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31/08/1996

フランス留学記 1996年8月

■1996.8.4(日)
タジマ親子&トモちゃんの滞在中、良い天気が続いて本当に良かった。今朝は到着の日と同じように早起きをして彼女たちと最後の朝食をカフェで頂いたあと、ホテルでタクシーに乗り込む彼女たちを見送って、今帰ってきたところだ。なんだか長かったような短かったような10日間だった。また不覚にも目がうるうる。
29日月曜日は例のパッサージュ・ブラディのインド料理屋へ行き、そのあと、セーヌの遊覧船(バトームーシュ)に乗る予定だったのが、話がはずんだ為、それは中止。カフェで続けて話し込んだ。火・水は私もたまっている用事をやっつけたりオリンピック(自転車)を見たり・・・と3人には会わなかったが、お買い物をしたり、美術館に行ったり、楽しんでいたようだった。
1日木曜日はお昼から待ち合わせをしてヴェルサイユ宮殿に行った。アヤ・トモも見たかったところだ。さくっと軽く一巡りをして、ヴェルサイユの街も少しみて、お茶をして、夕方パリに戻ってきた。少し荷物が増えたので一旦、彼女たちのアパート・ホテルに戻り、時を過ごした。タジマさんは、こういうスタイルの宿にして良かった・・・と言っていた。ちょっと疲れた時家で一休みが気軽にできるし、増えた荷物を気軽に置きに帰れる位置にある。それに美味しい果物や何かをちょっと買って楽しむことができるからだ。朝食も自分で選んだものが食べられる。キッチン付きの部屋ならではの楽しみだ、と私も思う。
この日は夕食にヴォージュ広場近くの伊レストラン「オリヴィエ」を紹介。アヤ・トモは伊料理に目がないらしく、喜んでくれた。紹介した甲斐があるというもの。モッツァレラチーズとトマトのサラダが気に入ったようだ。この夜は期待のバトームーシュにようやく乗れた。三度目の正直という感じ・・・。私も夜に乗るのは初めてのことで、とてもとても寒い夜だったが、テラス席にすわりパリの夜景を堪能した。やはり夜のエッフェル塔は美しい。言葉では言い尽せない感動をいつも与えてくれる。そんな大袈裟な・・・とお思いの方は、ぜひ一度確認をね。
2日金曜日はながーい1日となった。昼食から合流。と、いっても私のお気にのカフェ「ラ・トゥール・エッフェル」で今日のお薦めメニューを食べに、コメルスまで彼女たちが来てくれた。カフェの雰囲気も料理もなかなか評判がよかった。その後、私の家に少し寄ってもらってデザートの時。大好きなフランスのエクレア(フランスの・・・とわざわざ書いたのは日本のと少し違いさらに旨いからだ)を紅茶で楽しんだ。私のパリのお城(?)とその城下町を紹介できてとても私はとても満足。
その後、トモちゃんがタコス用のソフト皮(私も感動したのだが、日本で殆ど売っていないタコスのソフト皮がパリのスーパーでは当たり前のように売られている)を欲しいというので、近所のスーパー数件まわり、2種類のタコスソフト皮を購入。タジマさんも小さなジャムなどを選んでいた。そこでアヤ・トモがさらに目を付けたものは、子供むけのカラフルなグミ系のお菓子。スーパーでは一種類ずつ袋詰めされたものが売られているので、どれを買おうか悩んでいる二人に「すぐ近所にこのお菓子やさんがあるで」と一言。そこでは一つずつから選ぶことができる。日本のデパート等に昔グラム計りのお菓子売場があったが、あれにシステムは似ている。小さい篭に少しずつ自分で取るアレである。ただ売られているお菓子は全然違う。例えば超過激、超カラフルな色で「歯茎」や「クモ」や「コーラのビン」や「ヘビ」「ノウミソ」「目玉焼き」・・・などユニークなものがいっぱい。友達へのお土産に・・・と楽しそうに選んでいた。このカラフルなグミ系お菓子、こちらの子供は本当に大好きで、最近このチェーン店がパリ中にどんどん増えている。これだけは私にはとても理解できる味ではないが、ちょっとしたお土産には確かに楽しいです。はい。その後、いったん別れて彼女たちはホテルに戻った。夕食時にまたランデ・ヴー。マレのヴォージュ広場で。今夜はその近くにある「バラカン」を紹介。ここも小さいが上品な味のこぎれいなビストロである。
