フランス留学記 1997年2月
■1997.02.02(日)
先週は一週間割合に静かに過ぎていった。でもなぜだか忙しさは変わらない。
金曜日31日はエコール・ド・ルーブルの講義に行った。私が取っている授業は隔週で行なわれる。今週から講師の話をテープに録音してみることにした。専門用語にばかりの講義内容は私にはとても難しい。でもこうしてテープにとってもう一度聞いてみると、なかなかよく判るものだ。でもこの話しぶり・・・フランス人にとっては、十分ノートを取れる遅さらしい。とほほ・・・である。
そのあとレ・アルのヴィデオテックにフランス映画「セレクト・ホテル」のアボン・プルミエールに出かける。フランス語では映画の封切りをプルミエールと言う。だからプルミエールのアボン(前)ということで、すなわち公開前の試写のこと。英語のロードショーにあたる。言葉というのはけっこう単純でおもしろい。今回の試写はこの映画の監督ローラン・ブニックをむかえて、上映の後の討論会付き。彼にとって2作目長編にあたるの今回の映画はパリの歓楽街を(クリシーからバルベス、スターリングラードあたり)舞台に薬に溺れる若者や刹那的に生きる人を描いたジャンキーな映画だ。私にとってこういう映画の難しいところは、若者言葉や俗語がまだよくわからないこと。日本だけではなく言語の乱れはフランスでも同じで。もともとパリの人達は独特の話し方をする。そのうえ若者となると、はっきり言葉を区切らない、今時の女子高生みたいな抑揚で話すのだ。こんなのは日本語で聞いてもついていけないかもしれない。パリには本当に星の数ほどホテルがあるが、治安のあまりよろしくない地域のそれも星もついてないようなホテルは「流れ星」と呼ばれ、アパートも借りられないような人たちが月極めで借りていたりする。この映画のタイトル「セレクト・ホテル」もそういうホテル。内容ははっきり言って私には直接関係のない世界だし、同じパリの地で行なわれているとは言え、私が恐らく一生お目にかかることのない部分だし、正直なところフィクションとしてとらえているから正視もできる。でももちろんパリは大都市だし、こういう事があるのも、問題になっているのも知ってはいる。討論会では観客からいろいろ質問も出るのだが、それが質問を越えて、意見だったり、批判だったりするからけっこう雰囲気は最悪だった。変な質問をしてブーイングを受けた人が何人かいたのだが、一人頑固なご婦人が最後までマイクを取り上げられても喋っていたのには、みんな冷笑していた。監督はこう言っていた。「みんなこういうことは郊外の問題(パリの郊外は結構危機的状況にある)だと直視しようとしないけど、夜中、この界隈を歩いてご覧なさい。これが嘘ではない事がおわかりになるでしょう」と。
土曜日はジャン・フランソワとエションジュ。
今日は、ポルト・ド・ヴェルサイユ(日本の幕張や晴海みたいなところ)にフランス国内の観光見本市を見に行ってきた。ここでは年中何かの見本市をやっていて、けっこうおもしろい。35Fの入場料を払えば、中でどれだけ資料を集めてもそれはタダ。利用しない手はない。私が今後是非行きたい南仏プロヴァンスとブルターニュ、アルザス地方を中心に電話帳くらいにもなる量の資料をもらってきた。会場はすごい人でフランス人のヴァカンス熱を感じずにはいられない。最近の観光局の資料は本当によく出来ていて、見ているだけでも美しくて楽しい。満足でした。
この見本市にはシェナンと一緒に行ったのだが、今日はもう一人初めて会うの女の子も一緒だった。いつもシェナンから彼女の話を聞いていたので、初めてのような気はしなかったのだが、19才の彼女は名前をマドレーヌといい今はデンマーク人だ。・・・というのも、彼女は韓国人の両親から韓国で生まれて生粋の韓国人だったのだが、生後まもなくデンマーク人の夫婦に養女として引き取られたのだ。容姿は完全に私たちと同じアジア人なのに、中身はデンマーク人。なんとも不思議な感じである。でもどんな事情があるにしろ、子供を手元におけない事情のあった両親とともに韓国で暮らしていたよりは、今の彼女はきっと幸せに違いないと思う。