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31/05/1996

フランス留学記 1996年5月

■1996.5.2(木)
なんだか、いつものようにあっという間に過ぎた日々・・・。 この間の週末は天気が良くなかったので4月の企画「高いところに昇る」はあきらめたが、これからしばらくはたくさん知り合いの人々が来るので、それに便乗して昇るつもりだ。
・・・外出といえば家の前にパン屋があるのだが、ここは格別旨い・・・とおすすめできる店ではないのだが、やはり近いのでつい利用してしまう。そしてここへ行くときは必ずレジの横に置いてあるサブレを買ってしまうのであった。やはりフランスと言えばパン。パン屋の数は半端ではない。私が前住んでいた家の最寄りの駅前には2軒のパン屋。その家から通学のために利用していたちょっと離れた所のデュプレックス駅まで約600M。その間にパン屋は4軒、そしてその通りにあるスーパーの中に店を持っているパン屋1軒を合わせると合計5軒になる。私はそのうちの一つをとても気に入っていて、時々は大勢のフランス人と一緒にもうすぐ焼き上がるバゲットを待ったものだった。この店は本当に人気があった。お昼時や夕食前には道路にまで行列が出来るのだ。その家から今住んでいる家までの間に大きなパン屋が一軒ある。ここは一時期頻繁に利用した。すごくお菓子もおいしいのに、いまいち不利な立地条件のために人気がないようだ。そして今住んでいる家の前に一軒。そしてそこからモット・ピッケ駅までのコメルス通り(約700M)に5軒のパン屋がある。その通りにあるスーパーの中にもパン屋が入っているので計6軒。私の家から少し歩く距離の間に、なんと15軒ものパン屋がひしめきあっているのだ。ね、スゴイでしょ?もちろんそれらをみんな試してみたことは言うまでもない!本当にフランスってカフェとパン屋と薬屋が多い。ケーキを特に気に入っている店「DOUCEURS」は以前書いたオムレツのおいしい店だ。こんなに安くフランスパンとケーキが食べられる環境に今はとても満足です。今はパンとお菓子屋さんのケーキに夢中で、スーパーのお菓子やスナック菓子はまだほとんど試してない。こちらのポテトチップスは激安でカルビーの普通のサイズの3倍くらいの量が60円くらいで買えてしまうから、怖いよねえ。でもいつか試してみようっと!

■1996.5.4(土)
今日はマコト氏の家に昼食を食べにいった。マコト氏の家には庭があって、そこに桜の木があって、その木が満開なので見にこないか・・・と誘われたのは何日か前。その時、彼らの友達が集まって木の下で花見をしたそうな。その日は私は先約があって行けなかったのだが、せっかくなので今日見に行ったわけなのだ。が・・・、この所の寒さと風のせいで見事に散ってしまっていた。しかし緑が生い茂る庭らしい庭があるっていうのは確かに気持ちがいい。彼らが引っ越しを渋っているのも少しわかる。台所で料理を作るマコト君と部屋の片隅で仕事をしているアキちゃん。アキちゃんは今日締切の雑誌の写真の仕事を必死でやっている。私はこの家に来る楽しみの一つ、でかいネコに会えて今日も嬉しい。ネコを手招きしてしばらく遊んでいると、ニンニクのすごくいい香がただよい始めた。すごくおいしいスパゲティを頂いた後、持っていったデザートを食べて機嫌良くしていたら、アキちゃんはせっかく作った写真を間違えて捨ててしまった・・・とかなんとか言って泣きべそをかきだしたので、私はいつものように食い散らかしたまま退散することにした。おいしいお昼をごちそう様でした!
ちょうど帰りに母達の呼び寄せ便(航空券)を買おうと思っていたので、オペラのJALPAK(代理店)に行き手配を済ませた。そのあとBHVデパートまで散歩して、色々と見て、元クラスメートのマサトシに偶然出会い、閉店時間になったので店を出て、その近くの激安本屋に入り(けっこう店のオヤジがいい奴だった)すごくいい本を見つけて買って、うきうきしながらこの辺りから出ている70番線のバスに乗り込んだ。私はこの70番のバスが大好きなのである。パリの中心シャトレーを出発して、セーヌ河を渡り、サンジェルマン・デ・プレ界隈を抜けてそのまま、私んちまで帰れる。なかなか良い路線ですよ。

