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30/04/1996

フランス留学記 1996年4月

■1996.4.1(月)
今日はプワッソン・ダヴリルと言い、エイプリール・フールのような日だ。日本の小さな嘘で人をだますのとは少し違い、魚の絵を人の背中にそーっと貼って、気付かないのをみてくすくす笑うというもの。まあ、似たようなものであるが・・・ 。今日立ち寄った郵便局であるおばさんが小さな子供の標的になっているのを見て、 私も思わず背中を触ってしまった。
来週の日曜日は復活祭があるので、それに前後してフランスの学生は約2週間の春休みに入る (今年パリは17日からだが、地方によって違う)。この間、冬休みが終わったばかりなのに、ちょっと休みすぎなんじゃないのか?もちろん私たち私立の語学学校生には無縁の休みだ。もちろん復活祭とその翌日は祝日となっているので私も休みだが、私はその週末には引越をしなければならないので、新しい環境づくりには持って来いの3連休だ。
今日クラス編成が変わって私たちのクラスはクリスティーアが出発前にいた クラスに吸収合併されてしまった。新着学生はいないが、クラスの様子も先生も授業 の進め方も随分とかわって少々戸惑っている。これ以上、上のクラスがないので、すごく出来る人が集まっているのは当然、私など皆の足元にも及ばない。私はしばらくここに留 まって頑張るつもりだ。上級クラスではボキャブラリーをより豊富にすることや討論などに主に時間が割かれ、教科書よりも雑誌や新聞の記事を読む。大変ですが、新しい挑戦です(少し大袈裟です)。先生はア ン先生の代わりに再びローラン登場。ローランはしっかりと私のことを覚えていてくれて、嬉しそうにみんなに私の観光計画を私に代わって説明してくれた。全く嬉しい ことです。
今日はもう一つ嬉しいことがあった。それは日本の某月刊雑誌に私のコラムが掲載されることになったという報せを受けたこと。今発売されている5月号には1つ掲載されている。さらに嬉しいことは少しだけれど原稿料がもらえること。これからも継続して書いていくので、もし機会があったら書店で手に取ってご覧ください。

■1996.4.2(火)
今日は完成に近付きつつある私の新居を偵察。前の人が残していった家具は みんな私の好きにしていいと言うことなので、見にいった。今は汚いがなんとか使えそうだし、布とかを色々使って彩れば、なんとかなるでしょう。サニタリーは完成し ていて、すごくきれいなガラスの棚が新しく設置されていて感動。それに新品の冷蔵 庫も到着していた。この週末、フランスは祝日で連休になり、土曜日の学校の休みを合わせると3連休なので、その間になんとか、住みやすい状態に整えたいものだ。