複数の外国語をこなし(フランス語もほぼ完璧)、カヌーをやるスポーツ好きな彼女は、はつらつとして元気そうだ。彼女にはそういう自分の経緯に対するマイナス思考はほとんど皆無。だから私も同情めいた感情はゼロだ。子供を持ちたい夫婦に引き取られ、家族の仲もよく、彼女はいまたくさんの可能性の中にいる。養子縁組も悪くない・・・と思う。数日前にテレビのドキュメンタリーでこのテーマを扱っていた。本当にこういう例はヨーロッパでは少なくない。ただ私の単純な疑問としては、どうして肌の色の違う子を引き取る例が多いのか???と、いうこと。このテレビのおかげでわかったのだが、韓国や中国、その他のアジアの国々では養子縁組が簡単に認められる・・・という事実が背景にあるのだ。欧米では子供の権利をアジアよりも厳しく守ろうとする傾向が強いので、養子縁組の審査には5年6年かかる例もめずらしくないとか・・・。疲れたのでおわろっと。
■1997.2.9(日)
ここ数日の春めいた晴天も昨日まで。今日は雲の多いドンヨリとしたお天気となった。早起きできたら朝市にでも・・・と思っていたが、やはりそれは無理で、今日はランデブーもなく、静かな一日となった。(余談:日本でランデヴーというとなんとなくデートっぽいイメージがあるが、フランスではビジネスもお医者に診てもらうのも友達との約束もみーんなランデブー。それではどう区別をつけたらいいか・・・。簡単です。普通ランデブーは冠詞なしで使うのですが、これをつけるとデートっぽい感じになります)
先週は3日月曜日に新作「ネネット・エ・ボニー」という映画を7区にある「LA PAGODE パゴッド」という映画館へ見に行った。今回大切なのは映画よりもこの映画館。この間仏検を受けに行った会場がここの近くだったので偶然に見付けたものだ。この映画館の建物はけっこう有名で、以前本でも何度か見る。この建物はアジア関係の施設だったものを配給会社ゴーモンが映画館にしたもので、なかなか周囲の環境とはミスマッチ、異様な存在感である。日本風寺院に日本庭園・・・と言われても、なかなか日本人の私には認めにくいものだ。「これ中国風やで~」と叫びたかったが、一緒にいたシェナンは判らないので「これは日本風じゃないわ。むしろ中国風よね」とフランス語で言っておいた。日本か中国はさておき、夏には気持ちのいい庭先でお茶を楽しめるそうだ。また試してみたい。
4日火曜日はオブニー(日本人向け新聞)にアノンスを出していた仏女性に電話。彼女は日本語を学びたいらしくエションジュの相手を探していた。うまく連絡がとれて今度会うことになった。声は落ち着いた感じの人で、きれいな発音だったのでエションジュするには良さそう。36才だそうだ。最近フランス語を話すことにようやく?貪欲になってきた。夢も時々フランス語で見ている。夢の中は何故か現実よりももっとうまいのであーる。
5日水曜日にはユキコちゃんが韓国人のお友達ヒースンを紹介してくれるということで、私がお昼の場所を選ぶことになった。このヒースンは韓国の大学で建築を勉強してきたという可愛い女の子で、最初オランダへ行くつもりだったのだが、教授の強い勧めで、フランスに1年前にやってきたのだ。シェナン曰く彼女の大学は韓国でも1番良い大学らしく、彼女は頭がいい・・・と言っていた。それは彼女のフランス語からも十分想像できた。今度の秋の新学期から建築学校に入って一から勉強しなおすらしい。通常建築学校は4~5年だから語学をやる1年半を含めるとすごい期間になる。なかなかのチャレンジャーである。さてこの日のために私の選んだ店は、「TCH'A」というサロン・ド・テ。いわば飲茶の店である。お昼には食事も出来る。前から、禁煙で、「大根餅」の食べられるこの店をチェックしていたのだが、なかなか機会がなかった。心地よい音楽と、優しい香港人のお姉さんの笑顔と、静けさが良かった。食事の量は控えめだけど味はいい。ムニュ(定食)は73F。この値段は私にはちょっと高いけど、雰囲気料といったところでOK。期待の大根餅は3つのって27F。これもすごくおいしかった。また今度は午後ティーに来て大根餅を食べたいものだ!!!