■1996.5.8(水)
今日はまた冬に逆戻りしたかのような寒さだ。この所寒さが続いているが、今日のはとびきりだ。コート・オーバー類はまだ手元に残しているのだが、それをいまさら着る気にもなれず、やはりこちらではマフラーやスカーフなどの小物類が大切なことを実感。
今日フランスは終戦記念日で国民の休日となっている。フランスの5月は祝日が4日もあり、週休3日のペースだ。まあ、日本にはゴールデンウィークがあるのでおあいこですが・・・。今週は月曜日、夕方家に戻るとマユミさんから電話が入り、今夜一緒に食事でもしないか・・・とのこと。彼女は今週末にとうとうロンドンに戻ってしまう(旦那のパリ赴任期間終了)ので、パリでは最後になるかもしれないわけだ。彼女とはクラスが変わってからあまり一緒に過ごす機会はなかったけど、いい人に出会えたと本当に嬉しく思っている。イギリスには是非行ってみたいし、その時はまた会ってもらうことにしよう。
ところでパリといえばカフェで有名だし、この街に生きていてコーヒーが飲めないことは不幸なことだと私は思う。よくワインやチーズ(この頃はあまり食べられなかった)に特に興味のない私を友人達は声を揃えて「もったいない」と言うが、コーヒー嫌いは「不幸」なのだ。でもご心配なく。フランスのカフェは絶対においしいのです。ハナエはコーヒー嫌いの紅茶党だったが、パリに来て約3ヵ月、今では様々な過程を経て、コーヒー好きに転じてしまった。パリでもおいしい紅茶はもちろん飲める。日本でも女性に人気のある「マリアージュ・フレール」という紅茶ブランドはフランスの物だし、質の高い「サロン・ド・テ」はいくつも経験済みだが、なんせ値段が高いのである。だから私はもっぱらカフェの道に生きることにしている。でも実は私はカフェも好きだが大のお茶好きでもある。安物の日本茶でさえ貴重品の今の生活では、お茶といえば紅茶か中国茶。中国茶は数ある中華スーパーで簡単に日本より安く調達できるし、紅茶も高級ブランドではないが、普通のスーパーマーケットで日本では考えられない種類のものが安く調達できる。いわゆるフレーバリーティーが充実しているし、それに忘れてはならないハーブティーもたくさん揃っている。これを見ているとフランス人も紅茶が好きなのだな・・・と感心させられる。メーカーは、もちろんリプトンはあるが、それよりも「エレファント印」がお薦め。だいたい1箱(25袋くらい)が10Fくらいで購入できる。今私はヴァニラテイストとキャラメルテイストがお気にいり。これをいれるだけで部屋中が良い香に包まれて、ほんと幸せな気分になります。

