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31/10/1996

フランス留学記 1996年10月

■1996.10.01(火)
今日は昨日同様、昼食をレスト・ユー(REST-U/大学食堂の略)で取った。昨日は授業が9時から1時までだったのでその後、今日は2時から5時までだったのでその前に行った。今の学校にはエミール・ゾラ駅から10号線に乗りマビヨン駅迄。その手前のセーブル・バビロン駅でもいいのだが、どちらも降りた後同じくらい歩かなくてはいけない。学校の最寄りの駅は4号線のサン・プラシド駅なのだが、乗り換えの手間に比べたら私は歩くほうがいいのでそうしているわけだ。それにやっぱりサンジェルマン・デ・プレの街角を歩くほうが、メトロの地下通路を歩くより楽しいに決まっている。学食はパリ市内に17ヵ所あるが、私がよく行くのはマビヨン駅のすぐ近くにある。私の学校の中にもカフェテリアなどはあるが、これら学食の安さは何にも替え難い。今は13,7F(約280円)これからお世話になることも多いだろうから、私は10枚綴りのカルネ(回数券)を購入した。
さて今日は週に1回のオーラルの授業。また昨日とは違ったメンバーだ。何人かは知っている人がいたが、ほとんどは知らない人。しかしここでもマジョリテは日本人で6人であった。他には神学をやるイタリア人男性2人組。彼らはフランス語を習得したあとアフリカのザイールに布教のために行くらしい。そしてバイオリンをやるドイツ人の巨大な女の子。なんでも有名なコンクールで1位をとるために音楽学校で学んでいるらしい。あと映画の仕事をしているブラジル人の小さい35才の女性。スエーデン人の女の子2人組。韓国の女性2人、台湾人の女性1人。あとはみんな日本人。そして今日知り合ったのは19才のポーランドの女の子。彼女はとてもそんな年には見えず、どんなに若く見積もっても24くらい。西洋人は日本人の感覚では実年令よりも上に見えることが多いが、必ずしも中身がしっかりしているとは限らない。やはり精神的な成長は個人の経験が作り出すもので、国籍や外見は関係ないからだ。このポーランド人の女の子はマルタと言い、なかなかしっかり者の美人。残念ながら一緒なのはこの時間だけ。パリ郊外にフランス人の彼と一緒に住む彼女は、彼との結婚のためにポーランドを出てきた将来のパリジェンヌだ。とってもおしゃべりだが、真面目でとても感じのいい子。彼女はなぜ私と同じクラスにいるのか分からないくらいに、流暢に、まるですでにパリジェンヌのような発音でフランス語を話している。この学校には通訳養成コースもあるので、いずれはそのコースに移りたいそうだ。
明日は期待のフランス映画の講義。また早起きだががんばろー。今夜は深夜番組でシネアストの討論会がある。ゲストがシャルロット・ゲンズブールとロマーヌ・ボーランジェだからスゴ~~~イ。この番組は時々見ているが司会の女性が良い。それにしてもこんなゲストってフランスでしか見られないよなあって感動。

