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30/06/1996

フランス留学記 1996年6月

■1996.6.2(日)
今日はカトリーヌ天気予報官の言うとおり、再び雨がふった。もうしばらく公園はあきらめることにしよう。また秋にでも行ってみましょう。私は秋のヨーロッパにも期待している。いい写真もとれるだろうし・・・あちらこちら電車で1~2時間のところに出かけていきたいと思っている。で、雨で退屈な今日、日帰りできる9ヵ所の街や村を選び出し、計画を立てた。いつか実現できることを祈って。昨日の土曜日はシェナンとベルトリット監督のカンヌ出品作品「BEAUTE VOLEE/Stealing Beauty」を見てきた。朝一の時間はだいたい大きな映画館は25Fで見れる(さらにお得)し、昨日などはさらにヨープレイトのおまけまでついていた。イタリアの素晴らしい景色と主人公のリブ・テイラーの美しさが際立っている。でも私にはそれだけだった。特におもしろくない。ただ、どこか田舎街に出かけたくなった。それからつまんないことだがジェレミー・アイアンの老人ぶりはけっこうショックだ。あさって、4日火曜日はのぶお先生が到着。まだまだ先だと思っていたのに、早いわあ。私ももうすぐ滞在6ヵ月か・・・。

■1996.6.7(金)
なんて暑さのだろうか?日本もこんなに暑かったかしら?と思い出せない。もうすぐ日本は憂欝な梅雨だろうか。ここ数日は(今週は)なんとも言えない晴天続きで、きっと火曜日に着いた伊藤先生が、晴れ男なのか?背広で仕事の先生には気の毒なくらいに猛暑がやってきた。連日35度にまで達すると、いくら湿気が少ないとはいえ、小さな教室は蒸し風呂で、先が思いやられる。ローラン・ギャロスのテニスマッチを見に行っている人たちも、暑いだろうなあ。あさっての決勝戦のチケットはもちろんすでに手に入らないが、ダフ屋はやはりいるらしく、驚くべきことに価格は日本円で約12万円だって。さて火曜日は学校のあと、伊藤先生を迎えにオペラ近くの宿泊先まで赴いた。おみやげを持っていくし、他の日は忙しくなるかもしれないから、その日の夕食を一緒にしましょう、と言ってくださっていた。私が着くと先生はちょうど着いたばかりですぐに出会えた。文化庁の派遣でパリ赴任中の栗林さんという女性は空港まで迎えに行っていたらしく、色々先生の身の回りの事を気遣っていらした。いつも先生を取り囲む人は、驚くほどに丁重な態度で先生に接している。本来、私のような者が話など出来ないほど、先生は偉大な人らしい。でも私にとってはいつもニコニコ優しい先生だ。先生が何か持っていきますよ・・・と書いてきてくださったのをいいことに、私は日本茶と日持ちする和菓子をリクエスト。丁重な接待に勤しむ彼女を尻目に、私はいつもの私らしい態度で先生に接することにした。と、いうわけで、その夜はこちらに来て初めての寿司屋に連れて行ってもらった。上にぎりをぺろっと平らげ、ごちそうさまあ。栗林嬢は食事中もずっと仕事の話をしていて、私にはちんぷんかんぷんだったが、先生をホテルまで送り届けた後、カフェで少し話をした。私とほとんど歳も変わらないであろう彼女はパリの次はバンコクに派遣が決まっていると言っていた。大変な仕事なんだろな。でもエリートなんだから仕方ないよね。伊藤先生が「明日の会議が早く終わったら連絡しますから、そしたらあなたの巣みたいな所へ連れて行ってくださいよ」と言われたので、翌日の水曜日は私の巣?の中で、この季節、空間の点では満点に近い「ル・カフェ・ド・コメルス」にお連れすることにした。幸運なことに最上階の席に案内してもらえ、先生は何度も「本当にここは気持ちの良い所だねえ」と感心して下さったので、私もとても嬉しかった。料理も私が勧めたものを「お口にあいますか?」