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30/09/1996

フランス留学記 1996年9月

■1996.9.30(月)
楽しく長かったヴァカンスが終了。パリの街は少し前から、私は本日から、普段通りの生活を再開した。母と伯母が私の家に滞在していた9月の間に、街の様子も気候もずいぶん様変わりした。ヴァカンスを終えたパリはにわかに騒がしくなり、活気を取り戻し、並木は落葉を始め、人々の服装も秋物と言うよりは冬物に・・・。それでもここ数日は天候に恵まれ、今日などは特にいつものようにジャケットをはおっていると、少々汗ばんだりした。でも日は、日に日に短くなり、又あの暗くて長い冬が近付いているのを感じると、懐かしくもあり、憂欝にもなる。
さて私が新学期から通う学校は、「インスティチュトゥ・カトリック・ドゥ・パリ(通称:ラ・カトまたはパリカト)」という、フランスでは珍しい私立大学の付属の語学コースだ。パリではソルボンヌ大学の付属語学コースと共にとても知られている。メトッド(教授方法)も費用もほとんど同じなので、私は映画の講義がオプションとして受講できる、こちらを選んだ。ソルボンヌの文明講座(フランス語以外の講義)では私の興味を引くものはあまりない。例えばだいたいどこでもあるのが、文学、歴史、地理・・・など。しかしパリカトでは映画や芸術関係の講座が選べる。それはちょっとした魅力だ。今学期(本日から1月末日まで)は、フランス語12時間/週、フランス語作文2時間/週、フランス語会話3時間/週、フランス映画講義3時間/週・・・と週20時間の授業を選択した。校舎は本学生と同じ、サンジェルマン・デ・プレの便利な所にあり、その校舎と敷地内にある教会は、パリ市の歴史的建造物に指定されているなかなか美しいものだ。今まで通っていたフランス・ラングは小さな語学学校で高級アパルトマンの中にあったので、雰囲気は随分と変わった。授業によって行く教室が違うのも何だか大学生活を思い出させる。
語学クラスの担任の先生はフランソワーズ・カイトと言い、優しそうな人だった。今回の学校ではクラスをフランス・ラングのように簡単には変わることが出来ないので、今回のクラスメートと先生は今学期が終わるまでは、運命共同体なのである。もし相性の合わない先生だったら、最悪の4ヵ月間になったわけだ。すでに何度か手続き等で学校を訪れているが、私の印象をしては、どの先生もかなりかなり質が高そう。これは評判通りではないだろうか。クラスメートは18人で、2人の男性を除き、全て女性。恐るべき事にマジョリテはここでも日本人(7人)。台湾人2人。ベトナム人2人。ポーランド、ドイツ、オーストリア、スエーデン、各1人。男性は韓国と中国が各一人。彼らは共に聖職者。名前はとてもじゃないが覚えられない。特に悲しいことに同じアジア人の名前が最も私には難しい。私は今回中級クラスで来学期の上級クラス登録を目指します。私立の学校では上級でも大学付属の学校では、なかなかそうはいかないらしい。ともかく自分の実力のなさは自分自身でいつも痛感しているので、中級でも私には難しいかもしれない。特にパリカトは厳しいらしいので、とりあえずは無事に完走することが目標。まあ、真面目にやれば(これが一番苦手?)、結果はおのずとついてくるでしょう。
11月からは、フランス・ラングに残していた7週間の授業を消費しにダブルスクールとなる。今日シェナンと一緒に登録してきた。残念ながら大学受験に失敗したシェナンは今、登録できるめぼしい学校がないので、来学期までまたフランス・ラングに通うことになったのだ。ユキコちゃんは、ソルボンヌの語学コースを終え、今年度はモード関係の小さい学校に行くそうだ。みなそれぞれ新しい年度が始まる。
そういえば、クリスティーアとは8月の下旬に再会を果たした。約束とおりに彼女はパリに来てくれた。今度は私がチューリッヒを訪れないとね・・・。さあ、明日も学校。社会人の頃よりも早起きしなきゃいけない今学期・・・。頑張ろーっと!

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