■1996.10.03(木)
あー、眠い眠い。脳味噌に蜘蛛の巣が張っているように眠い。授業は時間過ぎてからしか教室に入れないし、家を出てから教室までちょうど30分・・・というような事がわかってきたので、最近は7時50分に起きて、8時半に家を出るようになった。最近のパリはこの時間に起きると寒がりの私にはなかなかベッドを出られない寒さだ。真冬が恐ろしい。昨日のフランス映画の講義は映画の誕生までのお話。こんなふうにヌーベル・バーグまでの歴史をざっとやってくれるらしい。先生も感じがいいし、やっぱり好きな分野なので、楽しかった。今日は9時から13時までフランス語、16時から18時から仏作文の時間。最悪の時間割の木曜日だ。前行っていた学校フランス・ラングは毎日決まった時間に3時間(1時間×3)だったのだが、今週も終わりに近付いて思うことは、学校で先生の話を聞くってのは、やっぱり1日3時間が限界やなあ・・・ということ。それにあのアットホームな雰囲気はたしかに良かった。ここではちょうど「疲れたなあ」と時計を見ると、あとまだ1時間残っているのだ。なんとか午前のプログラムを終え、マビヨンの学食にアキコとニコルと出かけた。モンパルナスで約束のあるアキコとサン・シュルピスで別れ、ニコルと私はフランス語の教科書と問題集を買いに出かけた。今日はそれだけで200F近い出費となった。痛いなあ。
ちょっと今週はついてないのだと思う。昨日、韓国に里帰りするシェナンと昼食を一緒に取るために授業のあと彼女の家を訪れた。そのあと彼女がリムジンバスの始発駅であるオペラ迄タクシーに乗るので私にも乗るように勧めてくれた。私の家まではオペラからは乗換なしで帰れるからだ。しかしリムジンバスに彼女が乗り込んだ直後から雨がポツポツ降りだして、メトロの駅に向けて駆け出すとバケツをひっくり返したような大雨が降りだしたのだ。仕方なく途中のカフェのテントの端っこで雨宿りをしながらようやくコメルス駅にたどり着くと、そこは何事もなかったかのような晴天であった。今日は今日で、仏作文に時間に隣の席で日本人の女の子が、万年筆のインクか何かで手を真っ黒にしているのでティッシュペーパーでもあげようかと思ったら「ごめんねえ~。かばんにインクつけちゃったあ~」だと。言い方がむかつく。さらに頭に来ることに「たぶん水性だから大丈夫だと思うよ~」と言う。私の大事な通学用バッグにインクを落としていう台詞か?これが。誠意が足りん、誠意が!まったくむかつく奴。さっそく家にかえって私はポンポンと水やアルコールでたたいてみたりした。だいぶ目立たなくなったけど・・・。少し悲しい。
ところで果物屋さんの店頭にはそろそろクレモンティーヌ(日本のミカンとほぼ一緒)が並び始めた。今日は初物・・・というわけではないのだが少し購入。もう果物も冬物に衣替えですね。

■1996.10.05(土)
今日はユキコちゃんとモンマルトルのお祭りに行ってきた。「フェット・デ・ヴァンダンジュ・ア・モンマルトル」という長い名前のこのお祭りは、訳すと(ワイン用)葡萄の収穫祭。今日と明日の2日間にわたって催される。各地方の人々が(きっと葡萄収穫に携わる人たち)が、その地方の民族衣装に身を包み音楽を奏で踊りながら、モンマルトルの丘でパレードを繰り広げるというお祭り。その傍らではワインや地方の特産品を売っていたり・・・と縁日のような賑やかさ。ではなぜモンマルトルか・・・というと、それはきっと今でもわずかではあるがモンマルトルの丘には葡萄畑が残っており、それでワインを作っているから。この小さいモンマルトルの丘で収穫された葡萄で作られたワインを「クローズ・モンマルトル」と言うそうだ。私はお祭り気分もあり、日本に帰るときのお土産として1本買い求めた。ユキコちゃんは大のワイン好きなので、いろいろ試飲しながら歩いたのはもちろん、私と一緒にこのワインを買ったことは言うまでもな~い。これがけっこうフランスにしては高い値がついている。希少価値ということなのだろうが・・・。私は母の手料理と共に家族で飲んでみることにしましょう。今日はユキコちゃんと1ヵ月ぶりに出会った。電話では時々話をしているので、あんまり久しぶり・・・という感じではないが、彼女は今モードの学校で勉強していてけっこう忙しいそうだ。締めくくりに夕飯を私の家の前の韓国レストランで食べ、そのあと日付が変わる頃までベラベラとおしゃべり。楽しかったね!明日は久しぶりに掃除でもしよーっと。

■1996.10.06(日)
あ~、今日もよく寝た~~。今日はゆっくりと掃除や洗濯などをしながら、夕方の自転車を楽しみにしていた。今日は第90回目のパリ~トゥールである。インデュライン以外はほとんどトゥール・ドゥ・フランスの主要メンバーの面々が揃っていた。リス、モカサン、ウロー、ザベル、キアプッチ、ジャラベールなどなど。放送が始まったのはゴール前20キロのあたりから。ヴィランクとサイトフ?というロシアっぽい名前の選手が先頭、後に続く50人くらいのプルトン(後続グループ)を48秒くらい離して走っていたが、彼らは最後ゴール1キロくらいのところでプルトンに飲み込まれてしまった。勝者はニコラ・ミナリというイタリア人。ああ、もうすぐ自転車のシーズンも終わりだねえ。
明日からまた一週間がはじまる。学校の雰囲気にもなんとなく馴染めず、ちょっとうんざりしているけど、秋は芸術の秋。ヴァカンスが終わって映画もいいのが目白押しです。学校が朝だと午後から有効に動けるので、少しずつ見ていきたい。