と尋ねたら「非常に合います」と言ってきれいに食べて下さったので、ますます嬉しかった。パリという街がこんな偉い先生とも友達のように接することを可能にしてくれる。日本ではこんなふうに二人でレストランに行くなんて、きっとなかっただろうし・・・。今回は5日間の滞在で、明日慌ただしく帰国されるのだが、2週間後に今度は一週間くらいの予定で、またパリ出張なので、その時また出会う約束をした。72歳なのに元気に世界中を飛び回っている伊藤先生とのデート、今度はどこへ連れてってあげようかしら。今日は、ユキコちゃんと新しいレストラン開拓。マレ地区ヴォージュ広場近くの「バラカン」というレストラン。夜でもオードブルかデザートとメインのセットで78Fから。小さな店だが人気があるらしく予約が必要らしい。今日は飛込みだが食べさせてくれた。よく考えるとこちらにきて初めてソース物のフランス料理だ。量も程々で、味はなかなか。そしてトイレが笑える。食事のあと、サン・ルイ島に抜けて、夜の散歩を楽しんだ。夜といっても夕方みたいな感じだが・・・。今日のようなこのむうっと暑い夕方の気怠さは、私のすべての夏の記憶を結集させることの出来る唯一のものだ。夏休み、シエスタ、ヨーロッパ・・・、何とも説明のつかない愛着のある感覚なのだ。パリに着いて6ヵ月、初めてパリに居るんだ・・・と強く感じた時間でした。

■1996.6.8(日)
昨日は暑すぎず、快適な天気だった。そこで、出発まで雨が降ったりしたのだが、「郊外の旅・第1弾フォンテーヌブロー」へ出かけた。パリの西にあるリヨン駅(レストラン・ル・トラン・ブルーがある)から列車で約50分。急行というのか知らないが、それで3つめの駅・フォンテーヌブロー・アヴォン駅まで往復で86F(約\1800)。駅から出ているバスに乗り換えて15分位でフォンテーヌブロー城の真前に到着する。ヴェルサイユのように大きくもなく、観光客もそれほど多くなく、周辺の街も感じが良くて、小綺麗な街。この城館は、背後に控える巨大なフォンテーヌブローの森で狩りを楽しむためのもの。馬蹄型の階段が有名な城です。きれいな池(大きな鯉がたくさんいる)に浮御堂のような離れやボートが浮いていて、とても静かな良い環境だ。庭園もヴェルサイユには及ばないもののとても美しく維持されている。水鳥の遊ぶ姿を眺めたり、なぜかいる孔雀を追い掛けまわしたりしていると時はあっと言う間にすぎてしまった。帰りは少し街を散策してからバスに乗った。正直言うと私には城を眺めるよりも、こういった初めての街をただ歩き回ることの方がとても楽しい。一緒に行ったユキコちゃんも一眼レフのカメラを持っていて、二人が黙々と写真を撮っている姿はきっと奇妙に見えたに違いない。最近写真を撮るのをさぼっていたので、郊外の旅は写真を撮りたーい!という心を良い具合に刺激してくれ、この夏はたくさん写真を撮ろう!っと。あ、やはりカフェの値段は半額とまでは行かないまでも、かなり安いことに感動しました。今夜は再びパッサージュブラディへ35Fインド料理を食べに行ってきまーす。

■1996.6.14(金)
今日はとうとうカトリーヌ先生が最後の授業だった。私たち生徒はみんな本当にカトリーヌが好きだったし、尊敬していた。先生が教室に到着するまえに、ほんの小さなパーティーだが、準備をしていた。みんなが少しずつお金を出しあって、お菓子や飲み物を用意したのだ。そしてナタリーがみんなを代表して花束を買ってきた。カトリーヌの驚いた表情といったら・・・、それはそれは彼女も喜んでくれた。感動のビズ(頬にキス)の嵐・・・。まるでスターを追うカメラマンのようにみんながカメラを向けていて面白かった。みんな個人的にもプレゼントを色々と用意していて、私はシェナンとおいしいショコラをプレゼント。マルムット(パレスチナ)、ナタリー(ロシア)、クラウディア(ベネズエラ)、カトリーヌ(スイス)、マルティーヌ(オランダ)、マリア(ブラジル)、シェナン(韓国)、カクトシ・ケイ、そして私。