■1996.5.11(土)
昨日は久しぶりに晴天に恵まれたが、今日はもう曇り。この所の寒さにいつまでも暖房と縁の切れない私です。我が家の天井まで2M80の部屋は、やはり冬場はかなり寒そうです。その代わり夏は過ごしやすいのでは・・・。でもフランスの夏は短いけど・・・。パリのデパートの家電売場でも、最近では扇風機が並んでいます。もちろん?日本の「ファジー○○○○」と言うような優秀な製品はなく、ただ風力が調節できるだけ、タイマーなんかもついてはいない、とても原始的な機械。値段は小さいもので\3000くらいから。熱帯夜は日本のようにはないものの、パリの夏も最近はぐっと熱くなるので、どうなることやら・・・。私の通っている学校(教室)は交通量の多い大通りに面していて、窓を開けると騒音がひどくてみんなの声が聞き取りにくくなるので、先生もいつも「窓を閉めてくれ」と言うのだが、学校にはもちろん冷房などなく天井から大きいプロペラ扇風機がぶらさがっているだけである。夏は短期の学生がぐっと増え教室も人でいっぱいになり、窓が開けられず、プロペラ扇風機が回るだけ・・・というのは、想像するだけでも暑そう!
でも今日はすごく寒くて、少々震えながら、5区の外れにある「ジャルダン・デ・プラント」に行ってきた。そう、5月の観光テーマは「パリの公園」である。ここでいう公園とは、街角にあるような小さなものではなく、奈良公園や丸山公園や大阪城公園のようなかなりの広さを持つもの。パリ市内には10を越えるこのような公園があるのだが、その中からまだ行ったことのない公園を5つ選び出し、ついでにその周辺も合わせて探訪してみようというのが今月の企画。で、今日は「ジャルダン・デ・プラント(植物園)」となったわけだ。5区のもっともセーヌ河沿いのパリ第6・7大学の広大な敷地に隣接してあるこのジャルダン・デ・プラントは、植物園なのに不思議なことに動物園が入っているのだ。これはおそらくパリで唯一の動物園ではないかと思う。やはりここへ来たからには入ってみなくては・・・ということで童心に返り、30Fの料金を支払い入ってみた。公園の約半分の面積をしめるこの動物園はかなり広くて全部見て回るには骨が折れたが、日本の動物園と同じで動物たちに覇気がなく(これは当たり前か?)、なんだか寂びれた感じは隠せないなあ。それでも子供たちの楽しそうな様子を見ていると、動物たちがここに死んだように存在していることも全くの無駄ではないのか・・・とも思う。とにかく爬虫類の館の気持ち悪さと、バイソン(BISON・アメリカのでっかい牛みたいなやつ)のでかさに驚いた午後でした。
その隣、パリ大学の敷地の外れに「アラブ世界研究所」(ジャン・ヌーベル設計)が、ある。これは私が現代建築の中では奇跡的な美しさを感じた作品だったのだが、ここは4、5年前行ったきりだったので、久しぶりに覗いてみた。しかしここもやはり他の現代建築と同様になんとなく惨めな姿と見せていた。私が当時訪れたとき昼食を取ったカフェも今は閉鎖され、その隣にあったレストランもがらんどうになっていて立ち入り禁止の紐だけが、悲しく吊されていた。日本でも出来たばかりのとき話題になり、私達も見に行った人気作家の建築が、数年後には取り壊されるのを待っている・・・何てことはバブルの崩壊と共に珍しい事ではなくなったが、パリでもそれは同じことです。フランク・O・ゲーリーが設計したパリの「アメリカン・センター」も昨年末に閉鎖されたのだが、数年間の命だったし、この研究所も1989年のグラン・プロジェの一環としての華々しいデビューとは裏腹の厳しい現状のようです。(注:2001年現在、このアメリカン・センターはアート関係の施設として再開しています)
ところで9日からカンヌで世界的に有名な「カンヌ映画祭」が始まりました。やはり日本で想像する以上にこちらの盛り上がりはすごいものです。ああ、テレビが欲しいよう。