■1996.4.13(土)
昨夜から今朝にかけて久しぶりに大雨が降ったようだ。新居の苔の庭(苔に覆われたコンクリートの中庭に我が家は面している)の苔達も元気そうに潤っている。 学校に行きながら宿題をしながらで、なかなか思うように家が片付かなかった先週。ずっと日記も書いてなかったし、住所変更の連絡もボチボチ書き始めたくらいだ。
前にも何度か書いたと思うが、我が家は「コメルス通り」という古い歴史のある そして活気のある通りのすぐ近くにある。「コメルス通り」は南北に走る1キロもない程度の通りだがありとあらゆる商店が軒をつらねている。いい店も多いし、人気メーカーのブティックもいくつかあり、そして不思議なくらいにベビー服の店がたくさんある。北は「モット・ピッケ駅」(6・8・10号線)というメトロの駅から南は「コメルス駅」(8号線)まで。 「コメルス通り」の南のつきあたりに小さなカトリックの教会があり、鳩時計のように毎時間鐘をならす(12時なら12回)。そこで東西に走る「オントープルヌール通り」と交 差していて、私の家はほぼ教会の斜むかい。「コメルス通り」の北は「グルネール大通り」でここには毎水・日曜日に大きな朝市が立つ。これは前住んでいた「ルールメ ル通り」を北上した地点から始まりコメルス通りまでの地点。だからこの朝市に は何度も来たことがある。本当に600Mほど東に移動しただけなのに、なぜこんなに雰囲気が違うのかしら?と首を傾げてしまうくらいに、ここは良い!まあ、それがパ リなのだが、様々な顔を持っている。
ところで私は今このようにコメルス通りに夢中だが、いくつかお店を紹介!教会の真ん前にあるカフェ「ラ・トゥール・エッフェル」は丁度私が引っ越してくるのを歓迎してくれるように、新装オープンした。私はここの常連を目指して、足繁く通っている。本当に素敵なカフェでスタッフもみな感じがいいし、特に若旦那は アメリカ青春映画の俳優になりそこねたような感じのハンサムで、ニヤッと笑って「ビヤン・シュール(オーダーを取るときの彼の口癖)」って言うのがなかなか可愛い。お昼の定食も49F~という安さにもかかわらず旨ーい!そこからずっと「モット・ピッケ」駅を目指して北上していくと、これまた私の贔屓のレストラン「ル・カ フェ・デュ・コメルス」が右手に見えてきて(前に詳しいことは書いたが、もう4回 も行ってしまった)、そこからもう少し北上するとすんごいおいしいブロンジュリー(パン屋)兼パティスリー(ケーキ屋)が左手にある。名前はまだ覚えていない。が 、ここは珍しく食事をするスペースが奥にあり、これまたおいしいサラ ダやオムレツや定食が50F以下で食べられる。ああ、興味はつきないこの界隈・・・。また新しい発見があれば報告します。あ、家の前にも「シェ・マルセル」という名 の小さいコルシカ料理もあり、 ・と言っているところ。あと前住んでいた家のすぐ近くのムチャクチャ奇妙なインド料理屋があって入るのが怖いのだがいつも興味をそそられていて、先週引越の疲れに まぎれてドアを押しあけると・・・なんとも説明しがたい想像を絶する空 間が広がっているのだった・・・・・・。ふふふ、興味がある人は是非どうぞ。夜のメニュー125Fからよ。

■1996.4.18(木)
なんだかまだまだ部屋が片付かないまま、どんどん月日は流れていく・・・。この2週間は家ではほとんど勉強もしていないし、よくまあこれだけさぼったなあ・・・という感じで、最近むしょうに勉強したくなってきた。学校は本当にこのクラスにいてもいいのだろうか・・・と思う日々なのだが・・・ボキャブラリーを増やすことが目下の一大課題。しかし複雑な言葉になればなるほど、英語もイタリア語もスペイン語も(ドイツ語も少しは)似てくるので奴らには有利になるのだ。テキストの内容は現実的な内容が多く、興味深いのだが、単語は本当にお手上げ状態。コツコツ単語を覚えていくしかなーい!
しかしこの間の日曜日は4月のテーマ「高いところに昇る・第1弾」で凱旋門に昇ってきた。入場料は32Fと高い、それにそれほど高さはないのだが、この凱旋門を中心に12本のアヴェニューが放射状に出ているし、この凱旋門の真下にパリの大切な都市軸がほぼ東西に走っているわけで、都市計画上はやはり無視できないモニュメントの一つ。屋上から南東を見ればシャンゼリゼ大通り、そしてコンコルド広場(に立つオベリスク)、チュイルリー庭園そしてルーヴル(にあるガラスのピラミッド)が一直線に並んでいるのが見える。北西を見ればその4キロ先に新凱旋門を中心にデファンス地区が現代都市の様子を見せてくれる。これらが凱旋門を挟んで一列に並んでいるので、「偉大な都市軸」なんて呼ばれているのだ。その日は少し曇りがかっていて、デファンス地区は霞んでいたので残念だったけど、なかなか良かった。ただし昇りはエレベーターだけど、降りは歩きです。念のため。今度はモンパルナス・タワーの予定。
それから予定にはなかったのだが、今シャンゼリゼ大通りではロダンやらまだ生きている作家やらの彫刻展を開催中(歩道に、ドン、ドン・・・と高価な彫刻が置いてある大胆な企画。もちろん路上の展覧会なので無料)で、それをタラタラと見ながら歩いて、どこまでも歩いていったら、結局この日は8時間も外を歩いていた。いつまでも暗くならないから時間の感覚が・・・。さすがに疲れました。(紫外線が強くなってきたのを感じる)
今日は週に一度の大切な宿題をサボったので、大好きなカトリーヌ先生に「グレーブ(ストライキ)か?」と言われてしまった。まあ、たまにはいいじゃないか・・・。来週は勉強ガンばろーっと。