シェナン以外はみんなカトリーヌが9月に職場復帰するまでに、それぞれの場所に散らばってしまう。このクラスは比較的長期の学生が多くて先生も余計に喜んでくれたのじゃないだろうか・・・と思う。ケイは1月から、私は2月くらいからずっとカトリーヌと一緒だった。カクトシは飛び飛びだが昨年の秋からいるし、シェナンも3月末にパリについてからずっと一緒だった。「こんなに良いクラスは初めてよ」と、なんだか余りの感動に目をうるうるさせているカトリーヌのビズの嵐に、私もちょっとホロ・・・、カトリーヌは何度も何度も私を抱き締めてくれた。なんだかパリの母(姉)・・・?て感じです。7月10日位までは娘さんのバカロレア(高校卒業・大学入学試験)のシーズンで子供の世話に忙しいそうで、8月は旦那様の国「ベトナム」へヴァカンス。彼女は「いつかみんなで家に遊びにいらっしゃい!」と私たちを招待してくれた。彼女の家はパリの南の郊外。今日から私たちは教師と生徒から女友達!「Mika est ma copine.」これはとても私には意味の深い言葉なのです。ありがとう、カトリーヌ。ああ、本当に彼女は素晴らしいパリジェンヌでした。今週は日記を初めて書くので、一週間のハイライト!月曜日はハナエとモンマルトルのアンヴェールへ・・・。前に書いたと思うのだが、ここは激安ショップや生地を売る店が集まっている所。ハナエが前から教えてほしいと言っていたので。この日の夜はシェナンが「映画の試写会の券があるから行かない?」と言うので、喜んで出かけた。火曜日はシェナンとカフェでババルデ(おしゃべり)、水曜日は久しぶりにハルエとお気に入りのカフェでババルデ、木曜日はシェナンと4時間もババルデ(主に映画やアートの話で盛り上がった)、今日はカクトシとケイとイズミちゃんと学校のあと近くのカフェでまたまた4時間もババルデ・・・。みんな気持ちの良い人ばかり。ああ、来週からシネマのクラスだし、気が楽。明日は嬉しい週末だしレ・アールのビデオテークで私の好きな映画をやっているので、見に行ってきます。おやすみなさい。

■1996.6.15(土)
今日は午後からレ・アールにある「ビデオテーク」に行ってきた。この施設はこの名の通り、映像資料の図書館みたいなところだ。コレクションとしてはパリに関するありとあらゆる5600以上の映像資料、例えば図書館で図書資料を検索する時のように、「モンマルトル」と入力するとモンマルトルに関する資料を見せてくれる。映像の種類はドキュメンタリーからパリを舞台とする普通のフランス映画までと、幅広い。個人で映像資料を見るためのブースもあり、そして2~3ヵ月毎に独自のプログラムを組み、大中小3つのホールで1日4種類の映画が楽しめるようになっている。個人ブースは1日2時間と規制があるが、ホールでの上映はすべて楽しめるようになっている。料金は1日30F(学生等の割引は25F)1ヵ月有効券は150F、3ヵ月券は250F、1年券は600F(学生等の割引は380F)、1年有効券<DUO>(2人用)はさらに安くて1人あたり350F。1ヵ月に1度来るだけでも元が取れるね・・・と、シェナンと二人で<DUO>を購入しておいた。それぞれがカードを持て、一人の時でも来られるのだから、これを選ばないわけがない。あー、なんだか映像に埋もれて幸せ・・・。ここのアジア人が好きらしく、親切に色々と施設のことを教えてくれて、少し得した気分。ここ数日パリは晴れているけど肌寒い日が続いています。

■1996.6.25(火)