7日金曜日は中国韓国の新年にあたり、中国人街では大きなお祭りが催された。旧暦で祝う韓国人のシェナンちゃんに「BONNE ANNEE(新年おめでとう)」を言った。
昨日土曜日はいつものようにジャン・フランソワ君とおしゃべりの時。昨日はまだインド料理を食べたことのない彼にインド料理の旨さを教えてあげる・・・といつものパッサージュ・ブラディに行ったが、年中無休のはずが、なぜか今日だけ完全に閉まっている。ガ~~~ン。久しぶりのインド料理、とワクワクしていたのに・・・。ここらはインド人というよりはパキスタン人界隈なのだが、ある店のおばちゃんがいうには「今日は私たちの宗教のクリスマスなんだよ」だって。パキスタンって何教ですか???ということで、私たちはお腹がへっていたので、完全年中無休の中華料理にした。サン・ミッシェルの近くにあるとっても安い店。35Fで定食が食べれます。食べきれないボリューム。けっこう旨い。私のリストに新たに加えることにしましょう。
フランスでは先週から学生たちは約2週間の休みに入った。私は今フランスラングとエコール・ド・ルーブルに通っているが、休みがないので昨日から2週間の自主休暇に入った。明日は滞在許可証4回目の更新で警察に1日缶詰。12~13日はリヨンへ。そして18日から待ちに待った18H/18Fという毎年2月の恒例映画祭。18時にかかっている映画はこの1週間、パリ中何でもたったの18F。私は毎日行くつもりだと先生にも言っておいた。6本、何を見ようかなあ・・・。
■1997.2.15(土)
ヴァカンスに入って一週間、楽しい時間はあっという間に過ぎていくものだ。月曜日はポリスに行き、滞在許可証の更新をしてきた。これで4枚目のシールがパスポートに貼られた。今回は割合空いていて2時間程ですべてが終了。前回の6時間に比べたら極楽極楽。次回は9月。この頃は最も込みあう時期に入るので、ちょっと憂欝ですが、ずいぶん先の話なので考えないことにしましょう。
火曜日はシェナンと昼食をとり、その後来月に予定している旅行の列車の手配をすませた。最近旅行することに熱心だ。寒い冬、あったかーいお風呂につかりたーいという希望もあって、ついでに(どっちがついでか?)旅も楽しんでいる。パリにいるこの時をおおいに利用してあちこち行っておきたい。国内の主要都市はもちろんだが、私はやっぱりフランスの田舎も好きだ。何もすることのない、何も見るもののない、そんな田舎がくつろぐには一番だと思う。
そんなこんなで今月はフランスで一番ガストロノミー(グルメ)な街・・・と言われている(私にとってはフランスで一番の公害の街って感じだが・・・)リヨンへ行ってきた。パリからはTGVで約2時間余り。旧市街地と新市街地がはっきりとコントラストをなしている。もちろん観光客である私の興味は旧市街地。ソーヌ川とローヌ川、2つの川が走るリヨンの街は起伏に富んだ地形で、斜面に連なる街並みがまるでモンマルトルの丘のようだし、路面バスが走っている風景はけっこうブリュッセルにも似ている。 