■1996.4.20(土)
今日は快晴。今日は4月の週末観光プラン「高いところに昇ろう!第2回」の日。快晴なら「モンパルナス・タワー」にしようと思っていたので、迷わず決めた。学生割引で33F(普通料金は42F)で約700円。決して安くはないが、個人的な意見を言えば、パリにきた人はここに必ず行くべきである。それも天気の良い日に・・・。改めてパリという都市を認識できることは間違いない。特に時間がない人はエッフェル塔よりもここである。エッフェル塔は今回是非昇ってみたいのだが、いつ行っても長蛇の列で、気が失せる。それが今まで一度も昇ったことのない理由。それにひきかえモンパルナス・タワーは、パリで一番高い展望台であることに加え、いつ行ってもそれほど並ぶ必要などない。以前より観光客が増えたような気はするが、まだまだ大丈夫。それに展望室からさらに階段を昇って外にも出られる。この間は怖くて(実はちょっと高所恐怖症)外には出なかったが、今日は勇気を出して出てみた。最初は少々ヒヤヒヤしたが、すぐに慣れてきて風景を楽しむことができた。色々な高さや角度からパリの街を見つめることはすごく楽しいことです。
何もこういった観光名所にお金を払って昇らなくても、例えばモンマルトルの丘に昇れば、パリの街を眼下に見渡すことができる。ここでは「ここがパリで一番高い丘だわ・・・」なんて思いながら素晴らしい眺望に感動するのだが、モンパルナス・タワーから見下ろすと、ここもただの真っ平らな土地にしか見えない。しかし他にもお金のかからない所をあげると「ポンピドゥーセンター」の一番高いとろや、サマリテーヌ百貨店の屋上展望台などから見ると、やっぱりモンマルトルの丘がパリで一番高い丘のように、ちゃんと見ることができるのだ(実はパリ市内にモンマルトルの丘よりも標高の高い地点があるので、一番高い訳ではない)。いつか「船(観光船)」の特集も組もうと思っているのだが、こういうふうに視点を変えて見つめ直すことは、何事においても大切でしょう?
今日は本当に天気も良かったのだが、陽射しも強くて眼の弱い私はサングラスをそろそろ持って歩かなきゃ・・・と、反省。気温も高くて最近では半袖やノースリーブの人たちだらけだ。この人たちにはきっと「衣替え」ってないのだろうな。きっと。

■1996.4.25(木)
あー、今週もようやく恒例の作文の宿題を提出して、ホッと一息つくのもつかの間、ハナエが急に引越しをしたいと言い出して、今からやってくると言う。私は教会前のお気にのカフェで話を聞くことにした。いつもの若旦那が笑顔でお出迎え。ここはもはや私のサロンとなっている。フランスでの生活(たぶんヨーロッパでの生活にとって)にはなくてはならないカフェ。クリスティーアともそのことを話し合ったことがあるが、私もその文化を今充分に堪能している。クリスティーアは(スイスで)朝必ず行きつけのカフェに行ってスタンド(店内のカウンター、立ち飲みだが料金が最も安く、座ったときの約半額)で一杯コーヒーを飲んでから出かけるそうだ。私が以前読んだフランスについて書かれた本の中の記述で印象にのこっているのは、(その人がフランスでの生活を終えて)日本に帰ってから一番物足りなく思うのは、カフェのない生活だ・・・というような事。私もきっと、そう感じるに違いないだろうな。日本にはない種類のものだから。喫茶店とはまるで違う。それにカフェに限らず、フランスに生活していて特定の店を持つことはとても楽しい。確かにスーパーはとても便利。デパートも良いけど、自分好みの店を探すのは、わくわくするほど楽しいし、目指すものに出会えたときの嬉しさは100倍である。私は今のところ、「私の」お菓子屋さん、レストラン、カフェ、文房具、写真屋、雑誌屋を見付けた。これからも探索の好奇心はつきないだろう。
昨日は授業のあと、クラスメートのパウラとケイと3人でルーヴルに出かけた。別に美術館に行った訳でなく、パウラがそこで(ピラミッドで)ベネズエラ人のクリシナと約束をしていたのだ。何もこんなだだっ広い所で待ち合わせをせんでも・・・とぶつぶつ思いながら数十分。案の定、クリシナは私たちとは違う側で待っていた。パウラが探しにいってようやく見付けたのだ。ラテン・アメリカ人のやることはいつもながら、大雑把である。しかし、彼女クリシナはなかなかの美人で、しかもでかい。パウラもたいがいでかいが(170センチ以上ある)、クリシナはもっとでかいので、近付いてくるシルエットを見ながらケイが「あいつ、男ちゃうんか」と何度も言っていた。彼女はアリアンス・フランセーズ(公立の語学学校)に通う学生。よく話をすると彼女は2年前までベネズエラでは有名なモデルだったらしく、ケイも私も今の大きさから(太いと言うこと)モデル時代が想像できなくて、黙ってしまったら、クリシナも察しがついたようで「もっと細かった頃ね!」と笑顔で答えてくれた。そういえばよく「ミス・インターナショナル」とかでベネズエラ代表の人は、最終段階まで残るよなあ・・・。もしかして彼女も・・・?