あー、長いことワープロを開けていなかったわ。先週の様子をざっと書くと、18日(火)の夜はハルエが夕食に招待してくれたので、歩いて20分位の彼女の家まで行き、楽しい夜を過ごした。19日は朝に出張でパリに来られた日建のU先生から電話があり、21日夕方に少し出会いアンジェリーナでモンブランをご馳走していただいた。さて、22日は朝10:19の北駅発のユーロスターに乗り、こちらに来てからの初めての旅行(ロンドン2泊3日)を楽しんだ。チケットは往復で540F(¥11500)と安いし、語学学校で知り合い、今はロンドンに戻ったマユミさんが家に泊めてくれると言ってくれたので、なお安上がりの旅となった。マユミさんの家はロンドンの中心地から地下鉄(アンダーグラウンド)で20分くらいの所の閑静な住宅地にある。日本で言う長屋形式の一軒家(3階立て)で小さな庭があり、とても素敵。旦那様のニックは母親がフランス人で父親がイギリス人、イギリス育ちだが仏語もネイティヴのように話す。そして日本にいた経験もあり、マユミさんの影響もあり、完璧な関西弁も話す。驚くべきことは弁護士でしかもロックバンドのベーシスト。それに一緒に行ったハナエが泣いて喜んだのは、今日本で売れているらしい「ウルフルズ」のギタリストはマユミさんの古い友人らしく、このバンドとももちろん親交が深いということだ。売れていない頃は一緒に花見をした・・・と、懐かしがっていた。マユミ邸にはウルフルズのビデオがいっぱい転がっていて、ハナエは大喜びだったわけだ。私はここで初めて彼らのビデオや歌を知ったのだが、「ばんざい」というタイトルの歌は気に入った。このハナエ自身日本にいたときには、ヘアーのカットモデルをやっていて、彼女の載っている雑誌がイギリスのマユミ邸に転がっていたりして、それも不思議な気分だった。ところで初日はマユミ邸の最寄りの駅までいくと彼女が車で迎えに来てくれて、まず家に行きくつろいだ。ニックは友達の家にサッカーの試合を見にいくと言って出かけ、私たち3人はバスにのり、近所にある有名な蚤の市に出かけた。私はこの分野にはとんと疎いのだが、彼女等曰く、蚤の市はパリよりもロンドンの方が品が良いそうだ。だからなのか「なんでこんなにおんねん!」と言うくらい日本人の嵐だった。ロンドンも若い日本人留学生や旅行者は多いんだなあ・・・。蚤の市を冷やかした後、マユミさんはニックがいる友人の家に行くという。私たちも街に出かけた。なんだか日本のようにきちんとしていて、とてもわかりやすい。パリから来ると街はたいそうきれい(ゴミがないということ)に見えるし、街が全体的に低く、近代建築も多く、車と人の位置が日本と一緒(パリとは逆)で、なんとなく違和感を感じた。パリより、厳しい感じがするのだ。それに街の色は煉瓦の赤。久しぶりに口にする英語はぎこちなく、どうしても仏語が交じってしまう。でもお店ではまず「ハーイ!」それから最後に「サンキュー」・・・にはすぐに慣れた。夜はマユミさんとニックと合流。彼女達が良く行くと言う近所のタイ料理を出すパブで食べた。翌日、日曜日はニックが庭のテーブルに簡単な朝食を用意してくれた。ここ数日パリもロンドンも信じられない位の寒さだったのだが、この時は太陽をたっぷりと浴びて、気持ち良かった。二人が庭いじりを始めたので、私たちは鍵を預かり、街に出かけていった。なぜかというとその夜マユミさんとニックは、再結成したロックバンド「セックス・ピストルズ」のコンサートに行ったからだ。私たちはまず市内観光のバス(約¥1000)に乗り観光名所をざっと回り、その後ピカデリー・サーカスやオックスフォード・サーカスを中心に日曜日でも活気のある街を歩き回り、ショッピングを楽しんだ。初日、ハナエは言葉が通じないこともあって「あー、パリに早く帰りたい」と言っていたけど、買物が出来て満足だったのか、この日は機嫌がよかった。3日目は昼ごろマユミさんにお礼を言い家を出て、ユーロスターの出発駅ウォーター・ルー駅に着く4時ごろまでやはり街を歩きまわり、1ポンドのお金も残さない優秀さで?旅を終えたのだった。この私が留守をしていた週末、パリは主要なお祭りがいっぱいあり、それを逃したことはちょっと残念だった。