。そういえば、ジェーン・バーキンの主演映画「カンフー・マスター」でそんなシーンを見たなあ。スーパーはチョコレートで花盛り。ちょうど日本のバレンタインデーみたいな様子だ。卵を模したチョコの中身に、ちょっとしたおまけが入っている。これは子供向けチョコをたくさん出しているキンダー社の製品で普段からあるが、この時期にはこれが巨大化するのだ。チョコの中からうさぎのぬいぐるみってちょっと気持ち悪いけど・・・いつか姪に(2才とちょっと)に送ってやろうかな。
最近エピスリー(野菜兼果物屋)には彩りが戻ってきた。やっぱり秋以降、冬場はちょっと彩りに欠けるし、ダイナミックさにも欠ける。まずこの時期、山盛りの苺と、直径2センチくらいもあると思われる白アスパラが偉そうに幅をきかせはじめる。それと反対に冬場の人気者、柑橘系果実の影が薄くなった。すこしプラムも出てきたし、これから果物おいしい季節になる・・・と喜んでいる今日この頃。
この2週間なんか色々ありすぎて、あっという間に過ぎたけど、特に書き記したいような面白いことはなかった。学校に行き、宿題をこなし、友達と話し、時々散歩をして・・・(最近、近所に素敵な公園を見つけた)、でも考えることもいっぱいして、来年の予定に向けての方針をはっきりと明確にし、余計なことはすべてとっぱらうことにした。さんざん悩んで最終的には受験は大学編入だけで行くことにした。今、願書等の準備をしていて、忙しかったのだが、願書には、今までの勉強・活動を要約し、今後の方針について意志表明する手紙を添えなければならない。少々、嘘をついてもいいのだろうが、私はけっこう真面目に書いたつもりだ。昨日朝方までかかってようやくこれをやっつけた。これらを5月に提出して、試験は9月に行なわれる。書類審査では私の学位(芸術)が編入を希望している美術史の学科の枠にうまくはまらなければいけない。落ちた時のことはその時考えるつもり。シェナンも色々私と一緒に悩んでいたが、すべりどめとして私立の専門学校に登録をして、大学を受けることになった。明日その私立学校の面接があるらしい。彼女なら受かるに決まっているので心配はしていないが、緊張するのはよく分かる。案の定彼女は電話をしてきたので、楽しい話をたくさんして「おやすみ」を言ったところだ。
4月はフランスの学生たちは春休みで2~3週間の休みに入る。私はそのころアルザス地方へ3日ほど行くつもり。そのあとすぐガイドの仕事をして、とちょっと変化がある日々になるだろう。5月のプロバンス行きが終わったら、しばらくおとなしく勉強に集中する予定だ。
ヒトコちゃんは今マレーシア方面にダイビングをしに3週間のヴァカンス中。家族全員がダイビングの趣味でつながっているヒトコ家では、年に2回はヴァカンスに一緒に出かけるそうだ。うん、なかなか優雅だ。ヒトコちゃんは若いのに本当に人脈が広くて、色々とおもしろい経験をしている。そんな話を聞けるのは私にとっては楽しみの一つかな・・・。
ヨーロッパは昨日3月30日からサマータイムに変わりました。いきなり夜の8時まで明るいパリです。
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