■1996.4.29(月)
この週末はどこにも出かけずに、家で色々作業をしていた。新居もとうとう自分が思い描いているように片付いてくれた。天気もいまいちぱっとしなかったので「高いところ」には行かなかった。来月のテーマはまだ考えていないが、とりあえず5月1日の祝日の日に締めとしてどこかに行ってみようと思っている。
今日はジャンポール・ベルモンド主演の「デジレ」を見た。あまりこの手のコメディタッチの映画は見ないのだが、出演者が喋りまくるこの映画はフランス映画の典型みたいな作品だろうか。いい俳優が他にもでているにもかかわらず、この映画はパリ市内4館でしか上映されていない。それには驚いてしまった。例えば大阪市内で4館が上映する映画といったらすごいことだが、映画館の数が比較にならないほど多いパリでは、この数字は自動的に期待されていない・・・ということを示している。ジャンポール・ベルモンドといえば歳はとってもフランス映画界の大御所には違いない。
先日、彼はテレビ番組でフランス映画界の配給会社の体質を厳しく批判していた。フランスではUGCとGOMONTという2大配給会社があるが、それらがアメリカのディズニーとフォックスとそれぞれ業務提携しているせいもあって、フランス映画が押され気味なのだ。日本と違ってフランス政府のフランス映画の保護・援助の姿勢ははっきりしているのだが、それでも間に合っていないのが現状。若いフランスの俳優はどんどんアメリカ映画に出演しはじめているし(ジュリエット・ビノシュがウイリアム・ハートと共演したり、エマニエル・ベアールの新作はなんとトム・クルーズとジャン・レノとの共演)、昨年もっともヒットしたフランス映画「レオン」もNYが舞台の英語の映画だった。フランス映画ファンの私には残念でしかたがないのだが、パリが世界で最もフランス映画の見られる場所には変わりないので、滞在中は大いに楽しませてもらいたい。
テレビ番組でも映画情報の番組が充実していて、俳優がインタヴューに答えたりしているのだが、時々アメリカのスター(シガニー・ウィーバーやなんとかヴァンダムとか)がフランス語で流暢に答えているのには驚かされる。基本的にフランスの娯楽番組は死ぬほど退屈だが、私にとってのスター(大好きなフランスの歌手や俳優)が、むちゃくちゃしょーもない娯楽番組に出ていたりするので、信じられない感じがする。例をあげるのは限りがないが、ジェーン・バーキンがアホみたいな番組に出てきて口パクで唄っているのには、開いた口がふさがらなかった。
幸か不幸か、新しい家にはテレビがないので、最近全然ニュースも何も見ていない。カトリーヌ先生が授業の終わりに時々天気予報を教えてくれるので、今はそれだけがたより。カトリーヌによると今週は次第に気温が下がっていくそうだ。本格的な春はまだ先かな・・・。

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