■1996.5.15(水)
昨日も今日も夜の間にたくさん雨が降ったみたいで、道路はしっとりとぬれていた。今日も相変わらず晴れ間は見えない。冬物のコートを着ている人も多く見受けられる。これが噂のパリの5月か・・・と少々気が滅入ってくる。それでなくても、この数日間はいやなことが続いていたのに・・・。というのも、電気関係・水回り・鼠&害虫はパリの住居の3大弱点(+空き巣)で、よく知られたことなのだが、よくもまあこれだけ次々と問題が起こるものだと腹立たしさを超え、最近の私はあきらめ気味。私は、ヨーロッパの公共サービス(のマズサ)に耐えられるくらいの忍耐力は持ち合わせているし、自分でも感心するくらいの楽観主義者だが、この間の住居は不動産屋と大家の問題があり、電気がとんだり、その上水回りで苦労しまくったことが引越の引金になったわけだ。もう絶対に役立たずの不動産屋には頼らない・・・と自分で心行くまで探した今回の住居も、私にとっては決して100点満点の物件ではない。広さや家賃や場所や色々な条件の合致と妥協のうえで、私にとって最良の物件を選んだに過ぎない。幸いなことに私の新しい家は友人たちにも評判だし、私も気にいってはいる。でもこの家でも電気は煙を出して飛んでしまい、それにどうやら鼠がいるらしい・・・ということに最近気付いた。電気は大家に頼んで修理や検査を要求できるが、ねずみちゃんは・・・というと大家のせいではないので私は在パリ7年のマコト氏の相談してみた。マコト氏の以前暮らしていたアパルトマンにも鼠が出たという話を聞いたことがあったからだ。かれはその都度殺したり外に出したりしていたそうだが、良い薬があることを教えてくれた。お米に赤い毒(というか酸欠を引き起こし外で死んでくれる薬品)を塗ったものがポピュラーだそうだ。私はいつもだいたい朝方まで起きているが、鼠の音は一度も聞いたことがなく、もちろん姿も一度もみたことはない。でも一ヶ所だけ台所の物入れの奥だけ、いつも掃除をしても掃除をしても形跡を残していくので、睨んでいたのだ。ここは主に配管やらのスペースでたいしたものは置けないし、そこから住居スペースには鼠本人の腕力で扉を開けて出て来ることはないので、どうやらそこと外をうろうろしているらしく、そんなに怖くはない。今のところ会う心配もないし、存在すること自体はゴキブリよりいい。でももし電気配線を噛むようなことがあればそれはすごく怖いことにつながりかねない。例えば先日起きたオペラ座近くのクレディ・リヨネ銀行本店の大火事も電気のショートが原因だったと聞いた。そこで私は昨日さっそく薬局のおじさんに相談をして、例の薬を購入した。12袋入って、たったの20Fだった。なんだか鼠の命の値段みたいな感じでイヤだったが、おじさんは8日間から10日で効果が現われますと言ってくれた。「鼠が家の中で死んだりしないでしょうか?私見たくないんですけど」と言うと「うー(?)、離れた所で死にますよ」と言ってくれた。マクドナルドでアルミホイルの使い捨て灰皿をたくさん貰ってきて(ちょうど良い大きさなので)、それに赤いお米をわけて、怪しい場所に設置して一晩。やはり狙い通りの場所だけが食い散らかされていた。うれしそうにこれを食べたねずみちゃんを想像すると、かわいそうでやりきれない気もするが、背に腹は変わられないのでアール。ごめんね、ねずみさん。ハナエもいよいよ今週末引越だが、今の家は電気が頻繁に飛び(電気コンロが原因)、その都度焦げ臭い匂いがする、と言って怖がっていた。それに最近はそれがずーと使えないままで、家で何も作れない日々だった。ユキコさんが住んでいる家も相当古いが、今にもワイヤーが切れそうな一人がやっとのエレベーターがある。私は怖くてこれには乗らないようにしている。目的の階に着く前に震度3くらいの縦揺れするのが気に入らない。この余計な振動でワイヤーが切れてしまったら・・・いやでしょ?ユキコさんが言ってたけど、この間の日曜日そのエレベーターは故障して階の間でしばらく止まっていたと言うことだ。あーこわいこわい。マコト氏が鼠に遭遇してたそのアパルトマンは結局天井が落ちてきてジ・エンド。引越せざるを得なかったそうです。まったくトホホなパリの家たち・・・。

■1996.5.20(月)
今日も寒くて、晴れたり、バケツをひっくり返したような雨が降ったり、曇ったりを繰り返す変な天気が続いている。15日にやってきた鳥居さん(渡仏前に通っていた語学学校で知り合った50-60代のマダム)、お気の毒に・・・毎日毎日どしゃぶりの雨で・・・、でもこの悪天候は彼女が連れてきたかのように突然始まった。もしかしたら彼女がとんでもない雨女なのかも。しかし電話で話をしたとき彼女は「雨のパリも素敵だわあ」と言っていた。月末に帰国するときまでに一度うちに遊びに来たいそうだ。
今月のテーマ「パリの公園」は大雨のせいで軒並み中止が続いているので、来月にも持ち越しそうだ。テーマが悪いのかなあ。6月中旬には公園を終えて次のテーマ「郊外」へ足を延ばしてみるつもりだ。9月には母が来るから近場でいいところを探しておきたいと思うし、1時間電車に揺られると田舎街へと小旅行出来てしまうので、パリって本当におもしろい街だ。パリも半年近く暮らしているとフランスの小都市で暮らすのもいいなあと思うようになってきた。なぜかというと例えば空気の悪さは工業地帯並みだし、物価も高いし・・・、でもやっぱり文化の中心都市そして自由都市パリは離れられない。ところで一般的なフランス人と言うのは頑固で保守的で、そして閉鎖的なものの考え方をする。そういう意味ではパリを数十キロ離れたところからすでに農村都市のものの考え方がはじまるのだそうだ。この間カトリーヌの授業でそういった話題が出て、彼女は熱く語っていたし、私も以前から書物で読んで興味を持っていたが、フランス人女性の立場というのはけっして良いものではない。男女平等の思想がもっとも発展しているのは北欧、そしてドイツやスイス・・・で、パリの女性は世界的にみても働き蜂と評されるくらい労働時間が無駄に長い。それは他ならぬそういったことに理解のない完全なる男性社会が原因なのだ。ファッションが発達したのは(女性が美しく着飾る)、女性が男性から美しくあることを求められている証拠で、それ以外の存在価値をまだまだ認められていないからだと言う。そういえば北欧の人やドイツ系の女性ってそんなに着飾らないよね。企業でも出世はあまりない、給料の男女格差は年数を経れば経るほど広がる、女性の憧れるフランスという国は実は女性の立場の低い国だというこの話は、なんとも皮肉な感じがする。