この日の夜はアヤ・トモをホテルに送りと届けた後、タジマンと私はモンマルトルのシャンソニエ「ラパン・アジル」へと足を運んだ。アンヴェール駅からフュニキュレールという名のケーブルカー(定期券や地下鉄の回数券でのれる)に乗り込み一気にモンマルトルの丘へ。まあ、とにかくいつもいつもすごい人である。そこからテルトル広場を経由してパリで一番有名なシャンソニエ(いわゆるシャンソンを昔風の雰囲気の中で聞かせる観光ナイトスポット)に到着。小さな薄暗い店内ではすでに20人位のお客がいた。私たちは1時間程度しかいなかったのだが、アコーデオンの弾き語りの女性がピアフの唄を数曲。店のオヤジらしき男性がピアノにあわせて歌うときは5~6人の取り巻きが付き声を合わせて歌う。おもしろいのはその時には観客の人たちも一緒に歌っていいのだ。フランス人の人たちには馴染みのシャンソンらしく、みんな大きな声で歌っている。タジマンや私は歌詞を知らないのでハミングで参加。歌って本当にいい。私も歌詞を知っていたらもっともっと歌えるのに・・・。今のこの時代、ここの雰囲気は観光客向けにいく分つくられたものなのだろうが、100年前にはこの雰囲気はもっと真実みをもって存在していたに違いない。本当にシャンソンの好きな連中が集まり、歌手を中心に自然に声が合わさる。ピカソもユトリロもじり貧の生活のなか、毎日のようにここに通っていたという。入場料などあまり意味のなかった時代であろう。私のイメージはさらに時代をさかのぼり、革命前夜のシトワイヤンの熱さを感じた。でもこれはちょっと古すぎ。日付が変わる頃には店を出たがテルトル広場のカフェやレストランはますます活気を帯びてきて、夜はまだまだこれから・・・という賑やかさ。真面目な私たちは(?)タクシーに乗って下界に下りていったが、ああやっぱりモンマルトルっていい、本当にいい。大好きな19世紀末が凝縮されているから。
昨日、3日は夕方からモンパルナスで合流。トモちゃんが本を、タジマンがミュゼット(アコーデオン音楽)のCDを買いたかったのでレンヌ通りのフナックへまず行き、夜8時に予約している今夜のレストラン「シェ・アンリ」がサンジェルマン・デ・プレにあるのでそちらの方に歩いてむかった。8時までの時間、私はお気にいりのホテル「ル・パール」のバーに案内した。ここは私が最初の一ヵ月を過ごしたカネット通りの13番地の前にある。ホテルなので一般客はなかなか入りにくい雰囲気で、夕方のこの時間はいつも殆ど人はいない貸切状態で、静かだし、値段も他のサンジェルマンのカフェに比べたら安い。ここは実は私のとっておきの内緒のカフェなのである。私がここを気に入っている点は空間の快適さだけではなく、ここは若いスタッフがいつも応対をしてくれるがそのすべての人が本当に気持ちのいい人ばかりだということ。ホテル自体は2~3年前に新しい北欧人のオーナーが買い取って改装している(内装のみ)ので比較的新しい雰囲気で、最近の日本の雑誌なんかにもよく紹介されているのを見たことがある。一泊800~900Fのいわゆるプチホテルです。レストランはこれまたとてもアットホームな雰囲気のビストロで、全員素朴な料理の旨さに感動!私はここのデザート「クリーム・ブリュレ」が大いに気に入った。ああ、また食べたいよー。とても楽しくておいしい旅最後の夕食会でした。
タジマンの今回のパリ旅行は私にとっても本当に楽しい時だった。パリで会おうねと約束して別れた12月。約束を本当に果たしてくれて本当にありがとう。私にアヤ・トモという二人の可愛い友達が増えたことは言うまでもない。最後に「また、来る!」と笑顔で言ってくれたこと、本当に嬉しかったのよ。また近いうちにパリで会おうね。