知っていたら旅行の日程にこの週末を選ばなかったが、そのプログラムを知ったときにはすでにユーロスターのチケット(私たちが選んだのは格安チケットなのでキャンセルが出来ない)を買っていたので、仕方がなかった。例えば、土曜日はラ・ヴィレット公園で花火大会、日曜日はセーヌ川沿いに花火大会。出発前日の金曜日は毎年夏至の頃ある「フェット・ドゥ・ラ・ミュージック」というイベントでパリ中のあちらこちらでいろんなジャンルの音楽が夜中まで楽しめた。それにパリ名物「ギャルソン・レース」。私の近所のコメルス通りも歩行者天国となり、蚤の市が開かれた。あー、残念残念。まあ、夏はこれからだから・・・。夏のソルド(年二回大バーゲン)が昨日の月曜日から一斉に始まりました。これからしばらくパリの街はヴァカンス前の賑やかな期間を向かえます。

■1996.6.27(木)
昨日は夕方ビデオテークでフィルムを見たあと、伊藤先生が泊まるホテルまで出向いた。今回は我が家のごく近くで、先生の仕事場にも近い、カンブロンヌのホテルに泊まっている。朝、先生が電話をしてきた時に聞いた番地を覚え違いしたみたいで(メモをとっていなかった)、少し手間取ったせいか、私がホテルの前の道を渡るときには、先生は表に立って手を振ってくれていた。今回も先生は色々と可愛らしいお菓子をお土産に持ってきてくれていて、「さあ、何か食べに行きますか」と夕食まで誘って頂いた。先生は少し疲れ気味だったので、近くで・・・という事になり、ここへ行く途中に見つけたとても素敵なイタリアンレストランへご案内した。名前は「フォンタナ・ローザ」。オープン・エアのスペースも気持ち良い。外は全体的に薄いピンクを基調とし、中はクラシックな感じ。給仕の人も皆、きちんとシャツにネクタイで、身のこなしも軽やかで、とても気持ちがいい。ヨーロッパのレストランやカフェで何が最高にいいかというと、こういうスタッフが本当のプロで、彼らのおかげで気持ちのいい時を過ごせるということ。私にとって大切なのは料理と価格ももちろんだが、空間とスタッフも善し悪しを決めるのに重要な要素となる。パリにイタリアンレストランはたくさんあるが、質もピンキリだが、イタリア人が経営しているものにこしたことはない。ここはイタリア人がやっている、値段もそこそこ取る(決して安くはない)、しっかりしたレストランだ。サービスもスマートなだけでなく、お客との会話を楽しみながら、笑顔を忘れない。カンブロンヌの駅前はなんだか陰気臭い感じで私は好きではなかったが、そこから少し歩いただけで、このイタリアンレストランをはじめとして、小さな感じのいいレストランがたくさん並んでいることに、昨日初めて気付いた。伊藤先生のおかげだわ。感謝感謝。今日たまたまカフェについて書かれた友達のメールを読み、少し考えた。私がヨーロッパのカフェやレストランに惹かれる理由の一つには、そういった大人のプロによるサービスぶりにもあるのだろう。もちろん観光客を相手にしているような店では、満足の行くようなサービスは期待できない。が、アルバイト気分で仕事をしている訳ではないということだ。日本ではいくら高い料金を払ったところで、本当に気持ちの良いサービスを私は受けられないような気さえする。どんなにかしこまった顔で指先まで緊張した頭のいいサービスを受けたとしても、それは私の心にはあまり響かないのだ。カフェもそう。日本にはなく、そして決して日本には根付かない文化だと実感している。カフェの一日の時間の流れを観察していると、自分にぴったりの時間が見えてくる。たくさんのカフェを訪れたが、やっぱり贔屓の近所のカフェは、お気にいりのお兄ちゃんとお気にいりの犬が居るだけでなく、空間としても申し分なく、出すものも美味しく気持ちがよく、満点に近い。何よりもこのカフェの時間の流れが私のペースに合う、ということなのだろう。