赤いお屋根を丘の上から見下ろした時には、まるでイタリアのフローランス(フレンツェ)のようだったり・・・と様々な表情を持っている。フランスでは第2の都市、けっこう大きい街だ。とにかく人々は旨いものを求めてここへやってくるらしい。私は旧市街地にホテルをとって、すぐその裏手から始まる丘の頂上への道を歩き始めた。ここへはもちろんパリのフィニキュレールと同様のロープウェイもメトロもあるのだが、私は階段の道を挑戦した。緩やかなカーブを描きながら頂上まで延々と続く踊り場が一ヶ所もない階段の道。時々振り返りながら見えてくる下界の赤いお屋根の街並を確認しながらとうとう頂上。数えてみると大した段数ではなく571段だった。丘の上にはとてもダイナミックな折衷様式の教会があって、丁度ミサの最中であった。外観はどうみてもグリム童話の中世のお城なのだが、中は超アールヌーヴォー。歴史の浅い教会のようだ(100年くらい)。
翌日はどうしても行きたかったペルージュという村を訪れた。ホテルのお兄さんに聞くと、直接バスで行けるとのことだったが、あいにくあと3時間くらいバスはなかったので、最寄りの街まで電車に乗って向かった。約30分、電車に揺られて終点から2つめ、ミキシミュー・ペルージュという駅に到着した。駅前にはタクシーもなくしばらく途方にくれていたのだが、お腹が減ってきて目にとまったカフェで軽く食事をしながら、そこのマダムに訊ねてみた。「ペルージュの村には歩いて行けますか?」「ええ、ここから2キロよ。店を出て左の方にいくとすぐに表示があるわ」すると店のオヤジが口をはさむ。「丘の上にあるよ」ふーん、丘の上にあるのかあ・・・と、少しずつイメージが頭の中に出来ていく。なにしろ何枚かの写真と簡単な村の地図しか見たことがなかったのだ。でもそれだけですごくこの村にひかれたのだ。お礼を行って店を出た。本当にすぐ「ペルージュ」の表示が見えてきた。それにそって歩いていると突如として現われた丘のうえの城塞都市?私は期待に胸を膨らませた。もともとリヨンは織物で栄えた街で、そのころ(中世・14~15世紀)このペルージュも大いに栄えていたらしい。そのあと織物産業の衰退とともに没落の一途をたどって今に至のだが、最近ではこの廃墟となった街をフランスで最も美しい村の一つとして保存、観光名所の一つとして盛り上げていくことになったらしい。その当時のままの(パリみたいに擦り切れてない)まるっこい石畳、石と木だけの建物、何もかもが600年500年という歳月を越えてきた遺跡だ。廃墟おたくの私としてはとても心を引かれる中世の遺物の数々が転がっていて感動の連続であった。ここにいることは本当にタイムトリップしたような気持ちにさせられる。最近出来たホテルが一軒、当時の隆盛を伝える小さなミュゼが一つ、地元の素朴なお菓子ガレットと出す小さなサロン・ド・テ、お土産物を売る店2件、あと小さな教会・・・後は廃墟と言っても過言ではない。ロンド通りという環状道路をぐるっと1周、30分もかからない。あとは豊かに広がる大地を見下ろすのみ・・・。ここは今日から私の村に指定することにしよーっと。また訪れる機会があれば今度はここのホテルにしよう!