■1996.5.23(木)
相変わらず、雨の日が続いている。まったくいやな天気だ。パリの5月は例年だともう十分に暖かいはずらしく、時々信じられない寒さをぶり返すことはあるらしいが、こんなに雨ばかりはやはりめずらしいようだ。私がやってきた真冬は真冬で、雨がほとんど毎日降る。でもその季節の雨は申し訳程度に降る量で、傘は誰もささないが、最近の雨は日本の梅雨のような感じで、さすがのフランス人もあきらめて(?)傘をさしている人が目に付く。ただ日本の梅雨のように湿気が多くないことが唯一の救い。寒いよー。
昨日は滞在許可証の更新に警察の行ってきた。あと二週間で第一回目の滞在許可証(は、半年しか出ない人が多い)の期限が終わるのだ。この滞在許可証の情報は本当にコロコロ変わって、よくわからないが、昨日は時期外れでもあり、ほとんど待たずにすんだ。それにともなって担当の人たちも皆、感じがよかった。新学期の時期ともなると、それはそれは信じられないくらい待たされるのだそうだ。良かった、変な時期に来て・・・。でも書類が足りなくて昨日はもらえなかったのだが、それらを揃えて次回出頭すると自動的にもらえるのでもう心配はない。
参考までに必要な書類は・・・
1・パスポート、滞在許可証
2・学校の登録証、学生証および出席状況や成績表など
3・銀行口座の残高証明書、および毎月送られてくる出入表のすべて
4・健康診断証
5・保険の加入証明証
6・現住所の証明書(公共料金の請求書や大家の家賃領収書など)
7・200Fの収入印紙
8・証明写真

今日はマダム鳥居が少しだけ家を見にやってくる。イカナゴをおみやげに持ってきてくれたんだって。そういう時期なのですねえ。兵庫の食文化だねえ。なつかしい・・・。ああ、明石のお好み道場の玉子焼きと洋食屋のカツカレーが食いたーい。こっちに来て一番食べたいのはやっぱり、我が家の特製豚汁とおでんと関西のお好焼き!なんて安上がりな私・・・。

■1996.5.25(土)
昨日は本当に久しぶりに傘の要らない一日だったが、それも一日だけ。今日はまた雨・・・。
木曜日は夕方マダム鳥井がお友達の酒井さんと二人やってきた。コメルス駅まで迎えにいくと手を振っているのが見えた。久しぶりの再会である。お土産に「イカナゴ」を頂いた。懐かしい神戸の味である。神戸にいる間はいろんな方から、季節になると「イカナゴのクギニ?(字がわからない)」を頂いたし、震災のあとマサイ家でお世話になっていた時は、毎日のように新鮮なイカナゴを酢をかけて食べていた。あれもおいしかったなあ・・・。ところで、鳥井さんは相変わらずよく、いや、モーレツに喋る人で、時間はあっという間に過ぎてしまった。とにかく今は、週二回フランス語のレッスンに通い、家でも空けても暮れてもフランス語の勉強をしているらしい。いろいろ具体的な内容を聞いたが脱帽(余談:フランス語でも恐れ入った時には「帽子を脱ぐ」と言うのですって)。今回の旅行で見たことを嬉々として話している鳥井さんは、まだまだ若いです。是非、3ヵ月だけでもいいから、留学の夢をかなえてほしい人です。頑張ってね、鳥井さん。
昨日金曜日は、カトリーヌの授業に遅れてきたパウラが、すごくきれいな花束とともに登場。パウラは昨日でフランス・ラングの授業は最後で、6月はソルボンヌに行く。カトリーヌがとびきり可愛がっているパウラとケイ。その内の一人が去るとあってここ数日淋しそうに見えた。カトリーヌは花束をもらって「私は去っていく学生は大嫌いなのよ」と言いながら、少し目をウルウルさせて頬に感謝のキスを何度もしていた。なんだか私までジーンとしてしまったではないか!パウラが1ヵ月後に国に帰るとき、また悲しくてやだなあ。カトリーヌとも6月14日の授業でお別れだ。彼女は次の日からヴァカンスに入り、9月まで出てこない。私は8月の初旬で、ケイは8月の下旬で、それぞれ終わるのでカトリーヌともお別れになるのだ。それもすごく淋しい。パリではこの季節、別れの季節ねえ・・・。