■1996.10.07(月)
今日も元気に早起きの私です!が、昨年の9月30日に退職してからというもの、まる一年間、早起きとは無縁の生活だったので、けっこうつらいです。また季節が夏ならともかく、この季節、朝7時半に起きるとまだ薄暗く、学校へ向かう道中、息が白かったりするのがまたまた気分を憂欝にさせる。日本は今頃がもっとも良い季節であろうか?
学校が始まって一週間たって色々考え、木曜日の仏作文の授業を他の授業に変えることにした。どうしても先生が気に入らないし、授業のすすめ方に差別的なものを感じて許せなかったからだ。語学学校の教師たるもの外国人と接するのが仕事なわけだし、外国人学生にとってはフランス人に対するイメージ形成に多大な影響を与える人たちな訳である。なにしろ語学学校にいるとフランス人の知り合いというのは出来にくいから、教師は「生の」フランス人として貴重な存在なのだ。だからはるばる遠くからやってきている学生の勉学意欲をくじくような態度は本当に残念でならない。が、しかしどんな学校にも「ひいき」をする教師と「差別的態度」を取る教師はいるのだと思う。日本人が大好きな教師もいれば、日本人が大嫌いな教師もいる・・・と言うことだ。「えこひいき」をあからさまにするのはフランス人の特徴らしく、必ずクラスに一人や二人は「ひいき」の学生を持つのがフランス人教師のスタイルである、というような事をを本で読んだことがあるが、それはそれほど不愉快なことではない。堪えられないのは「差別的態度」の方。個人的な性格を嫌われるならともかく、国籍で好き嫌いを言われるのは本当にたまったものではない。
ところで、もう捨てようと思ったこの授業だが、やっぱり少しでもお金を払っているのだから、その単位を取る取らないにかかわらず、他の講義を取ることにした。「20世紀のフランス社会」というタイトルの授業だ。なかなか興味深い。その変更を相談するために今日の授業のあと、セクレタリア(事務局)をおとずれた。ここでは大勢の学生が事務局の扉の前に列を作らされ、一人出てくると一人入れる・・・もし誰かがズルをして入っても警備の人につまみ出される・・・というシステム。働いている人にとっては混乱がないだろうが、学生はたまったものではない。13時に授業が終わり、セクレタリアは一旦14時に閉まるので私はすぐに列にならんだ。事務局に入れたのは14時も10分前であった。14時を過ぎたら何人列をつくっていても「今日はこれで終わりです」と言って鍵を閉めちゃうので、私はヒヤヒヤしながら並んでいたわけだ。別に緊急性はないにしろ、1時間近く並んだことが無駄になるのは、ちとつらい。でも私が相談したことに担当の人は気持ち良く対応してくれたし、変更もOKだったわけだから、まあ、今日はついていた(私の後のひとは気の毒でした・・・)。明日は朝の講義はないし、今から宿題でもするとしよう・・・。

■1996.10.08(火)
今日は午前中ゆっくりできる唯一の日。残念ながら朝1番の映画(安いので)には間に合わなかったが、ゆっくりと過ごした。学校のあと久しぶりに語学学校フランス・ラングの仲間、ケイとカクトシと待ち合わせをして、3人でマビヨンの学食で夕食をとった。カクトシとは6月の終わり以来だから約3ヵ月ぶりだ。彼は来週からパリ大学の学生となる。久しぶりに会ったのだけど彼らとはいつも気を張らずに話が出来るので楽しい。それぞれの学校のことや旅行のことなど色々話をしていたら、あっという間に時が過ぎてしまった。カクトシはもう1年もパリにいながら学食は初めてだという。けっこう気に入っていたようだ。また今度・・・と別れたが、今度はいつかなあ?