くたくたになって帰ってきて昨日金曜日はルーブル美術学校の講義。今日はジャン=フランソワとランデヴー。今日は日本人が一人もいないやすーい日本料理屋に連れて行ってもらった。私は一番安い焼き鳥定食36F。これは悪くないけど・・・。他のお客の食べているお刺身定食を見てびびった。だってパリでサバの刺身ってちょっと恐い。パリには日本料理屋がたくさんあるけど、そのほとんどが日本人ではない人の経営だ。中華料理屋も星の数ほどあるパリだから、日本料理ブームを利用して、日本料理屋の看板をあげるんだろうが、それをするならいいかげんなものを出さないでほしいなあ。本物を出す日本料理屋は確かに高すぎるから、安いこういう店が流行るのもしかたがないけど・・・。
■1997.2.22(土)
火曜日に雨が激しく降った以外は穏やかな天気が続いている。雪がよく降っているらしい今年の日本とは大違い。年末年始の寒波もどこへやら。もちろん冬の気候には違いないが、やはりどこかしら春の気配がする。それにずいぶん日が長くなってきた。3月の下旬にサマータイムになるとさらに昼が長くなるだろう。
先週に引き続きヴァカンス中の私である。月曜日はお昼を一緒に・・・と約束していたエションジュ相手のブリジットが仕事の都合で駄目になり、私はモンパルナス界隈を徘徊、ソルドの残骸と春の新作を眺めたり試着したり・・・と楽しんだ。火曜日はヒトコちゃんとマレ地区を徘徊。食事のあとお気にのサロン・ド・テでお茶をした。観光客がほとんど来ないこの店は、若い文化人が集まる場所として有名らしい。椅子も机もみんなバラバラでけっこうボロボロ。でも観光地のカフェが忘れてしまったような雰囲気が、この店にはまだ残っていて、私の好きな店の一つである。
そしていよいよ19日(水)から18H/18Fが始まった。パリ市が毎年この季節に行なっている企画で、誰でも、どの映画館でも、何の映画でも、18時の回は18Fで見られるというビッグな企画だ。この季節、いい映画があまりないから始めたのかもしれないが・・・、幸い私の家の近所にはちょっと前の映画を見せる映画館もあるので、新旧取り混ぜて、主に見逃していた作品を中心に、プログラムを組んでみた。
19日(水)レザボア・ドッグス・・・タランティーノの「パルプ・フィクション」以前の作品。血だらけ・・・でもよくできています。
20日(木)リディキュル・・・パトリス・ルコント監督。昨年からロングランを続けている。多分最近日本でも公開されていたはず。フランスのアカデミー賞と言われているセザール賞(2~3週間前に行なわれた)で最優秀作品賞と最優秀監督賞を受賞。
21日(金)ゴースト・イン・ザ・シェル・・・日本のアニメ。日本にいたら見ないだろうけど日本語の台詞は当たり前だが分かり良い。フランスにおける日本のアニメブームを調査???
22日(土)ディディエ・・・公開されたばかりのフランスコメディ。預かった犬がある日人間の姿に変わる・・・という単純なストーリーだが、笑いっぱなしの90分。フランス人、犬好きだからね~~。
23日(日)ペダル・ドゥース・・・これも昨年流行ったコメディ。日本でも公開されたはず。フランスのゲイ文化がわかる???
24日(月)ル・ファクチュール・・・これも昨年からロングランを続けているイタリア映画。郵便配達人と英雄的詩人の友情の物語。
25日(火)ル・ジュール・エ・ラ・ニュイ・・・アラン・ドロンの新作。ちょっとつまらないかも?
・・・てな感じで今日まで順調にきています。あと3日を残すのみ。これが終われば次回は初夏の企画(初回正規料金であとはすべて10Fという3日間)まで大きな企画はなかったと思う・・・。
ところで昨日金曜日は例のブリジットと初めて会った。電話で約束をしていた通り、彼女は緑のコートを来てあらわれた。最初は緊張したけど、話しているうちになんとなく打ち解けて、やっていけそうだと思った。彼女はフランスでは有名なCNPという保険会社で働いている36才の女性でモンマルトルにアパートを持っている。私は失礼かな・・・と思いつつ、好奇心たっぷりに色んなことを聞いてみたところ、現在の彼が日本人なので彼女も少しは日本語を勉強しようと思ったらしい。それなら彼と・・・と思うが、そういうわけにはいかず、彼は今仕事の都合でアメリカにいる。でも彼も将来はフランスに落ち着きたいらしい(もちろんブリジットと)。彼はフランス語が十分に堪能なので、ブリジットが日本語を勉強する必要はないのだが、彼の留守中にちょっとずつ勉強しようと言うわけだ。まったくの初心者である彼女に私が何を教えられるか分からないが、こうして少しずつフランス人の知り合いを増やしていきたい。
そのあと来週からのために学校に登録にいったところ、私たちがいた3305のクラスは人数が少なすぎたため閉鎖中。なので私もこれを機会に昼間のクラスに変わることにした。ミッシェルとフランソワーズは恋しいが、今は昼間のクラスも人が少ないし、大好きだったカトリーヌのクラスなので、まあいっか。夏にはまた夕方のクラスに変わるのもいいなっと思う。
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