■1996.8.8(木)
おととい久しぶりの大雨が降った。雨なんて1ヵ月ぶりくらいじゃないだろうか。その夜はシェナンが彼女のホームステイ先で夕食をご馳走してくれた。今は大家さんがヴァカンスに出かけていて、キッチンを自由に使えるため、彼女もなんだかとても嬉しそうだ。自分の家みたいだわ・・・と何度も彼女は言っていた。そろそろシンガポール経由のタジマさんもそろそろ日本に辿り着いただろうか。
街中がなんとなくシンと静まり返っている。でも今もっともいい季節だと思う。家の中や日陰はとても涼しく、昼間太陽が当たるところは暑いがさわやか。日毎に日の短くなっていることは感じるが、それでもまだまだ夜9時半頃までは明るいし、何もかもがちょうどいい。街の中心や観光スポットはそれこそ観光客で大にぎわいだが、私の住んでいる界隈は殆ど観光客もなく、商店街のなかでも特に個人商店は、順々に1ヵ月くらいの夏休みを取っている。9月になれば街はまた活気を取り戻すが、私は今、パリでヴァカンスを楽しんでいる。そういう気分だ。
夏といえば、やはり果物。野菜もとてもおいしい。7月まではスリーズ(さくらんぼ)の虜だった。今はうれうれのプラムとネクタリン、ブリュニョン(いずれも桃の兄弟)にこっている。だいたい1キロで15F前後(約300円)。昨夜は、桃が豊作過ぎていっぱい捨てたり燃やしたりしている映像をテレビで見た。もったいない、もったいない。もっと安くしてくれたらもっと食べてあげるのに・・・。まあ、そういうわけにはいかないのが難しいところなのでしょうが・・・。メロンも安いし(1ヶ10Fくらい)・・・ってこの間母に自慢したら、羨ましがっていたわ。「買い溜めしといてー」って言っていたけど、母がやって来る秋には何が出揃うのでしょうね。

■1996.8.10(土)
今日は一日雨が降りつづいた。時折、激しい雨が降り続き、ちょっとうんざりである。夜の今、ようやく静かになったところ。こうして一雨一雨秋に近付いていくのかと思うと少し悲しくなる。秋は秋できっと素晴らしく、冬の寒さはパリに潤む美しさを与えるのだが、私はやっぱりヨーロッパの夏が大好きなので、朝9時頃ようやく明るくなり午後3時頃には陽が傾きはじめる冬は、やっぱりごめんだ。夏よ、このまま止まって~~~。
昨日の夜、シェンナンから電話で今日の誘いを受けた。エヴァ(メディアテークの先生)を家に招いて昼食を一緒にしようということ。彼女は一週間、大家が留守なので家が自由に使えることが本当に嬉しいらしい。もちろん大賛成で出かけていった。残念ながらの雨だったが・・・。彼女のホームステイしているマダム・レピカ邸は7区のヴァレンヌという駅、ロダン美術館のすぐ近くにある。ここらは大使館や仏政府関係の施設や閣僚なのが住む屋敷が多く、警官の数が本当に多い。まあ、治安はいいということになるのだろうが、一般人が生活するには、少し不便だ。例えば買物ひとつもろくにできない。大きなスーパーなどが近くにないのだ。レストランなども超高級な所しかない。今日も私は家の前にたっている警官2人にほほ笑みかけ、高さ3Mはあると思われる重い共同扉を押し開け、彼女を訪ねたわけだ。今夜のメンバーは(私は初めて会う)アサコさんとエヴァとシェナンと私の4人となった。アサコさんは一年の留学生活を終え2週間後に日本に帰国をするらしい。彼女は私がパリで出会った日本人の中で誰よりも正確で流暢なフランス語を話していた。その驚きと感動で私はしばし言葉を失ってしまった(いつも失いっぱなしか・・・)。彼女はこども時代にジュネーブ(スイスのフランス語圏)で3年間暮らした経験があるそうで、その時に基礎がしっかりとできているのであろうが・・・しかし素晴らしすぎる。大学でもフランス文学を専攻しているそうで、本当に頭の良い人のようだ。こんな人ともっと早くに友達になれれば良かったのに・・・残念。頭の良さではカクトシ以来のヒットであった。あとはエヴェの独壇場(しゃべりまくる・・・ということ)。でも土曜の午後のひととき、こういう過ごし方っていいなあ。もっと勉強しなければ・・・と思う良い機会なのです。怠け者の私にはね。