■1996.5.30(木)
今朝は早くにマダム鳥井から電話で、今日の便で帰るとの連絡があり、おかげで早起きが出来た。やっぱり・・・というか、マダム鳥井の帰国にあわせて、突然パリにも夏が訪れた。真っ青な空!さわやかな風!これぞヨーロッパの夏である。(ようやく洗濯物がからっと乾き始めた)日差しが目に眩しくて、サングラスが必要な季節。今日から街行く人々は、一斉に夏服に衣替え、みーんなタンクトップやTシャツに変身してしまった。正確に言うと彼らに衣替えなどない。彼らはいつも着たいものを着ているだけなのだ。今日、長袖のTシャツを着ていた私が、自分を日本人だなあと改めて思ったのは、「私、見た目に暑苦しいかしら?」と心の中で考えていたからだ。実際、私自身は暑かったが、もっと暑い国から来ている私にとってはまだノースリーブのような気分ではなく、そんなに不快ではなかったのだが、いきなり真夏のリゾート地にやってきたかのような回りの人々に囲まれて自分一人、なんだか暑苦しそうだなあ・・・と思ったわけだ。でもそんなことを思いつつ、誰がどんな格好をしていようが、日本のようにジロジロと見られないことを心地よくも思ったりした。アフリカ系の人々は真冬でも裸足でサンダルを履いているし、今日でもタイツをはいている人や、ロングコートを着ている人、様々だ。
今日は早起きしたので、例の滞在許可証を受け取りに行ってきた。1年のものはもらえず、今度は5ヵ月だ。8月に学校が終わるので、余計には出してくれないらしい。次の学校の手続きは7月頃にするのだが、やっぱり長くいた学校を離れるのは淋しいものだねえ。カトリーヌが休暇に入るのと同時に私は最後にまったく違うクラスを受けることにしようと思っている。上級クラスになると教科書を使う通常のクラスや、その他の色々な授業が自分たちの好みに合わせて選べる。例えば私の行っている学校なら、その週に出た雑誌「EXPRESS」(政治や文化や世相を扱ったビジュアル雑誌)の記事を解読していくクラスや、映画を見てその台詞を調べていくクラスがある。私は最後の2ヵ月はその映画のクラスに移って、日常会話の表現を知るのもおもしろそうだなあ・・・と思っているわけだ。学校に1時間早く行ってメディアテークでフォネティックも自習できるし。カトリーヌととりあえず2週間、残り少ない授業を頑張りましょう。彼女は本当に最高の先生だった。
この間の日曜日、arteというチャンネルで大相撲の千秋楽を見た。フランス語の解説付きで見る相撲はなかなか奇妙でおもしろかった。久しぶりにあの憎たらしい貴ノ花の顔を見た。それにその日は相撲特集の日で、髷を結う職人さんや、髷に使う油や道具を創る職人さんの仕事ぶりを紹介するドキュメンタリーや、「名寄岩」という関取の映画を放映していたり、すっかり日本の一日だった。時々テレビを見ていると日本の映画をやっていたり、外国映画にボクサーとして出演している片岡鶴太郎がフランス語を話していたり、カンヌ映画祭に出品していたビートたけしがインタビューされていたり・・・なんてこともある。なんとも奇妙な気分です。
日本でも最近ようやく公開された「ママと娼婦・LA MAMAN ET LA PUTIN」を見に行ってきた。ポスト・ヌーヴェルヴァーグの大切な作品と言うことなので興味をもって見に行ってきたが、日常会話は判るにしても、主人公たちが喋るまくり(語り)だすと、ちょっとお手上げ状態。それが3時間35分も続いたので、だいぶ疲れました。以上。

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