■1996.10.14(月)
先週は映画を久しぶりに連チャンで見に行き、感動の連続であった。今年のカンヌ映画祭でも賞をとったデンマーク映画「ブレーキング・ザ・ウェイブス(奇跡の海)」は久々にきちんとした映画を観たという感触であった。変な小細工なしに見せる若い監督(これが4本目の長編)に脱帽。宗教(カソリック)や、その道徳感に支配された小さな田舎町を舞台に繰り広げられる、とても悲しいラブ・ストーリーである。日本でもきっと公開されるだろうから、みんな是非映画館にかけつけよう!もう一つはフランス映画「アパルトマン」。とては複雑なラブストーリー。偶然偶然の繰り返しに少しストレスを感じるが良く出来ている。主役はヴァンサン・カッセル。なかなか奇妙な顔(男前)のいい役者です。もう一人26才にして新人のイタリア人(元モデル)モニカ・ベリュッチはこれからが期待されている人だ。興味深いことに、この映画を皮切りにフランスでは立て続けにまったく毛色の違う(監督はもちろん違う)彼女の3作が公開される。さらにおもしろいのは、これらはすべて実生活でもパートナーのヴァンサン・カッセルとのコンビで撮影されているのだ。とにかく女優としては先輩のロマーヌの存在を完全に食ってしまう美しさは誰もの目にとまることでしょう。ほんと惚れ惚れしちゃう美人です。まだ見てないがシャルロット・ゲンズブールの新作「アンナ・オズ」はエリック・ロシャン監督の作品なので、是非見たいと思っていたが、人気はいまいち。ほとんどの映画館は1週間で上映を打ち切ってしまった。傑作の出揃うこの季節、シビアです。これとアキ・カウリスマキ監督の新作を日本に旅立つ前に見ておきたい、と思っています。
今日は一週間でもっともハードな月曜日。4時間のフランス語の時間の後に、3時間の講義「20世紀のフランス社会」。疲れやした。ところで先週の終わりにオーラル(会話)の授業で一緒のイタリア人だけどトム・クルーズに似ているアドリアーノが我がクラスに変わって入ってきた。だいたいこの学校は男が本当に少なく、その男のほとんどが神に身を捧げた?ミッショネール(宣教師)候補生などが多い。彼も例にもれず神に身を捧げているミッショネール。しかしただ真面目なだけで面白みのかけらもない他の男子学生に比べ、彼はやはりイタリアの血なのか?おもろい奴なのである。彼のおかげで陰気臭かったクラスの雰囲気が少し明るくなった。ありがとね。アドリアーノ君。彼はここでの勉強を終えたら数年間アフリカのザイールに渡り布教活動をするのだそうです・・・。
明日は午前中、久々の滞在許可証の継続申請に出かけ、午後はオーラルの授業。夜はユキコ邸でユキコちゃんの誕生日を祝う。なぜだかわからないが主役の彼女が料理を振る舞ってくれるそうだ。楽しみ・・・。

■1996.10.19(土)
忙しかった一週間も過ぎ、今日は待ちに待った週末。昨日からコメルス通りは小旗で彩られ、何やら楽しげだ。お祭りというわけではないのだが、6月の最終週にあったような(当時の日記参照)感じで、今日は一日コメルス通りが歩行者天国となり、商店街のほとんどが店の前に屋台を出していた。昼からごそごそ起きだして、コメルス散歩に出かけ、野菜やキノコやみかんなどを買って帰ってきた。昨夜の大雨とはうってかわり、今日はさわやかな秋晴れ。人出も多く、なんとなく楽しげな様子に満足。日本からは雨が多い・・・との便りばかりだが、こちらも雨は多いです。ただ、日本のような秋の長雨はなくスコール系か霧雨だから、どちらにしても傘はパリにきてから数えるほどしか使ったことはない。
水曜日にはベアのお姉さんファビエンヌの写真展示を見に、カルチェ・ラタンにあるエコール・ノルマル・シュペリウール(とても偉い大学の一つ)を訪れた。初めて足を踏み入れる大学に少々緊張しながら、展示をしているカフェテリアを目指した。ちょうど掃除中でゆっくりと見せてもらえず、なおかつテーマが難しくよくわからない・・・と言うのが正直な感想。女性科学・・・というのだろうか、そういうテーマを研究しているラボの活動のルポルタージュの写真である。でもともかく2人の小さい子供のママをやりつつ、写真の活動をしていくことは大変なことだろうなあ。私ものほほんとしていてはダメ!と喝を入れられる気分。
そうそう、10年ぶりのなつかしい人から電話がかかってきた。高校時代の同級生のヒトミちゃんからだった。彼女はアメリカ人と結婚して4年前からニューヨークに住んでいるという。先日ニューヨークでマコト氏にそっくりの人を見かけたらしく(彼女もマコト氏のことを知っている)なつかしく思い、彼の実家に電話をかけ今の連絡先を聞き、パリのマコト家に連絡してきて、私がパリにいることを聞いて驚いて電話してきた・・・という経緯。こういう偶然からまた付き合いが始まるっておもしろいね!
昨日は「ラ・エーヌ」という昨年公開された映画を見てきた。先日見た「アパルトマン」の主役の男優(ヴァンサン・カッセル)が主演。彼はこの映画で脚光を浴びたとのこと。監督は彼と仲のいいマチュー・カゾビッツ。内容はかなり衝撃的だが、高い評価を受けている。

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