■1996.8.11(日)
今日はラ・ヴィレット公園で行なわれている音楽フェスティバルに行ってきた。これももちろん無料である。この間行ったジャズフェスティバルもこれも、そしてその他の多くの企画がパリ市によってパリ中で行なわれている。6月から9月末まで、「演劇とダンス」「音楽」「展示会」「映画」「探訪」とこの5つの分野にわたってたくさんの企画が用意されている。もちろんこれらはすべてが無料であるし、その質が高いことはいうまでもないこと。いつも思うことは、このようにお金がなくともさまざまなイヴェントに参加できること、さまざまな文化に触れる機会の多いこと、それらはこれからの若い才能を育てるのにとても重要な役割を果たしているに違いない・・・と言うこと。それらの情報は、街を注意深く歩いていればあらゆる所で手に入れることができる。さまざまな情報誌にも載っているし、ポスターは至る所に貼ってある。市役所や区役所で手に入る無料の(でもとても立派な)行政誌や企画ごとのパンフレットでも詳しく知ることができる。出かける前から怪しい雲行きだったが、コンサートが始まる直前に夕立にあった。そのせいでコンサートの開始は少し遅れたが、たくさんの人を集めて盛況だった。黒人のミュージシャンだったからか、他のコンサートより黒人の若者が多かったような気がした。私は今日の音楽の分野(レゲエっぽい)にはとても疎いので何も説明ができないのだが、やっぱりリズムに合わせて体は動いてしまうのであった。でもとてもとても5時半から9時までは付き合いきれず、私たちは空腹に合わせて、会場をあとにした。今夜はカルチェ・ラタンの「ミラマ」を試してみた。ここの海老入りワンタンはとても有名らしい。一度試してみたかった店だ。しかし私は店に入ったとたん目に飛び込んできたチャーシューメンにしてしまった。友人がその海老ワンタン麺頼んだのでちょっと味見をさせてもらったが、「今度はぜったいこれだ!」と思った。丼が小振りで私たちのお腹にもぴったり。驚いたのはメニューの数が100以上もあることと、日本語の解説つきのこと。今夜もお客は満員。お味もなかなかです。値段も良心的。

■1996.8.16(金)
今日は久しぶりの晴れマーク、暖かな(本当にこの表現がぴったりだ)一日となった。今週は家でゆったりと勉強をしながら、家事に一層励み、日曜日からここに泊まりに来る元同僚、音川さんに備えるつもりだった。しかし結局、火曜日はケイと久しぶりに会い、水曜日にコロッケを作ってくれた友達のところへ・・・、昨日は私がシェナンに何か作ってあげることになっていたので、その約束を果たし、今日は3ヵ月ぶりにパリに帰ってきた日本人の子が電話をしてきて、近くのカフェで少し話をした。シェナンちゃんの為に作ったものは、なんでもない普通の煮物とオクラサラダ。でも砂糖と醤油しかないわりにはよい味に仕上がって、私自身もうれしかった。シェナンも喜んでくれて、話もはずみ楽しい昨夜であった。
これから音川さんが10日ほどここに滞在し、それと入れ替わりに母と伯母がここ私の家で1ヶ月のホームステイ!っていうことで、私のパリ日記はこれから新学期までおやすみしまーす。

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