なんでもこのフィット感は大切。やはり昼食時は戦争。私には夕方のカフェがもっともしっくりくる。夕食後から閉店時も悪くない。ここは余計な音楽もかけず、天気が良い日のゆったりとした午後の一時(ひととき)がなんといっても良い。東京では最近このフランスのカフェのまるっきりコピーを作り(最近は家具や内装まで気をきちんと配っているらしい)、フランス人のギャルソンを置き、テーブルでお勘定をし、ギャルソンがレシートを口で破るところまで徹底して真似っこしているようだが、やはりそれはナンセンスの極み・・・という気がする。第一、窓の外は東京なのだし、窓の外に流れる時間がそもそも違うし、そこに集う人々の意識が根本的に違う以上、ただの箱、それは文化ではなく、容器にすぎないのではないだろうか。今、東京ではとても人気らしいが、日本は日本でオリジナルを追求すべきである。国を離れると自国の長所短所がはっきりと見えてくるものだと言われているけど、日本の子供による文化支配をもっと大人が頑張って食い止めない以上、日本の将来はちょっと暗いな・・・と言う気が、今はしている。それでもフランスでもこのカフェ(サロン)文化というのは目に見えて衰退してきている。若者のアメリカ指向やライフスタイルの変化がその主な原因。カフェで多くの時間を過ごした昔の知識人や芸術家がいた・・・なんてのはもう大昔の話だ。現代フランス人はずいぶん忙しくなったものだ・・・。それでも時々お年寄りが一人席に座り、外を眺めながらビールやコーヒーを飲んでいたり、本を読みふける若者、知らないもの同士何かを語り合う姿をみていると、まだ大丈夫かな・・・と気持ちも半分。今日もビデオテークでエリック・ロメールの映画を見た。毎日映画がただで見られる喜びよ・・・。ヨーロッパの夏は本当に幸せです。

■1996.6.29(土)
あー、最近寒くてしょうがない。なんて悪天候なのでしょうか。今日は伊藤先生が帰国の日。3時からの会議に少し参加して帰るとのこと。それまで一緒にロダン美術館を訪れた。ロダン美術館は庭園も広く、手入れが行き届いていて、とてもきれいだし、一見の価値はあります。もちろん、ロダンの作品のオンパレード(カミーユ・クローデルの作品もすこしあります)ですから、ロダンが好きな人は絶対感激するでしょう。(庭園だけの入場も可。お茶も飲めます。)たわいない話をしながら、お昼を近くのレストランですませ、そこからそれほど遠くない先生の会議の会場(ユネスコ)まで御供をして、そこで別れた。その前にユネスコの建物の中を少し案内してくださって、日本庭園(ノグチ・イサムだっけ?有名な彫刻家がデザインした)や最近安藤忠雄が作った「瞑想の部屋」などを見せてもらった。この1ヵ月の間に4日も出会った伊藤先生であった。今まで話をした時間をゆうに超えたのではないだろうか。当分パリに来る用事はないそうで、残念。でも「また近いうちにお会いしましょう・・・」と、言ってさようならをした。今日、フランスの学生は一斉に夏休みにはいった。もうテレビのニュースも、サミットと今日始まったツール・ド・フランスとF1とヴァカンスのみ。明日から3日間、「フェット・デュ・シネマ」と言って日本の映画の日みたいなイベントがある。映画を割引にしてくれる機会は、以前にも書いたが本当に頻繁にある。しかし今回のはちょっとシステムが違い、この3日間(だけ)の最初の1本を通常料金で見ると、後は何本みても1本につき10F(¥200)というもの。今、やっている新作映画でちょうど3本見たいのがあったので、これは良い機会だ。「JANE EYRE(シャルロットの新作歴史もの)」「LEON VERSION INTEGRALE」「COMMENT JE ME SUIS DISPUTE」頑張って見てきます。

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